コンパクトでない空間

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就活が苦手な人でもできる就活

私の周りには「就活とかムリ。だけど起業ってほどリスキーなことする覚悟もない」という人が結構いる。
彼らの言い分は、「自分は就職とか柄じゃない」「仕事のために生きるとか無理」「働きたくない」といった調子。
まず最初に、誤解しないでほしいのが、別に私は彼らを怠け者だと思っているわけではない。
むしろそれは怠けるとかではなくて単純に「就活が苦手」と、誰にでもある得意不得意のうちのひとつとして数えられるのが適切ではないだろうか。

就活というものは、経団連が定めたスケジュールを基準に、就活準備から内定までのスケジュールのモデルが存在して、そのみんなと同じスケジュールに従って、準備し、みんなと同じスーツを着て、少しの隙もなく模範解答の応対をする。
就活が苦手な人たちが苦手な「就活」というのは多分、こういう、みんなから、社会の規範から一歩外れたら出遅れて想像もつかない見るも無残な目にあわされるような、恐ろしいものなのだろう。
実際そういうハードな就活をしている人たちというのは結構みかける。
企業が判断する側、自分が判断される側、の構図に完全にはまりきって、自分より圧倒的に偉い企業の機嫌を取るために、様々なうわさに翻弄される。
企業側も「私らはこういう基準で学生を見ています。やっぱりこういう人はいいですよね」といった調子で、自分が判断する側で立場が強い側だという自覚を持った振る舞いをしてくるのだからたちが悪い。

あれはあれで、ガイドラインがないと困るって人たちにとっては助かるものなんだろう。
とりあえずみんなについていけてさえいればなんとかなる。
自分で判断する必要がない。
そういうことを魅力だと、楽だと感じる人たちというのはいて、そういう人たちが迷える子羊にならないようにあのシステムがあるのだと思う。

就活は本来もっと自由度が高く、幅の広い概念であるはずだ。
要は企業と出会いさえすればいいのだ。
型にはまった就活は単なる集団お見合いだ。
別にお見合いをせずとも自由恋愛で自分のパートナーを見つければそれでいい。
ただ、お見合い以外にどうやってパートナーを見つけたらいいのかがわからないから、就活が苦手な人たちは困っているんだと思う。
「セロリが苦手な人でも食べやすいセロリ料理」はググれば出てくるが「普通の就活が苦手な人でもしやすい就活」の情報はググってもそうは出てこない。
就活に苦手意識を持って目を背け、情報の収集を怠っていたらなおさら届かない。

お見合いを介さずに企業と出会うことは、一般には「コネを作る」と呼ばれている。
コネクション。

コネを作るなんてずるい、とかいう人もいるけど、コネの威力というのは馬鹿にしてはいけない。
直接結果に見えやすく繋がるわけではないから、「ホンネとタテマエ」の使い分けが苦手なASDや将来の見通しを立てるのが苦手なADHDほど軽視してしまいがちだけど、コネは気づかないところで少しずつ効いてくる。
お得な話を手に入れたときに教えてもらえたり、コネが次のコネを呼んだりして、二乗三乗に効いてくる。
自分独自の情報網ネットワークという資産になる。

というかそもそも就活というのが、人材と企業がコネクションを作るためのイベントなのに、なぜ就活で作ったコネクションはコネと呼ばれないのかよくわからない。
いや、実際あれを広い意味でコネと呼んでも差支えない気がする。

既にコネがあるならそれを使わない手はない。
よっぽど「これは自分の希望とは違うな」という確信がある企業とかでなければ、片っ端から知り合いに「会社見学させてもらうことってできますか?」と言ってみよう。
知り合いというのは、趣味で知り合った人、twitterで知り合った人、サークルのOB、親の友達などなどだ。

あとはコネを増やす方法だけど、露骨なお膳立てとかは別にしなくていい。
コネを増やすために心がけるべきことはみっつだと思っている。

  • 人を紹介しようか、と言われたら、単位や病気にかかわらない限り他のなによりも優先して行く
  • 人と知り合う機会のあるイベントに誘われたら、友達との約束よりも優先して行く
  • 自分が今のところどんな仕事ができそうだと考えているのかを言語化しておいて、機会があるたびに伝える

誘われなかったら行かないイベントでも、誘われたら行っておくというのは大事だ。
その人が別の情報を手に入れたときにまた誘ってくれる。
紹介してもらえる相手がどんな相手かわからなくても、イベントがどんなイベントかよくわからなくても、よほどこの手のイベントは自分には無理だ、とか、これカルト団体じゃないの?事件に巻き込まれない?とかの予感がしない限り、とりあえずわんこのように「行きます!」といいお返事をしておくといい。
出会いは基本数撃ちゃ当たる戦法、行ってみて特に収穫がなかったとしても、何回か行ってそのうち一回収穫があればいい。
収穫がないことはプラスではないとしても、特にマイナスでもない。
よほど苦痛そうなイベントでない限り、「あなたがオススメしてくれたのなら行きましょう」という義理を果たすためだけでも行く価値がある。
ちなみに私は奨学金方面からグローバル民族衣装のファッションショーのモデルのお誘いを受けたときは流石に断った。

それから、自分がいま何を考えていて、なにについての情報を集めているのかを、今の自分にわかっている範囲でいいから伝えておくと、相手から誘われるイベントの精度が上がっていく。
これは時間とともに更新されていくものなので、一度伝えたらそれでいいわけではなく、機会があるたびに今最新の自分の考えがどうなっているかを伝えておこう。
逆に言えば一度伝えたらそれを変えられないとかは心配しなくてもいい。
とりあえず、今、社会で働いたこともない社会をよくわかってない自分が等身大に思うこと、で十分だ。
というか就活なんてそれ以外の基準で決めようがない。

企業の個別のイベントについては地道にそうやって情報を集める必要があるけど、比較的多くの企業が提供してくれているイベントに、インターンと各種コンテストがある。
会社説明会やワンデイインターンもある種のコネ作りだとおもうけど、そういうイベントほど「表向きの顔」色が強くなって、こちらも「タテマエ」を用意することが求められる、息苦しい就活っぽくなってくるので就活が苦手な人にはオススメしない。

インターンの場合、できたらワンデイインターンではなく、長いやつ。
できたら、他のインターン生と一緒に受けるやつではなく、インターン一人一人バラバラなチームに配属になるやつ。
そして、できたら通年募集で期間の融通がきくやつ、がいい。
そこで社内の人と知り合って、身内になってしまえば、内々定が出る場合もあるし、そうでなくともその会社とは気楽な距離感になる。

コンテストに関しては、企業も基本的には初心者でも参加人数が多ければ多いほど嬉しいはず。
バリバリの経験者じゃなくても、初心者なりに頑張りました、というのを、「将来有望」「伸びしろがある」とみてくれることも多いだろう。
確かに、ものによっては競技プログラミングのコンテストなんかだと本当にデキるやつを探しているタイプのコンテストもあるだろうけど、そうでないものもある。
内容も企画系のコンテスト、プレゼン系のコンテストなどなどいろいろあるし、女性向けのものもある。
自分の興味の持てるもの、これならできそうって思うものを探して参加してみるといい。
コンテストに目星はつけたけど、どうしても勇気がなくて尻込みをしてしまうようなら、コンテストの問い合わせ先に連絡をして、心配していることをそのまま聞いてしまうのがいい。
大抵の場合は企業側にとっても不要な心配で参加を諦められてしまうのは損失なので、心配を取り除くために丁寧に対応してくれる。

Google STEP インターンまとめ

Googleインターンに行って来ました。
楽しかった。

コンフィデンスの都合上業務内容等については書けないので、採用システムや設備について紹介しようと思います。

Googleは、「Googleの財産は人材がすべて」という信念で、エンジニアを非常に大切にしている。
Vokersの働きやすい企業ランキングでずっと一位を守り続けているだけあって、設備についても制度についても、かいけつできる本質的でない問題で貴重な人材が辞めてしまうことないよう、それはそれは細かなところまで気を配ってくれている。
出産、子育て休暇、病気での長期入院、アレルギーや宗教にも対応した無料で美味しい社食、カスタマイズ性の高いデスク、それはもう宝物のように、自分でさえ気付いていなかったようなストレスまで取り除いてくれる。

それと同時に、採用にも非常にお金と時間をかけている。
優秀な人材を見つけ、Googleに興味をもってもらうこと(リーチアウトと呼ばれていた)も力を入れている。
びっくりするほど積極的で、私のお父さんなんかは「血眼になって探している」と表現していたけど、あながち間違いでもないと思う。
女性や身体障害者などのマイノリティへのリーチアウトは特に重視されていて、女子高生にオフィスツアーを提供するMind the Gapプログラムなど様々な活動が行われている。

私が今回参加したSTEPプログラムもマイノリティへのリーチアウトを目的とした活動のひとつで、学部生の女性と身体障害者を対象にした教育コースとインターンコースの二段組のプログラムだ。
STEPプログラムのインターンは通常のインターンとは区別されていて、SWEインターン(ソフトウェアエンジニアインターン)と呼ばれる通常のインターンの期間が三ヶ月が目安なのに対して、STEPインターンは二ヶ月と学部生が長期休暇を利用して参加しやすいよう短くなっている。
教育プログラムに参加した人は、STEPインターンを希望する場合面接を受ける。
そこで、インターンに参加してもお互い実りのある経験にできるだけの能力があると判断されて、受け入れてくれるホストも決まればSTEPインターンに参加することになり、そうでない場合は今回は見送り。
まだ学部生であれば、来年もう一度面接を受け直して挑戦することもできる。

GoogleはSWEインターンやフルタイムの採用の基準はマイノリティだからといって下げたりはしないと明言していて、STEPインターン卒業生がSWEインターンに応募した場合も通常のSWEインターンと同じ基準で選考される。
そして同様に、基準を越えていてホストマッチングできればSWEインターンに参加し、そうでなければまた来年応募することになる。

採用のプロセスが規格化されていないため複雑だけど、基本的になにかをしたからなにかができなくなる、ということはない。
例えば、学部三年生が、STEPインターンに行ったから次はSWEインターンに応募しなければならず次の年四年になったときに新卒に応募できないとか、一度STEPインターンを受けて落ちたからもうSTEPインターンには応募できないとか、そういう理不尽なことは起こらない。
逆に、なにかをしたからなにかができるようになる、ということもないのだと思う。
STEP教育プログラムを受けずにSTEPインターンにいきなり応募することもできた気がするし。
インターンに参加すると、「時間をかけて正確に能力を判断してもらえる」というメリットはあるけど、それで応募できなかったものに応募できるようになるとか、基準が下がるとかいうことは起こらない。

あと、インターン中に周囲から評価されるプレッシャーを受けるか、という心配については、少なくとも私はあまり気にならなかった。
もちろん、実際には評価されているわけだけれども、ホストはこちらが傷つくような攻撃的なフィードバックはしない。
なぜなら、こちらもホストのホストとしてのクオリティをフィードバックしているので、傷つくようなことを言ったらホストがGoogleに怒られるのだ。
Googleは、お互いに評価しあい、お互いそれを糧として真摯に受け止めるという文化を築こうとしていて、そのために、落ち着いてストレスなくフィードバックを受け止められるように、怯えたり傷ついたりしなくて済むように周りがサポートする文化がある。

Googleの設備については、実際に行って見てみるのがいいと思う。
お菓子やコーヒーサーバーが食べ放題使い放題のマイクロキッチンとか、ジム、音楽ルーム、数々の愉快でファンシーなデザインの会議室などなど、ありすぎてなにがなんだかよくわからない充実した設備がある。
ゲームルームとかいう、ボードゲームからスプラトゥーンからDDRから置いてある部屋とかもある。
二ヶ月いたけど未だに広すぎて設備を把握できてない。 オススメはお金を入れなくても飲み物が出てくる自販機。
当然いつでも誰でも入れるわけではないけど、オフィスツアーをする手段は多分たくさんある。
GoogleのファンをGoogleは大切にするので、見てみたいという人はなにかしらGoogleとコンタクトをとって相談してみたらいいと思う。

メイドインアビス6巻ネタバレ レグの足取りまとめ

アニメ最終話すごいよかった……
原作の次回の更新に向けていままでのところの情報を主にレグの足取りの情報から整理しておきます。
ツイッターでぶつぶつ言ってたののまとめ。

時系列順にまとめてみます。

  • 7層でライザが「謎の人影」に出会う。ライザが手記をしたためる
  • ライザが「謎の人影」を飼ってる犬の名前にちなんで「レグ」と名付ける
  • ライザとレグは口癖や戦い方の癖がうつるほどの時間をともに過ごす。レグが火葬砲で何者かを弔い、ライザに励まされるような描写も
  • レグは「奈落のそこで待」っている何者かに出会い、「奈落の底で待つ」の走り書き、ライザの白笛、ブレイズリーブ、ライザの手記を持って地上へ向かう
  • レグは6層でファプタと出会う。レグは「ハク(一番高い価値)を連れてくる」と言い残して去る
  • レグは4層のライザのお気に入りのトコシエコウの群生地に、まるで墓標のようにブレイズリーブをつきたて、白笛、手記、走り書きをそこに残す。このときレグは青い石のペンダントを持っている(ここまではおそらく記憶がある)
  • レグは更に上へと向かい、1層でベニクチナワに襲われているリコを助ける。リコは青い石のペンダントを拾う(火葬砲の反動の睡眠から目を覚ました時にはレグは記憶を失っていた)
  • 偶然にもライザと同じネーミングセンスを持つリコが記憶を失ったロボットを飼っていた犬の名前にちなんでレグと名付ける
  • 二ヶ月後、オーゼンがトコシエコウの群生地に残された手記などを見つけ、ハボさんがそれを地上へ持って帰る
  • リコとレグが「奈落の底で待つ」の走り書きを見て、深層を目指す冒険をはじめる

叙述トリックとかがないなら、まっとうに読み取ればこんなもんだと思う。気になる点がいくつかある。

オーゼンとレグの関係。

オーゼンは「まだ生きてたんだ」「記憶が戻るまで行かせたくなかった」「頑丈さが売りなんだってね」と多少レグのことを知っている素振りを見せている。
「思い出す前に処分しないと」をいう発言を信じるなら相当都合の悪いことを知っていることになるけど、そこは演技の可能性もあるか……。
レグの口癖や身のこなしがライザに似ていることを指摘しているということは、ライザと共に冒険をしていたということまでは知らない様子だし、頑丈さについても話に聞いていただけでどこまで頑丈なのか自分の目でみたことはなかった。
火葬砲もはじめて知った様子。
事実オーゼンはラストダイブに潜ってからのライザは知らないはずなので、レグのことを知らないほうが普通。
逆に、その多少の知識はどこで得たのだろうか。
リコとレグには公開されていないライザの手記があり、オーゼンがそれを見ていて、リコに全てを教えたように見せて実はその手記のことは隠していたという可能性がひとつ。
でもオーゼンのキャラクターと反する気がするので考え難いか。
あるいは地上へ登る最中のレグと出会ったというセンの方が納得できるかもしれない。
なんならレグがオーゼンに直接「トコシエコウの群生地に白笛を置いてきた」と伝えた可能性もある。

レグはなぜ手記を自分で地上まで届けなかったのか?

レグはなぜ手記を地上まで持っていかずに4層に残したのだろうか?
人に姿を見られることを嫌ったのだろうか。
だとしたら、なぜリコを助けるために火葬砲を撃つというリスクを犯したのか。
実際リコに見つかってしまっている。
そのリスクを犯すほどの価値がリコにあった、つまり、地上にやってきた目的がリコを連れて帰ることだったとすれば納得がいく。
とすると、ハクとはリコのことなのだろうか。
2000年の呪いを解決できるキーパーソンなのだろうか。
リコにアビスの存在そのものを左右できるような特殊性があるとは思えないけど、強いて思い当たるものがあるとすれば、リコの水晶体を通さねば頭痛が起きる特殊な目は、呪いではなく祝福なのかもしれない。
レグが4層の時点から持っていた青い石のペンダントはレグが地上に来た目的のために必要なのだろうか?
それともレグ自身のために必要なものなのだろうか?
レグとリコが出会ってから白笛が上がるまでが2ヶ月だと思うと、レグが4層に白笛を残してからレグがリコを助けるまでおそらくそう間があいてないのだろう。
一層についたと思ったらいきなりリコが襲われているところに出くわしたという感じだろうか。
リコがベニクチナワに襲われていなくてもすぐに姿を晒すつもりだったのだろうか。
記憶を失ったのは事故か、予定通りなのか。

ブレイズリーブをなぜ4層に置いてきたのか?

レグはなぜトコシエコウの群生地を選び、ブレイズリーブを墓標のように突き立てたのだろうか。
そもそもレグはライザのお気に入りの場所を直接見たのははじめてだったはずで、わざわざライザの話をもとに群生地を探したことになる。
単なる感傷かもしれないが、ブレイズリーブが使えなくなった、必要がなくなったという理由なら、使えなくなった時点で捨てておく方が合理的な気がする。
自分には必要ないがまだ使えるから人に渡したかったのか、あるいは演出のためか。
つまり、ライザのお気に入りの場所に、ブレイズリーブと白笛と手記が置いてあれば、誰もがライザは死んで、これらを残したのだと想像する。
ライザは死んだと思って欲しかったのか、これがライザのものだと確実に信じて欲しかったのか。
白笛さえあれば真実だと十分信じてもらえるはずだけど、確実にしたかったのだろうか。
レグに手記などを届けることを命じたのがライザじゃないのだとすれば、この演出の念のいれようも納得がいく気がする。
リコが持っていたプルシュカのユアワースが簡単に盗まれたことを思えば、深層では白笛も本人証明としては弱い。
実はライザではない別の誰か、特に「奈落の底で待」っている何者かの計画なのかもしれない。
手記の更新が止まっている点からも、ライザは死んでこそいなくとも、なんらかの事情で動けなかった、あるいはレグもライザとコンタクトを取れない状況にあったとして不思議ではない。
手記の更新に関しては、情報が漏れすぎてはいけないからあえて制限した、あるいは単純に書くのが面倒だった、という線もありそうなのでそこからだけでは断言できないけど。

ファプタとレグの関係

ファプタの「ファプタのレグ」という発言。
6層でレグとファプタが出会った時、レグは使命を持って地上へ向かう途中であれば急いでいたはず。
奈落の底で待っている何者やライザがいつまでも無事な保証はないし、急がない道中というのは考え難い。
「ファプタのレグ」と呼ぶほどの絆を築く時間はあったのだろうか?
ファプタの「ファプタのレグ」は一目惚れ的な一方的な主張なのかもしれないが、もし6層でしばらく時間を過ごしていたのだとすれば、レグはその時点ではまだ地上を目指していなかったのだろうか。
ライザはアビスの呪いで6層には戻ってこれないはずだが、レグなら6層と7層を往復することも可能だったのかもしれない。
あるいは6層のレグはなんらかの理由で目的を放棄していたか、6層から出られない状況にあったか。

ここから先はレグの足取りとは関係のない考察

オーゼンの言う「あの子」とは

オーゼンの「呪い避けの籠を置いておけばあの子も来てくれたのに」という発言。
あの子とは誰なのか。
その時点ではレグとは出会っていないはずなのでレグではないし、ジルオがライザを選んだのは呪いよけの籠を運んできたこととは直接のつながりはない。
ナナチとは面識はないだろうし、出会っていたとしてオーゼンが惜しむような人材とは思えない。
ライザがラストダイブに潜ってしまったことを指すというのも、「行かなかったのに」ではなくて「来てくれたのに」という言い回しにはしっくりこない。
ファプタはナナチと同じ祭壇で成れ果てた、祭壇は袋小路、という話だったので、ファプタは一度祭壇で成れ果ててから5層を経由してイルブル、村に移動していることになる(ファプタの「どこにでも行ける」というのがどの程度の意味なのかまだわからないのでもしかしたらそんなルールには縛られない存在かもしれないけど)。
もしかしてファプタか?
未登場の誰かだとすると、この伏線が回収されるなら、5層で出会ったその「あの子」は6層以下に移動していることになるけど……。

6層のミーティ

ミーティがなぜ6層にいるのか。
「仮面の男たちがおいて行った」らしい。
ナナチの表情からするに、別人ではなくて成れ果てたあのミーティで間違いなさそうだ。
レグの火葬砲で弔われた際、ボンドルドが「ついに成し遂げましたね、ナナチ」と言っていたけど、あの後また復活してボンドルドに6層まで運ばれて置いて行かれたのだろうか。
アビスなら死んだはずの成れ果てが復活するなんていうこともあるのかもしれないけど、うーん。
成れ果て村で命を差し出し成れ果てた人たちは、村から出られない、知性を残している、という他の成れ果てとは違う特徴を持っている。
対して、ファプタは祭壇の成れ果てで、どこにでも行ける。
そしてミーティは祭壇の成れ果て。
三賢が「使っている」「カジャもほしい」とのことなので、ボンドルドの実験で祭壇で成れ果てたものたちすべてがここにいるわけではなくて、ミーティがなにかしら特別なのだとは思うけど。
情報が少なくてよくわからない。
しかし、ミーティがまだ生きていたということ自体、どんな形であれなんとまあナナチにとって残酷な。
ミーティがナナチの白笛になってくれたりすると比較的心穏やかな結末だと思うけど、さて。

オースとアビスの2000年単位の歴史

オースの歴史について。
2000年前にお祈り骸骨が量産され、一度滅びた後、1900年前からまた人が住みはじめた。
少しずつ探窟は進み、悠遠の文字が発見される。
300年前からそれらのうちの簡単なものは奈落文字として公用語にあてられ使われはじめた。
6層のイルブルの住民たちが使っているのは悠遠の文字。
「奈落の底で待つ」も実は奈落文字ではなく悠遠の文字で書かれているのではないだろうか?
6層のイルブルは2000年以上前から存在しているのでは?
そもそも「2000年」はオースでの話、6層においては「2000年」は2000年ではないし。
キユイがアビスから離れれば病が治ったことを考えるとアビスの底に近ければ近いほどその病は強くなりそうなものだけど、お祈り骸骨が見つかるのは浅いところで見つかるし、イルブルも2000年以上前から存在しているかもしれないとなると、2000年に一度の病はアビスが地上の人たちの命を供物として吸い取るような、そんなイベントなのかもしれない。
力場が津波のように一旦溢れてきてひいていくとか。
「奈落の底で待」っている何かは、きっとこの2000年の病の真実の中核にいる存在なのだろう。

アカデミアにいながら民間に行きたいと望むという困難

学務に、私を応援してくれる人がいる。
インターンやら留学やらに私はよく行くので、そのたびになにかと学部学務にはお世話になっている。
だから、私が海外志向であることも、おそらくは外資系希望であることもバレバレなのだと思う。
その私の、夢と呼ぶほどでもない夢を応援してくれて、それを伝えてくれた人がいた。
伝えてもらったときそのときは、こういう人もいるんだなあ、程度にしか思わなかったのだけれど、構内ですれ違って挨拶してくれたときに、この人がいてくれてよかったとほっとしたのを自覚した、という話。

あまり自覚はしていなかったけど、私は大学に行くたびにどこかで「私はここを裏切ることになる、いつかは敵になるのだ」と身構えていたのかもしれない。
私のお父さんは国立大学に勤めていて、国立大学には偏差値や給与には代えられない品格、名誉があると信じている。
倫理観のしっかりした人なので、学生の指導をするときにこの価値観を押し付けるようなことはしていないと思うけれど、こと実の娘の話となると、格の劣る民間企業には行ってほしくないらしい。
そんな家庭環境で20年以上生きてきたからか、アカデミアの人間の民間に対する軽蔑にはどうにも過敏になってしまうところがある。

今のゼミの先生も、特に民間企業への就職を応援して支援してくれる人ではない。
マスターを卒業したら就職したいと伝えたときはとくに反対もされず、いいですよ、と流されたけれど、負け犬とまで思っていなくとも、民間企業への就職を人生の成功とは間違っても思っていないだろうなとは感じる。
もし私がもっと期待される優秀な学生であれば、いいですよ、とも言われず、もったいないとか言われたのかもしれない。

そんな状況の中で、この学務の人の応援にとても救われた気がしたのだ。
もちろん、親しい友達や彼氏は私の人生の選択を尊重してくれるのだけれど、学部の違う友達が認めてくれても、理学部の校舎が私にとってアウェイでなくなるわけではない。
応援って加減が難しくて、一歩間違うと重荷になる。
私が外資系志望でなくて留学に行くだけの日系企業志望だったりしたらきっと重荷だっただろう。
これから日系企業に志望を変えるようなことがあれば実際重荷になると思う。
ただ今回に関しては間違いなく支えられた。

トビタテの選考のアドバイスに「旗を立てる」という表現があった。
自分がなにをしたいのかを明確に発信し続けていれば、そこには応援してくれる人たちが集まってくれる、と、そういう話だった。
そういう意味では、外資系に行きたいと旗を立てている私を応援してくれる人がいつか現れるのは必然ではあったのかもしれないけど、でもそれが学部の内部で、このタイミングだったことは偶然だ。

実際世の中には、この偶然を拾うことができず、民間に進むことを自分に許せずに圧力に負けてアカデミアに残り続ける人はたくさんいるだろう。
私のように偶然を拾えなかったひとは、支えがないまま一人で圧力と戦わなければならない。
むしろ、ほとんどは、周囲の期待と自分の希望を混同して、圧力に負けて自分を殺しているという自覚すらないかもれないけど。
社員に辞めることを許さない、辞めないように圧力をかける企業というのは無数に存在しているので、特段アカデミア特有の問題というわけでもないけど、それは問題でないことの免罪符にはならない。

企業と違って大学というのは、学生やポスドクたちの生き辛さは組織の業績にフィードバックされにくい。
民間ならもう少し働きやすい職場を作ることで会社も利益が出るという組織にとってのモチベーションがあるわけだけれど、大学にはそのシステムはない。
民間なら、個人と組織はお金を通じて目指すべき在り方をシェアできて、双方の利害が一致するようにお金が整えてくれるわけだけど、大学はそうなってないのだ。
失踪者や自殺者を生み出し続ける大学という組織の体質が改善されるまで、まあまず数年ではきかないだろう。
組織の改善は望めない。
個人個人が強くなるしかない。

私の人生は私ののもので、教授のものでも親のものでもない。
教授の期待、親の期待、それを裏切ったときの現実が待ち構える困難、自分の人生の選択をするときに、そういったローカルな周囲の状況は考慮する必要はない。
自分の人生をどうデザインしたら自分が幸せになれるのか。
それだけに集中して人生を描いていくべきだと思う。

メールのサンプル集

他大学の授業を聴講するとか、イベントの参加資格が足りないとか、自分は対象ではないから、と諦めてしまう人が多いように思う。
もちろん、実際に制度上不可能な場合もあるので断られても殊勝に引き下がらないといけないけれど、メールを出してみれば案外歓迎してくれるケースというのも存在する。
ダメモトでお願いしてみるだけしてみてもいいと思うのだけれど、二の足を踏んでしまうひとつの理由は、メールの書き方に自信がないからだろう。

というわけで、今回はメールの書き方のお話……といっても、私はマナー講師でもなんでもないので、私の自己流でどうしているか、の話でしかないのだけれど。
まあ、あれこれ気にしすぎて、気をつけなければいけない項目が増えすぎるよりは、最低限この程度を守っていればOKって自分を許してもいいんじゃない?ってハードルを下げて気楽にメールできるような後押しになれたらいいなと思う。
メールが苦手すぎてどうしたらいいかわからないって人向けの内容なので、いろいろがばがばだと思うし、自分はこう書く、というものがもう出来上がってる人は言うことはないので是非それを貫いてください。
こんなメールサンプル集、ぐぐればいくらでも出てくるので、ここに出てきたサンプルだけじゃうまく自分が送りたいメールに合わないとおもったらぐぐってみるといいと思う。

サンプルメールを三つ用意してみた。
どちらも私が実際に送ったメールを元にしている。

サンプル1(はじめてメールを送る相手):

◎◎大学インターンシップ担当
〇〇 ××教授


突然のメール失礼します。
千葉大学理学部数学科三年の小林佐保といいます。
次の夏に行くインターンシップを探していたところ、
◎◎大学の数学科のインターンシップの充実度を学科の先生に伺いました。

〇〇教授のホームページも見て、自分もそのような充実したインターンシップに参加したいと思ったのですが、  
インターンシップ探しの相談に乗っていただくことは可能でしょうか?

お忙しいところ図々しいお願いかと思いますが、
お返事いただければ幸いです。


千葉大学理学部数学・情報数理学科三年
小林 佐保

サンプル2(既にメールを送ったことがある相手):

@@先生

お世話になっております、〇〇所属の小林です。

以前参加した**コンテストについてなのですが、コンテストでいただいた賞が評価され、
$$賞に推薦していただくことになりました。
推薦のための資料として、私のどういった点が評価されたかがわかるといいとのことなのですが、
@@先生から簡単な講評を頂くことは可能でしょうか?

お手数おかけしますが、よろしくお願いします。

千葉大学 理学部 4年
小林 佐保

サンプル3(返信の場合)

@@先生

ご連絡ありがとうございます。

手続きの件、承知しました。

小林

基本的に私はメールは

  1. 宛名
  2. 導入
  3. 内容
  4. 締め
  5. 署名

の5つから構成するようにしている。

宛名

サンプル1

◎◎大学インターンシップ担当
〇〇 ××教授

サンプル2、3

@@先生

最低限守るべきポイント

  • 一行目に相手の肩書、二行目に相手のフルネーム+敬称を書く
  • 相手の肩書、名前に間違いがないかは確認しよう
  • 大学の助教、准教授、教授に送る場合は敬称は「先生」
  • ポスドク含めそれ以外の相手に送る場合は「様」

余裕があればやってもいい応用ポイント

  • 相手が教授なら敬称は教授と書いてもいい
  • 相手が自分よりひとつ上の立場(自分が学部生なら修士修士なら博士など)までは「様」ではなく「さん」にしてもいい
  • 何度もメールをしている相手なら肩書と下の名前を省略し、苗字+敬称だけでもよい

導入

ここは、相手にとって自分が誰なのかを知らせる意味を持たせる。

相手が自分のことを知らない場合

相手が自分のことを知らず、自分が一方的に相手を知っている場合は、自分の所属と名前を述べ、どのようにして相手を知ったのかを説明する。 ex) サンプル1

突然のメール失礼します。
千葉大学理学部数学科三年の小林佐保といいます。
次の夏に行くインターンシップを探していたところ、
◎◎大学の数学科のインターンシップの充実度を学科の先生に伺いました。

面識がある場合

お互いに面識があるが、相手が自分を覚えているか怪しい場合は、どこで出会ったのか簡潔に述べる。
100人ぐらい履修する授業を履修しているだけだとか、覚えてないだろうな、と思うような場合であっても、覚えていらっしゃいまるか、とは聞かずに、表向きは覚えている体で通してあげるのが優しさ。
ex1) サンプル2

お世話になっております、〇〇所属の小林です。

ex2)

千葉大学の小林です。先日のイベントの際はお世話になりました。

ex3)

情報数学Ⅱを履修している小林です。
お世話になっております。

日常的にやり取りをしている場合

お世話になっております。

だけでよい。
もっと砕けたのがよければ、

お疲れ様です。

なんていうのも一部界隈で使われていたりする。

返信の場合

サンプル3

ご連絡ありがとうございます。

基本的にこれ。
イベントなどの情報を教えてもらった場合は

情報ありがとうございます。  

こちらのメールに対する返信にさらに返信する場合は

ご返信ありがとうございます。

というのもアリ。

内容

サンプル1

〇〇教授のホームページも見て、自分もそのような充実したインターンシップに参加したいと思ったのですが、  
インターンシップ探しの相談に乗っていただくことは可能でしょうか?

サンプル2

以前参加した**コンテストについてなのですが、コンテストでいただいた賞が評価され、
$$賞に推薦していただくことになりました。
推薦のための資料として、私のどういった点が評価されたかがわかるといいとのことなのですが、
@@先生から簡単な講評を頂くことは可能でしょうか?

サンプル3

手続きの件、承知しました。

尊敬語とか丁寧語とかは言語学者でもないかぎりほとんどの人は正しい使い方なんてわかってないので、なんとなくでよい。
最低限ですます調で書いておけばいいと思う。
先生によっては自分にメールを送るときのルールなどを明文化してHPに載せてたりするので、ざっと探してみてもしそういうのを見つけたら絶対守るべき。
ちなみに、了解しました、と承知しました、については宗教戦争があるが、どちらかというと現代では承知しましたが無難っぽい。

締め

基本的には、 サンプル2

お手数おかけしますが、よろしくお願いします。

でよい。
自分が心苦しさを感じていて気が引ける場合は、 サンプル1

お忙しいところ図々しいお願いかと思いますが、
お返事いただければ幸いです。

と書いておくと(こちらの気が)楽になる。
他にもお願いというより事務連絡に近い場合は、

お返事お待ちしています。

の方が適切な場合もあるかもしれない。 返信の場合や一方的な連絡で特に相手に返信や対処を求めない場合は締めは書かなくてもいい。

署名

大学生の場合は

(大学名) (学部) (学科) (学年)
苗字 名前

が一番正式な形だろう。
何度もやりとしている相手の場合は、学科や下の名前を省略してもいい。
学内の相手の場合は大学名を省略してもいい。

一般女子中学生が電車で精液をかけられる国

痴漢が話題なので、twitterで痴漢された人がどのぐらいいるのかのアンケートを取ってみた。
結果は以下の通りだ。


票数にすると、こうなる。

電車通学

性別 男性 女性
あり 6 8
なし 16 4
合計 22 12

電車通学でない

性別 男性 女性
あり 2 5
なし 9 2
合計 11 7

全体

性別 男性 女性
あり 8 13
なし 25 6
合計 33 19


私は別に、痴漢をされているのが普通でされてないのがおかしいだとか、男で痴漢されるなんておかしいだとか言いたいわけではない。
どういう経験をしてきたかはひとそれぞれ千差万別いろいろあるものだ。
先日、この痴漢体験告白記事を読んだ。
非常に濃密な話なのでぜひ読んでほしい。

note.mu

このおがたまさんのように、性器に指を入れられるところまでいった人もいれば、私のように服の上から触られるだけだった人もいるし、全く縁がなかったって人もいるだろう。
それらはどれも嘘ではない。
変な言葉遣いだか、痴漢のされ具合にも、それを痴漢と受け止めるかどうかにも多様性があり、どれもおかしいものではないのだ。
だから、他人の痴漢され歴におかしい、それは嘘だ、なんて言わないでほしいし、あなたがおかしいと言われたとしても、言った人がおかしいのであって自分が悪いと思う必要はない。
それから、痴漢のニュースがあるたびに冤罪だと決めつけてかかり、「疑われた男がかわいそう」「この女はなにがしたいんだ」という発言をする人たちは、あなたのその発言を聞いている人のうち、女性なら3人に2人が、男性なら4人に1人が痴漢された経験があるということを考えてほしい。
もちろん所詮は嘘つき放題のtwitterのアンケートだし、どこから痴漢と呼ぶのかも特に指定せず各々の基準で入れてもらっただけなので、統計的価値などは微塵もない。
それでも、名前を出して告白できなくても、匿名ならこれだけの人が痴漢にあったと思っているということ、痴漢被害者は一部にしかいない例外的なケースなどではなく、どこにいてもおかしくない、ということはわかるだろう。
痴漢被害者を責める言葉を眉をひそめてみている人は、口に出さないから目立たないだけで、案外多いのかもしれないのだ。

これだけで終わってもつまらないので、私の痴漢経験も話そうと思う。
私が今回書く二件はどちらも中学生のときの話だ。
周りの痴漢被害の話を聞いていても中学生の頃のことが圧倒的に多いので、やはり中学生が狙われやすいのだと思う。

こういう話をすると必ず容姿の話題が出る。
当時の私は自分の見た目をキモくて撮ったらカメラが腐ると思っていた、卑屈ネクラ女だった。
眼鏡と伸ばしっぱなしの髪と、校則を守った芋臭い膝下のスカートと今時だれも履いてないような白ソックス。
あまり見た目に頓着していなかったが、制服が古典的なセーラー服だったこともあって、もしかしたら時代錯誤にも見えていたかもしれない。
3人に2人が痴漢された経験があるということからもわかるように、容姿なんて関係なく、誰でも被害者になりうるものだ。
誘うような格好をしているとか、美人だとか、おとなしそうだとか、そんな理由で痴漢されるされないが決まったりはしないと思っている。
私の容姿については、そういう風に「容姿に関係なく誰でも被害に合うのだ」と受け止めてもらえたら嬉しい。

中学受験をした私は中学から電車通学で、埼京線丸ノ内線を利用して通学していた。
服の上から触られる、というか、「たまたま当たっているだけかな?鞄かな?」「動いたけど、電車で揺れただけかな?」という、グレーゾーンは日常的にあった。
今思うと、男性はそういうことは日常的にはないらしいし、この年(23)になると満員電車にのってもそんなことは滅多にないので、やっぱりあれはわざとなんじゃないのか、と個人的には恨みたくなる。
少なくとも、意識すれば満員電車でも他人の尻と胸に手があたらないように避けることはできるってことじゃないのか。
ああ、法律的には痴漢は性器に直接触れなければ痴漢ではないらしいので、男性読者のみなさんは「たまたま服の上からあたっただけで痴漢扱いされるのか!」とか慌てないでほしい。
(追記)服の上から触れただけの場合、条例違反扱いになることが多いらしいです。

閑話休題。私はお母さんから「電車が揺れてないときも手が動いてたら痴漢」と教わっていたので、手が動いたら態勢を変えたり、それでもしつこく触ってくる場合は次の駅で車両を変えたりしていたので、ほとんどの場合はそれ以上のことをされることはなかったのだけれど、二回だけ今でも鮮明に覚えている痴漢があった。

ひとつめは、ぎゅうぎゅう詰めというほどの満員電車ではない、揺れると時折隣の人と肩が当たる程度の混み具合だったとき。
私が乗ってからずっとお尻になにかが当たっていたのだが、何駅かずっと、まったく動く素振りがなかったので、「動いたら痴漢」と母に言われた基準を守っていた私は、この人はわざとやっているのではないのだから痴漢あつかいしたら失礼だと思い、素知らぬ顔でそのままにしていた。
そしたら、私が降りる駅になって、降りようとした瞬間、その人がむんずと尻を掴んで揉みしだいてきたのだ。
今思い出しても腹が立つ。
私が黙って見逃していた間、ずっとニヤニヤして感触を楽しんでいたのだろうか。
そして急に揉まれたことに驚きながら、とっさになにも対処できずに人ごみに流され降りていく私をみて、心の中でほくそ笑んだのだろうか。
どう考えても相手を一人の人間として尊重した態度ではない。
私のことを、ものか、動物か、いずれにせよ一方的に性欲のはけ口にしていい、自分より下等なものとして扱ったのだ。
本当に許し難い。

もうひとつは、電車から降りた後気が付いた。
自分の足になにか濡れたものがあたって、雨でもないのに、水筒でもこぼしてしまったのだろうかと慌ててぬぐったら、手に、でんぷんのりを水で溶いたようなどろっと白濁した液体がついていた。
精液を見たことはなかったけれど、「白くてどろっとしたものだ」ということは知っていたので、まさかと思って、慌てて確認すると、それはスカートの裾について、そこから垂れてきたものだとわかった。
鑑定したわけではないのであれが精液だった証拠はないが、未だに、いや、今だからこそ、あれは精液だったのだろうなあ、と思っている。
だって、でんぷんのりを水で溶いたものを持ち運んで、それを電車の中でこぼしてたまたま女子中学生のスカートにかかるって、そんなのあまりに出来すぎだ。
だって通勤ラッシュの電車なんておっさんの方がよっぽど多いのだ。
でんぷんのりをかけられた女子中学生が1人いたら、でんぷんのりをかけられたおじさんが20人ぐらいいないとおかしい。
痴漢にかけられた、と思った方がよっぽど説得力がある。
こいつも、何も気が付かずに降りていく私を見て、そのあと気が付いて慌てふためく私を想像して、愉しんでいたのだろうか。
何度も言うが、私は痴漢を愉しませるためのおもちゃではなく、一人の人間だ。
馬鹿にするのも大概にしてほしいが、現状実際馬鹿にされたまま泣き寝入りするしかないのも事実だ。

このタイプの精液を残す痴漢はあまりに社会をなめている。
だって、遺伝子鑑定にかけられてしまったら特定されてしまうだろう。
この痴漢は、私の学校の先生も、親も、それを採取して警察に突き出すと、警察がそれを鑑定して自分を捕えに来ると、微塵も思っていないからこんなことをしたのだ。
痴漢は、社会が痴漢の味方をし、痴漢被害者に泣き寝入りするよう要求するとわかっていて、痴漢をやっている。

思い返してみると、私はお母さんの「手が動いたら痴漢だ」という言葉に随分救われてきたように思う。
あそこで、「あなたみたいな魅力のない学生が痴漢なんてされるわけない、全部思い上がりよ」と言われていたら、きっと今よりずっと深刻な被害にあっていた。
なんなら、自分が今子供に教えるなら、動いたら、と言わず、当たっている時点でグレーだから逃げなさい、と教えたい。
中学生はまだ、自分が性的な対象としてみられるということがよくわかってないかもしれない。
中学生にとっては、痴漢されようがされなかろうが、友だちとの話題のネタになるだけで、大して重大なことではないかもしれない。
少なくとも私はそうだった。
それでも、中学生の時点から守っておくことが、将来物事がわかるようになったときに、その人の尊厳を守ることにつながる。

おがたまさんも書いているが、まだ社会のことを知らない中学生がはじめて遭遇する、先生やお父さんではない知らない大人の男が痴漢なのだ。
「男は狼」なんて言葉もあるが、狼なんてかわいいものではない。
言葉が通じず、一方的に暴力を振りかざしてくるエイリアンってところだ。
テラフォーマーズのゴキブリ、あるいはエヴァンゲリオンの使徒、あるいはfgoのラフムだ。

はじめて出会う「知らない男性」がそうだったから、私は、世の男性全てを「上っ面では紳士的に接してくれるが本性は痴漢と同じ」と思っていた。
そこらでまるで人間みたいな顔してる男達のあいつもこいつも、痴漢加害者か、痴漢予備軍だと思っていた。
今思うと笑っちゃうけど、でも本当にそう思っていたのだ。
だってたまたま電車に一緒に乗りいれた周りに立ってる何人かの男のうち、数日に一度のペースで痴漢がいる。
男は、自分の意思を無視して好き勝手に性的に消費してくるのが当たり前なのだと思っていた。

今の彼氏と付き合ってようやく、そうではなくて、話が通じる人間と呼べる男性もいるのだとようやくわかったけど、それまで男性性を本当に嫌悪していたし、緩和されたとはいえ未だにその傾向はある。
それが生まれ持ってのセクシャリティなのか、痴漢以外の経験から来るものなのか、痴漢から来るものなのかはわからないが、多分全てだと思うし、痴漢から来る部分も小さくないと思う。
あれだけ痴漢に頻繁に遭遇していたのは、痴漢が多かったからではなくて、痴漢が狙って中学生女子の傍に来るからだったのだろうと、今なら思える。
スカートの中に手を入れられたことのない私でこれなのだ。
性器に触られるレベルの痴漢にあった人たちはもっと大きな傷を負うだろう。
中学生が痴漢されるという経験は、一生に影響を与え、男性と適切に性的な関係を結ぶとき、障壁になり続ける。

痴漢程度、なんて軽視していい問題ではない。
冤罪で無罪の人間が罰せられるのは司法の失敗で、被害者が悪いわけではない。
セカンドレイプという言葉が注目されはじめてきたことは嬉しいし、だからこそ私もこうして言えるようになったわけだけど、未だに理解を示してくれない人は多い。
社会が痴漢に対して寛大な姿勢を示すから、痴漢が生まれるのだ。
社会の理解があれば、痴漢はなくせると私は思う。
どうか、これ以上次の世代の子供たちが、痴漢で自尊心を傷つけられることがありませんように。

肯定と称賛の違い

twitterで最近ちょこちょこしていた話を、こっちにもtogetter的な感じにまとめておこうと思います。
あくまで私がここで使う言葉としての「肯定」と「称賛」であり、便宜上そう名付けて区別しているだけで、他のひとは異なる意味で「肯定」と「称賛」という言葉を使うこともあるでしょう。
というか、私自身、別の場面では別の意味でこれらの言葉を使います。
ここでいう称賛のことを肯定と呼ぶ人を責めるつもりは毛頭ないことを先に断っておきます。

「友だちが誉めても誉めても卑屈なことを言うばかりで変わってくれないので疲れてきた」とか、「誉められても全然嬉しいと思えない。自分は感情が麻痺しているのだろうか」ということってありますよね。
これは、私の言葉で言うと、「肯定」と「称賛」は違うもので、肯定を求めているのに称賛を与えると、こういう現象が起こるのだということです。
逆に、肯定には満足していても、称賛に飢えている人もいます。

キーワードとしては、肯定は「好き」「いいよ」、称賛は「すごい」「えらい」という風に思うと分かりやすいと思います。
あくまでキーワードであって、必ずではないですが。

最近はやっていた、「肯定ペンギンの赤ちゃん」シリーズありますよね。
「GW明けなのに午前中に起きて偉いね!」みたいなことを皇帝ペンギンの赤ちゃんが言ってくれるアレです。
あれは私に言わせると称賛です。
肯定なら、「頑張って午前中に起きたんだね。あなたのそういう頑張り屋なところ好きだよ」になります。
あるいは、「GW明けだと午後まで寝ちゃうんだね。そういう肩の力抜けててマイペースなところ好きだよ」とかでしょうか。
もちろん頑張り屋な結果午後まで寝ちゃう人とかもいるので、そういう人に対しては「頑張り屋なところ、好きだよ」になります。

「肯定」のポイント、一番重要になる芯、あるいは本質は、その人の「アイデンティティを受け入れる」ことにあります。
つまり、その人のことを十分に知って理解していることが大前提なのです。
その人が寝坊した理由が、時間に縛られずに気ままに過ごす人だからなのか、前日の夜頑張りすぎて疲れて寝てしまう人なのか理解している必要があります。
受け入れさえすれば、つまり責めずに存在していることを許せばそれだけで十分で、必ずしもプラスにとらえて誉める必要はありません。
誉めても構いませんが。
ここでいうアイデンティティ、というのは、子供のころから今までずっと変わらず、これからもきっと変わらないだろうと本人が思っているものです。
「変わらないだろうと本人が思っている」というだけで、本当に変わらないとは限りません。
実際アイデンティティはその人の人生の中で刻々と形を変えていきます。
高校までの私は、自分は絵を描く生き物だと思っていましたし、一生絵を描き続けると思っていましたが、今は言うほど絵を描いてません。

自己肯定感が低い人たち、肯定に飢えている人たちというのは、自分は世の中に受け入れられない、存在してはいけないものだと思っています。
社会のバグ、出来損ない、欠陥品、そんな言葉でよく表現される感覚です。
そういう人に、「そんなことないよ、存在していいよ」と伝えることが肯定です。

コンプレックスという言葉も、自己肯定感の低さと仲のいい言葉です。
一重だとか、トロいとか、あるいはもっと精神的な部分で、いつもつい人を傷つけることを言ってしまうとか。
そういう部分を「それを嫌う人がいても、その人との相性の問題であって、あなたが悪いわけじゃない」「私はそれは気にならない」と伝えることが肯定です。

「絵が上手」とか「点数が良くてすごい」とか「ちゃんと頑張っていて偉い」とかが、肯定にはなっていないことはわかっていただけたでしょうか。
称賛も称賛で大切なことです。
称賛と肯定のどちらが欠けても人間は生きていけません。
しかし、称賛は十分得られているのに肯定が片手落ちで苦しんでいる人に称賛を与えても、問題は解決しないのです。
自己肯定感の低さは本人にとっても、それを支えようとする周囲にとっても辛いもの。
この記事が解決のきっかけになったらいいなと思います。