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ハワイ大留学レポ~研究編~

 今月一日にハワイから帰国した。この前インド行ってたじゃん!とか言われそうだけど、インドから帰って三日後から、またハワイに飛んでハワイ大学に一ヶ月の短期留学をしていたのだ。学科の先生にハワイ大の先生と親しい方がいらっしゃって、その他にもたくさんの方々が学科間短期留学のために尽力してくださって、この留学は実現している。一年に一度お互いに二名ずつ学生を送り合うプログラムで、私たちは千葉大からの二度目の留学生だと言われた。留学プログラムの主な内容は、研究、授業の聴講。私はその他にも情報系サークルの見学もしてたけど、中でも一番貴重な経験は断トツで研究に携わらせていただけたことで、今回はその研究についてのレポートを忘れないうちに言語化しておきたい。

 私はビヨーン・ヒュースハンセン教授(Prof. Bjørn Kjos- Hanssen)の元で研究を手伝わせて頂いていた。ビヨーン博士の研究分野はオートマトンオートマトンは簡単に言えばパソコンのほんとの基礎の基礎の最低限の仕組みをモデル化したもの。情報系の、特に計算機科学の分野では大学二年生とかで習うような常識だろうけど、日本では数学科でオートマトンを習う学科は少ない。千葉大学の数学科はオートマトンを学べる貴重な学科だけど、それでも全員が学んでいるわけではない。留学中にやることを決めるために興味のある分野は何?と聞かれたときにはロジックとトポロジーと答えた気がするので、ロジックでもトポロジーでもないオートマトンの研究者のもとに配属されたのはなぜなのかわからない。オートマトンもかなり興味のある分野であることには違いはなかったし、結果的にとてもいい経験をさせていただいたので、これもきっと運命、巡り合わせなのだろう。

 研究を手伝わせていただいて、一番に思ったことは、「研究って、案外手の届くところにあるのかも」っていうことだ。もちろん、論文を書くのは決して簡単なことではないと思うし、数学で論文を書いている方々のことはビヨーン教授も含めとても尊敬している。数学の素養と、大変な努力の結晶が論文なのだと思う。それでも、以前の私が思っていたように、ほんの一握りの選ばれた人たちが人生をかけてようやくたどり着ける私にはまったく手の届かないものではなくて、私にもこれから頑張ればできるのかもしれない、と思ったのだ。

 手伝い、といっても具体的に私がやっていたことは、想像していたような具体的な実験や単純作業とは少し違うものだった。週に二回、チームのミーティングがある。最初は私とビヨーン教授と、研修生のような立場のヘイヨンさんの三人で、ビヨーン教授の部屋で行われていたけど、だんだん一人また一人と研究に興味をもった人が参加し、最終的には六人のうちその日空いている人四、五人が集まって空き教室でわいわい話す賑やかなミーティングになっていた。そのミーティングの中で、ビヨーン教授が研究について今考えていることや今後の課題を話す。すると、私や他のメンバーが、この部分の定義はどうなっているんだとか、こう考えたらどうかとか、そんなことをしゃべる。一時間から一時間半たってみんなのおなかがすいてきたらミーティングは終わり。そのままみんなで食堂に向かい、雑談をする。ご飯を食べ終わったら解散。しばらくするとその日のうちか翌日にビヨーン教授がメールでミーティングの内容をまとめたpdfを送ってくれる。私はそれを読んで、ふとしたときにぼんやり考えながら授業を受けたり他のことをしたりする。私のした「手伝い」はそんな生活だった。

 本当はミーティングでしゃべるだけが論文を書くことではもちろんなくて、ビヨーン教授がやってくださっていたtex*1化など他にもたくさんすることがある。私のした手伝いは、なんだか素人がプロの作った料理を味見して好き勝手感想を言うような、おいしいところだけやらせていただいくようなものだったと思う。それでも、素人紛いの発想が役に立ったこともあったようで、少しずつ完成していくpdfに私のアイデアが盛り込まれていくのを見ると、お膳立てされた留学プログラムなりになにかをした気分になった。たまたま今回は新しい論文のテーマを模索している研究段階だったから美味しいところをいただくような形だったけど、やることがほとんど決まっていたらまた違う当初想像していたような単純作業を手伝うことになっていたのかもしれない。この一ヶ月はひとつの論文が発表されるまでのスパンのほんの一部にすぎず、実際に論文を出すにはもっともっとたくさんのやることと苦労とがあるのだろう。それでも、少なくともアイデアにおいて、今の私でもある程度は通用すると、手も足も出ないわけではないと感じたことで、論文を出すというものが今までよりずっと実感を伴って見られるようになった。

 幸いなことに、日本に帰国してからも、チームとして連絡を取り合って研究の手伝いを継続させていただけることになった。これは、とても光栄で貴重でありがたいことだと思う。論文というものが、いかにはじまって作られて発表されるのか、そのひとつのサイクルを最後まで間近で見ることは、きっと私の将来に大きな意味をもつと思う。

 この留学の中で、ひとつ強く感動したことがある。それは、昼食中の雑談だ。最初はどこの食べ物がおいしいとか、あれはおいしくないとか話していたのだけれど、研究者が集まれば、自然と話題は数学や計算機科学に向かうのが性。誰の研究は厳密にはなんと呼ばれる分野なのか、とか、計算可能性とはどこからどこまでを指す分野なのかとか、すぐそんな話題にシフトしていく。私はもともと大勢で話すと日本語でだっていつ口をはさんでいいかわからなくなるし、やはり日本語ほどは英語は話せないので、話を振られない限り自分からは話さなかったけど、聞いているだけでもとても楽しかった。将来のために他の人から技術を盗もうとか、できるところを見せて自分の評価ををあげようとかじゃなくて、自然とただそれが楽しいから数学の話をする。楽しいから延々といつまでも話している。高校を卒業して数学研究会の友達と会わなくなってから、彼らがそれぞれの専攻に進んで数学の話をしなくなってから、時間に取り残されたようにずっと私が探し求めていたものがここにあったと感じた。小学生が恐竜やカブトムシに目を輝かせるように、私にとっては数学の話を聞かせてくれる友達は夢の詰まったとてもキラキラした宝物だ。あるいは、猿が木に登るように、ハムスターが狭いところに落ち着くように、私にとってはこれが、自分の生態に合った自然でストレスのない環境であるとも感じた。

 数学徒同士で数学の話をするのは、ビヨーン教授たちだけではない。同じロジックの授業をとっていたダニエルたちともよく宿題のことや授業のことで延々と議論をした。千葉大学にはあまりそういう話に付き合ってくれる友達はいない。なんとなく、みんな各々勉強していて、議論しながら学ぶ習慣はないように思う。私は、話し相手がいた方が楽しくて、勉強しやすくて、頭も一人のときより働く気がするんだけど、一緒に勉強しようと誘ってもあんまりみんな乗り気ではなさそうだ。みんなが一人の方が勉強しやすいと、一方的に教えるとかならともかく、一緒だと勉強しにくいと言うなら、それは尊重するしかないけど、なんだか寂しかったりする。できるだけ、一緒に数学を議論してくれる友達は大切にしたいし、そういう人がいる環境に身を置きたい。

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*1:数式をpdfにするのに優れたプログラミング言語