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「日本人」の境界線

「日本人」という言葉が指す範囲について、あなたは考えたことがあるだろうか。

「日本人」という言葉は非常に曖昧だ。

日本国籍」は法によって明確に定義されているが、「日本人」という言葉はもっと複雑なものだ。

第二子の誕生に合わせ、中国から日本へやってきた夫婦が帰化し、日本国籍を取得したら、「日本人」だろうか。

日本人と外国人の間に生まれたハーフで、日本国籍を持っていたら、「日本人」だろうか。

あるいは、文脈によっては、日本で日本人夫婦の間に生まれても、幼少期に海外で育った帰国子女なら「日本人」には含まれないかもしれない。

私は日本生まれ日本育ちだが、学校で出会った友達には、そういった「日本人」と「外国人」の境界線上にいる友達が何人かいた。

弟が生まれるときに中国から日本へ移り帰化した、20日(はつか)がわからず「にじゅうにち」と言ってしまう女の子。

私の小学校に転校してきたその子とは、よく一緒に下校して、その子の家でポケモンごっこをして遊んだ。

生まれる前に両親が中国から日本へ移ってきた、日本語が完璧で中国語がカタコトな中国国籍の男子。

サザンが大好きな彼とは、一時期恋人関係だったけれど、そのころの思い出はどれもよくも悪くも鮮烈で、一生忘れられそうにない。

日本語も韓国語も上手に話す、韓国国籍の男子。

彼は数学がとてもよくできて、他の人たちが数学の話を避けようとする中、彼は数少ない私の数学話に付き合ってくれる友達だった。

中国国籍で、日本語は完璧だが、日本人に馴染めず留学生たちとよく一緒にいる男の子。

彼は留学生コミュニティ一の人気者で、一度会って話しただけですぐに仲良くなって、その後留学生の寮で開かれるパーティに招いてくれた。

他にも、英会話教室のイギリス人やアメリカ人の先生、帰国子女、留学生なども含めたら、日本で出会った「日本人」の境界線上にいる人はもっとたくさんいる。

その誰もが私にとって大切な人だ。

そして、彼らの多くは、「日本人」という言葉の壁を経験している。

彼らは「日本人」には入れないことがままある。

「日本人は勤勉だ」などと言うとき、彼らの存在はそこに意識されていないのではないだろうか。

高校生ぐらいまで、私は、あるいは私の高校の友達達は、その問題を意識していなかった。

中国国籍でも、韓国国籍でも、私たちにとって一介の同級生でしかなかった。

意識するようになったのは大学に入ってからだ。

ひとつだけ、高校生のときに、ほんの少しだけその壁を感じた思い出がある。

クラスにほとんど友達のいなかった私と、一人だけ一緒にお弁当を食べてくれる物好きのクラスメートがいたのだけれど、

彼女がある日いつものように一緒にお弁当を食べているときにこう言ったのだ。

「中国人と付き合ってるって恥ずかしくないの?私には無理」

不思議と、怒りとか悲しみとか、そういう黒い感情はなかった。

「まあ、この子ならこう言うかもなあ」

と妙に納得した気分だった。

中国人だから付き合ってて恥ずかしいなんて発想がまるでなかったから、ただただ単純にそんな考えもあるのか、と感心して、

国籍がなんであろうと同じ高校生同士というぬるま湯に浸かっていたところに、冷や水を浴びせられたような、現実に引き戻されたような、そんな気がした。

でも、高校生のときに壁を感じたのはそれっきりだった。

多分、私の高校は人種とかそういう問題を気にしない人が多い高校だったんだろう。

人種問題に詳しく理解があるというよりは、大多数はただ単純に子供のころからそういう環境だったから、それが普通、と受け入れているだけだった気がする。

大学は、いろんな高校から、いろんな考えの人が来ていた。

大学で出会った、中国から生まれる前に移住してきた人の高校は、私の高校とは全然様子が違っていたようだった。

境遇だけなら、私の元カレとまったく同じだ。

日本語が堪能で、中国語は若干怪しい。

まだ帰化しておらず、国籍は中国のままで、中国名をそのまま名乗っている。

彼に、私の元カレと同じだ、と言ったら、それはそれはびっくりしていた。

中国人と付き合うやつなんているのか、と。

その言葉は高校のときに友達に浴びせられたものと、意味は一緒だったけど、でもそこにこもる気持ちは全然違っていた。

中国人には恋愛なんて許されないんじゃなかったのか、そんな普通の他の人と同じように暮らしている中国人がいるのか、羨ましい、とか、そんな気持ちだったんだと思う。

きっと、彼の生きてきた人生の中で、日本に住んでいる中国人というのは常に特別な存在で、好奇や奇異や嫌悪やいろんな目線を向けられる存在で、同じ人間として扱われるものではなかったのだろう。

中国語が母語ではない彼は、中国に帰っても疎外感を感じるらしい。

自分は中国人なのか、日本人なのか。

どっちでありたいのかすら曖昧で、自分が帰属する集団がわからないというのは、さぞストレスだったことだろうと思う。

私も、長らく男子にも女子にも入れなかったから、わかる。

所属がわからない、自分が何者なのかわからないという、ただそれだけのことでも、少しずつ毒のように溜まっていく。

社会は、日本人か外国人か、男か女か、必ずどちらかに所属するものだと思っている。

女なら、女友達とおしゃべりをしていればいい。

男なら、男友達とゲームかスポーツをしていればいい。

そうすれば、友達ができて、ひとりぼっちにならなくて済んで、困った時にも友達に助けてもらえる。

そんな風に、人間をふたつに分けて、「こうしておけば大丈夫」が作られている。

こっちに所属しているなら、こうしておけばうまくいく。

あっちに所属しているなら、ああしておけばうまくいく。

じゃあこっちともあっちとも思えない自分はどうしたらいいの。

おしゃべりは好きじゃないけど、身体的には女の私はどうしたらいいの。

ことあるごとに、身じろぐ度に、ちょっとずつ、少しずつ、首が締まって息が詰まっていく。

思えば、私の高校も、私や私の友達が国籍も「日本人」も「外国人」も気にしない人たちだっただけで、気にしている人は気にしていたのかもしれない。

私の高校には、私の友達だったふたり以外にも、韓国国籍の人はいたし、もしかしたら、その人の周りの友達は、人間を「日本人」と「外国人」に分けて考えていて、ずっと息が苦しかったのかもしれない。

今の私は、ASDという名前を、所属する集団を見つけたし、大学で出会った彼も留学生という名前を見つけたのだろう。

ねえ。

「日本人のために働きたい」とか、「日本人なら美しい言葉を使え」とか。

そういうことを言うとき、その視界に「日本人」の境界線上の人間は映っていますか。

悪いことを言ってるとは思わない。

その人の人生の中で蓄積された経験が、そういう言葉を生み出しているのだろうから。

でも、もし、できるなら、「他人/日本語話者のために働きたい」とか、「汚い言葉は避けた方が人に好かれるよ」とか、そんな風に、「日本人」という言葉を使わない言い方に変えてもらえませんか。

それだけで、きっとたくさんの境界線上の人たちが救われる。

かけ算順序問題について、一言

最近、ツイッターは小学校算数で掛け算の順序が模範解と異なるときにバツにすることの是非についてもちきりだ。

そんな中、こんなツイートを見かけ、少し話をした。

このツイートにもリプライで私の意見を述べたが、この内容はもっと多くの人に発信するべき、という気がしたので、ブログにも書いておこうと思う。

先に言っておく。私は、掛け算の順序が逆でもマルにするべきだと思う。

だから、マルにするべき派の意見を否定するつもりは毛頭ない。

それでも、バツにするべき派の気持ちも私にはわかるので、その気持ちも理解して配慮した上で、マルにするべきを主張してほしいな、と思うのだ。

私は教育関係者ではないので、ここから書くバツにするべき派の気持ちは全て推測でしかないが、読んで、考えていってほしい。

整数の掛け算については、順序を交換しても結果は変わらない。

それは、紛う事なき数学的事実ではある。

ただ、教育というのは、数学的に正しいかどうかだけでは回らない。

教育現場に携わる人たちが真っ先に考えるのは、子供の指導、成長だ。

もちろん、かけ算は順序を交換しても構わないと理解した上で順序を変えて書いている生徒もいるだろう。

ただ、きっと雑多な生徒が集まる小学校のこども達の中には、大学数学を習ってしまった今となっては、想像もつかないような発想で解答を書くこどもたちもいるのだ。

そして、その発想は、正しく他のケースにも応用できるとは限らない。

例えば

「箱が5つあります。それぞれの箱に6つずつりんごが入っています。全部でりんごはいくつあるでしょう」

という問題に、

「5×6=30」

と答えた生徒がいたとする。

もしかしたら、この生徒は正しく、順序を交換してもいいから6×5を5×6と書いてもいいはずだ、と思って書いたのかもしれない。

あるいは、それぞれの箱から1つずつ取り出す操作をしたら5つのりんごが手に入って、その操作を6回できるから5×6だと考えたのかもしれない。

その場合は問題ないし、指導の必要はなく、ただマルをつけて褒めてあげればいいだろう。

でも、もしかしたら、5と6という数字をみて、今かけ算を習っているから、最初から出てくる順番に数字を並べて「5×6」としたかもしれない。

そうであれば、今回はたまたま正しかったけれど、他の問題で同じ考え方で解答をしたら間違いになってしまう。

その考え方でいくなら、例えば、

「箱が5つあります。全部でりんごは30個あります。それぞれの箱に同じ数ずつりんごが入っているとき、一つの箱に何個りんごが入っているでしょう」

という問題は「5÷30」となってしまい、正しく解けなくなってしまう。

現実に、こんな風に単純に順序で考える生徒がいるのかは、わからないが、これ以外にもきっとたくさんの想像もつかないような考え方で答えを出している生徒がいるだろう。

それを言うなら、順序だけ見たって、たまたまその順序で当たっただけで考え方が間違っている可能性はある。

例えば、さっきの例なら、たまたま「数字の出てくる順番と逆の順番に並べて、間に×を書く」と覚えていれば、たまたま答えは正しくなってしまって、その生徒は理解しないままになってしまうだろう。

でも、それを先生に見分ける方法はないのだ。

先生が生徒の答案を見たときに推測できることは、「かけ算の順序が正しい子は理解しているだろう。かけ算の順序が逆になっている子は理解していないかもしれない」ということだけだ。

だから、順序が正しければマル、逆になっていればバツにしてしまう。

もちろん、私はこのやり方に賛同はしない。

私は、生徒はバツをつけられれば苦手意識を持つし、できるだけ微妙な解答はマルにしてあげてほしい、と、理解してないのなら、マルにした上で補足説明をしてあげてほしいと思っている。

でも、マルがついているのをみたら、そこで満足して振り返らず、先生のコメントが書いてあっても読まない子だっているのかもしれない。

だから、このかけ算の順序の件については、できればマルにしてあげてほしいなあ、と思いつつ、その生徒を観察し、対話した上で、先生がバツをつけるべきだと思ったのなら、それも仕方がないのかなあ、とも思っている。

マルにするにせよ、バツにするにせよ、少なくとも、生徒の声に耳を傾け、生徒の考えを理解しようと、生徒の自尊心を育てようという意識を持って判断してほしい、というのが私の願いだ。

補足:

順序を逆に書くことをバツにすることが問題として取り上げられたのは、元はと言えば「吹きこぼれ」の問題だろう。

吹きこぼれ、というのは、落ちこぼれの反対に、能力が高すぎて浮いてしまう、馴染めない、先生に叱られるなどのトラブルを抱えた生徒のことだ。

きっと最初は、わかっていて掛け算の順序を逆にした、能力の高い方の生徒がバツにされて悲しい思いをしている、という話からこの話題ははじまっていて、それはまさしくこの吹きこぼれ問題だ。

個人的に、吹きこぼれてしまって苦労している生徒は本当にかわいそうだし、なんとかしてあげたいし、吹きこぼれの生徒を配慮しようという取り組みはとても評価している。

ただ、それが、履き違えて、吹きこぼれでも落ちこぼれでも全ての生徒に大して順序を逆にしても何も文句を言わずにマルにするべき、というのはちょっと違うんじゃないか、と思っている。

吹きこぼれの生徒に必要なのは、理解と個別の対応だ。

全ての生徒を吹きこぼれの生徒を基準に対応しようとしたらうまくいかないし、他の生徒と同じ対応を吹きこぼれにしようとしたってうまくいかない。

私個人は、吹きこぼれでも、そうでなくても、全ての生徒が特別扱いされて、全ての生徒に対してその個性にあったハンドメイドな教育が施されたらいいと思っているけれど、現実にはそうもいかない。

他の子を特別扱いする、ということに対しての社会の理解はなかなか得られないし、先生だってそこまでしてあげられるだけの時間的余裕はない。

先生は、あっちをとればこっちが立たず、こっちをとればあっちが立たず、世間の目や保護者のクレームや上の要求に挟まれて大変だ。

もしかしたら、この掛け算順序問題に関しては、吹きこぼれの生徒には、

「あなたが掛け算をちゃんとわかって逆に書いたのはわかっているんだけど、わからずに順序を逆に書く生徒はバツにしなくてはならないし、あなただけマルにはできないから、バツにさせてもらった。でも、あなたがわかってるのはわかるから。次からは先生がバツにしなくて済むようにに正しい順序で書いてくれる?」

と説明すればわかってもらえる気もする。

なんなら、生徒によっては言われなくてもわかってくれるかもしれないが、自閉傾向がある吹きこぼれの生徒などは言われないとわからないこともあるだろうし、たとえ言われなくてもわかっていたとしても、やっぱり先生から一言あれば安心感が違うと思う。

でも、毎度毎度こういう対外的な問題も配慮した解決策があるかわからないし、いずれは先生だけではない社会の吹きこぼれへの理解が必要だ。

この問題は、きっとすぐに解決できるものではない。少しずつ、社会の理解が広まり、先生の待遇がよくなり、クラスの人数が減って、生徒一人一人に合わせた「全員が特別扱い」になれる教育が広まっていったらいいなと思う。

理系女子は損か得か

理系女子は損か得か。ぶっちゃけてしまえば真面目にその問いの答えを考える気なんてない。答えは決まってる。損なとこもあるし得なとこもある。今回はただつらつらと深夜テンションのままに自分の考えを吐き出したいだけの話。

以前お茶の水女子大学で開催された「Seminar for women in computer」というセミナーに参加したことがある。2015年の3月あたりだろうか。その時期に開催された国際会議のために来日していたドクターから教授まで様々な立場、国籍の女性情報研究者がそれぞれの人生をお話ししてくれるというセミナーだった。当時私は一年生で、自分の専門について右も左もわかっていなかったけれど、このセミナーはロールモデルとして未だに私の姿勢に影響していると思う。

このセミナーから得たものは本当に多くて、そこで出会ったドクターの人とはその後先春のボストン旅行で再開し、進路についてアドバイスももらったりして、一記事では語り尽くせないのだけれど、印象的な言葉をひとつか紹介したいと思う。現在MITでポスドクをしているナディアが言っていた言葉だ。

「女性であることで損をすることはあるか。これはよく聞かれる質問ですが、私は個人的には損や得をしたと思ったことはありません。ただ、女性であると、それだけで目立ちます。覚えてもらいやすくなります。それを損にするか得にするかはあなた次第です」

私はこの話を聞いたとき、とても納得した。それから一年半、女子率が一割を切る数学科で学んできたけれど、その意見は変わらない。まったく、その通りだ。私は男女比が半々の高校のときから、悪く言えば浮きがち、よく言えば目立つ、目を引く学生だったけれど(目立つがいい意味だと思うかは人によるかもしれないが)、大学に入って環境の女子率が格段に下がってからはより顕著になった。

こっちは何度会ってもなかなか名前が覚えられないのに、相手には一発で覚えられる。なんなら会う前から知られている。困るを通り越してもう開き直って気にならなくなりつつある。「君が噂の小林さんか。」ですよねー。知ってた。そんな調子だ。先生にも覚えてもらえる。今のところは先生に意地悪されたことはないし、この点については損より得ばかりさせてもらっている気がする。ただし、遅刻とか課題出し忘れとかするとすぐバレる。てへ。

損だと思うこともある。他の男子学生同士が楽しそうに数学の話をしているとき、私はそこに混じれない。なんとなく壁を感じてしまう。実際に話しかけても、どことなく、「女子が来た、どうしよう」という緊張感というか、おろおろ感というか、困らせてしまっている、相手がのびのびとできていない、という雰囲気を感じる。いつの間にか、会話のキャッチボールは男子同士の中だけで飛んでいて、私は一応形上はわっか上に並んだ人の列の一部であるけれども、まるで柱のようにスルーされているような気持ちになる。だから、男子に話しかけるのは、男子が一人でいるときだけだ。私が自主ゼミを企画していたとき、他の学生も身内の自主ゼミをはじめたらしく、私が知ったときにはもうはじまっていて、私もその内容には興味あったのに、と悔しい思いをした。私だってわいわい数学の話をしたい。仲間にいれてほしい。他の女子なら混じれるのかもしれないし、私が男子でも混じれなかったのかもしれないけど、程度はともかくとして女子であることが混じりにくさに拍車をかけているという気はするのだ。

その分女子同士の結束は固い。うっかり課題を忘れたり遅刻したりしがちな私はほんとに助けてもらっている。彼女たちのおかげで生き延びられている気がする。感謝しきりだ。

幸いなところ、私は今のところ「女子は理系科目は苦手だろ」「女がやってる学問はどうせお遊び程度なんだろ」「髪を伸ばしているのがセックスアピールのようでなめているし不謹慎だ」のようなあからさまに差別的な態度を感じたことはない。もしかしたら態度に出さないだけで思っている人はいるのかもしれないけど、私が不愉快な思いをしてないならいずれにせよ問題じゃない。話に聞く限り、あるところではあるらしいし、そういう環境にいる女性は本当に苦労するだろうと思う。どちらかというと私個人は得させてもらってることの方が多い気がするけど、そういうところにいたら、損の方が多いと思うかもしれない。

「なんで女なのに数学やってるの?」と聞かれたこともない。普通聞かれるものらしい。ほんとうに環境に恵まれているとしかいいようがない。あほみたいにすぐ人を信頼してなつくのも、そういう目にあってこなかったからかもしれない。まあ、これからも合わないとは限らない。研究室と研究内容が決まり、学会とかに顔を出すようになれば、新しい人たちとの出会いもある。その人たちが女性である私を必ずしも受け入れてくれるとは限らない。受け入れてもらえなかったとして、そのとき自分がうまく対処できるのかもよくわからない。

社会的なもの、差別的なものに関しては、女子率の低い分野で女子であることって、少なくとも私が感じている範囲ではこういう感じだ。恋愛の機会については(笑い事じゃない。人生の半分はワークで残りの半分はライフで、そのライフのでかい部分を占めるのが家庭なんだから、恋愛は大問題だ)、男子にとっても女子にとってもこの男女比は様々な悩みの原因になっているだろうと思うけれど、めちゃくちゃややこしいし繊細な問題なのでここでは触れないでおく。

ちなみに、私が女子で得したと一番強く思う瞬間は、IT系資格試験の休み時間に長蛇の列を作る男子を尻目に悠々とトイレに入るときだ。

Web管理係の引き継ぎをした振り返り

私はこの一年間サークルでWeb管理係をやっていたのだけれど、その引き継ぎが今日行われて、私は任期を終えることになった。思えば、一年前の今頃は基礎中の基礎であったpwdすら怪しいものだったから、ただのうのうと言われるがままに操作していただけのわりには、一年間で随分サーバー管理に詳しくなったものだと思う。それにしたって、まだまだひよっこではあるけど。

この一年間で、サークルのサーバー構成は随分と変わった。というより、M2の先輩のいかろちゃんが変えた。私が知っている限りは、先代、先先代ではサーバー構成の変更はほとんどなかったので、激動の一年を担当させてもらえたと思う。サーバー構築もansibleという構成管理ツール*1で自動化され、しかもそのansibleもgithubでバージョン管理*2されるようになった。今後サークルのサーバーに変更を加えたくなったら、直接サーバーをいじるのではなく、ansibleをいじり、そのansibleのバージョン管理を的確にgithubで行う必要がある。うちのサークルはサーバー管理サークルではないし、そもそもプログラマばかりでもない。次の代のみんながみんなそんな技術を持っているわけではなく、次代のWeb管理係も例に漏れず、一からのスタートだ。つまり、私の仕事はまだ全然終わっていない。私がいかろちゃんにそうしてもらったように、これからは私が後輩を育成していく番なのだ。とはいえ、いざとなったらいかろちゃんがなんとかしてくれる。この安心感は心強い。いかろちゃんといういい指導者、教育を受ける環境に恵まれたと思っている。

さて、以下はその後輩指導の第一歩として、今日の引き継ぎを振り返ってみようと思う。自分自身反省するためのメモのようなものだ。今日の引き継ぎには、いかろちゃんこそいなかったけれど、先先代Web管のkakiraさんも同席してくれた。話はまず、Web管理係って何をするの?というところからはじまる。

これはかなり難しい問いだと思う。障害対応、サーバー構成の変更、セキュリティの設定、議事録のアップロードを含めたHPの更新、etc。サークルのサーバーに関わることはなんでもやるのだ。ただ、忙しい中興味のないことを無理にやらせてもお互い得はない。そもそもサークルは仕事ではないし、それぞれができることをできる範囲ですればいいもの。だから、後輩がなにをどれだけしたいかを尊重するつもりだ、やらない部分は他のサークル員にも協力してもらうなどの代案をこちらで考える、と伝えたら、「なにができるようになるんですか?」という質問。これまた難しい。一年間、本業の学問やサークルの他の活動で忙しいなか少しずつ学んでいくのであれば、できるようになることももちろんあるが、できないことも多い。私はこの前SSL証明書の取得に伴うwikiの障害の原因が一人では特定できず、いかろちゃんの力を借りたし、サーバーの移転に伴い、会則の変更差分が移行されていなかった問題も、HPがansibleで管理されていないため直にサーバーにアップロードしなければならないことがわからず、いかろちゃんに質問をした。少なくとも私の一年での成長はこんなものだ。

今日の引き継ぎの目的は以下の三つだった

  • 議事録をアップロードできるようになってもらうこと。そのための環境構築

  • 後輩がサーバー管理にどのように関わりたいのかの希望の確認

  • 今後の予定決め

ひとつめに関しては、かなり苦労した。新サーバーでは、いかろちゃんがpython2*3で動くマクロを使って議事録を自動的にアップロードできるようにしてくれているのだけれど、それにfabric*4というライブラリを用いている。これが、私のUbuntu*5機では比較的あっさりインストールできたのだけれど、後輩のWindows7にはなかなか入ってくれなかった。

http://qiita.com/yuu116atlab/items/79f92dd38b79364b8e68 http://qiita.com/Kuchitama/items/18b63271bf706e34e8b1 http://k-holy.hatenablog.com/entry/2013/04/08/202042

これらの記事を参考にインストールしようと試みたものの、どうにもうまくいかなかった。最終的には、Microsoft visual c++ 9.**6が必要というエラーメッセージが出て、古いバージョンのC++を追加するのは危険、というkakiraさんの進言に従い、Windowsへのインストールは諦めることにした。代わりに、仮想マシンを立ててもよかったのだけれど、また仮想マシンの環境構築に時間がかかるので、サークルの予備サーバーのCentOS*7ssh*8で遠隔操作し、予備サーバー上から議事録をアップロードすることに決めた。しかし、CentOSへのインストールにも罠があり、fabricをインストールするのに必要なPyCrypto*9がインストールできない。

http://qiita.com/satoruf/items/6844755b6378fedde037

最終的に、kakiraさんがこの記事を見つけてインストールしてくれた。それから、コマンドコンソールからのsshもうまくいかなかったらしく、Tera Term*10を使ってアクセスしていた。Tera Termでscpもできるらしい。Tera Term、Windowsの良心だな、と思った。

というわけで、最終的には議事録のアップロードはWindows7からサークルの予備サーバーにTera Termのscpで議事録を送り、sshでログインし、pythonを動かす、という形になった。回りくどいことこの上ないけど、予備サーバーがインストール等のときに若干重い以外は案外ちゃんと動いてくれる。実際にアップロードも無事成功した。結果的にCentOSからアップロードすることになったことで、後輩にWindows7では使えないmv、pwd、lsなどの基本的なコマンド*11も教えられた。よかったよかった。今思うと、サークルの予備サーバーからアップロードした方が、今度毎年Web管理係が変わって行っても個々のパソコンの環境に依存せず同じ環境を使うことが出来るので、かえってよかったのかもしれない、という気もする。しかし、予備サーバーもなかったらLinux仮想マシンを立てるしか方法はなかったのか。fabric、ほんとにWindowsでは動かないのだろうか。なんというか、Windowsはサーバー管理にはつくづく向いてない。

今後については、現在会則が古い分+更新差分のpdf2つで管理されているので、古い会則の元となったTeX*12を更新し、githubでバージョン管理したいという問題に対応してもらおうかなと思っている。後輩にまずはgithubに慣れてほしかったので、その意味でもちょうどよさそうだ。新しく作った会則のpdfのHPへのアップロードまで手が回るかは怪しい。少しずつ段階を追って慣れて行ってほしいので、TeXのバージョン管理でいっぱいいっぱいのようなら、アップロードは私がやろうかと思っている。もし余力があれば後輩の現Web管理係にやってみてもらおうと思っているけど。

会則TeXなの?というのは誰に言っても突っ込まれるポイントだ。確かにTexは優秀な言語ではあるけど、会則を書くにはゴツすぎる。これから会則を変更する人たちは全員TeXを学ばなければいけない。正直私の目から見てもmd*13で十分だろうという気はする。mdを学ぶのはTeXを学ぶのに比べたらめちゃくちゃ簡単だ。TeXを学ぶ大変さが麻雀のルールを覚えるぐらいとするなら、mdを学ぶ大変さはババ抜きのルールを覚えるぐらいだ。それでもTeXを会則に使う理由はただ一つ、現行のものがなぜかTexで書かれているからだ。多分、会則が作られた当時まだmdが普及していなかったのだと思う。それか、書いた人がちょうどTeXがマイブームで使ってみたかったのかもしれない。とにかく理由は何であれ、私はそれをmdに書き直したくない。面倒くさいし、こういう堅苦しい書類ものはあんまり頻繁に大きく手を加えるものではない気もする。写し間違えて怒られたら嫌だ。これで、TeXが今時どこでも使われていないおわコン(死語)であれば、TeXで書かれた会則は負の遺産だし、早めにmdに移行してしまおうとも思うが、TeXは全然おわコンではなくまだまだ学ぶ価値のある技術なので、いい勉強になるのではないだろうか。そんな理由で別にTeXのままでもいいんじゃないかな、と私は思っているけど、いかろちゃんは気になるらしい。正直私はどっちでもいいので、現Web管本人がmdにしたいと思うのであればmdに直してもいいんじゃないかとは思っている。

*1:プログラミングした通りにサーバーの設定等を行ってくれる

*2:ファイルの更新履歴を保存しておいてくれる。変更によってなにか重大なエラーが発生したときに簡単に元の状態に戻せる

*3:わりとなんでもできるプログラミング言語

*4:離れたところにあるサーバーに通信するのに使うらしい

*5:WindowsMac等のOSと同じ働きをしてくれるもの。Linux系と呼ばれる

*6:c++というプログラミング言語のバージョン9シリーズ。今は14とか、古いもので11とかが主流なのでとても古い

*7:WindowsMac等のOSと同じ働きをしてくれるもの。Linux系と呼ばれる

*8:通信の方式のひとつ。暗号化されるのでセキュリティ的に安全

*9:よくわからないけど多分名前的に暗号化等に使うライブラリ

*10:Windows用ソフト。ssh接続をうまいことやってくれる

*11:ファイル構成を確認したり編集したりする方法の一つ。サーバーによく使われる低機能のパソコンでも使えるのでサーバー管理に必須

*12:数式等をpdfにするのに優れたプログラミング言語

*13:markdownというプログラミング言語。html、pdfなどの文書がめちゃくちゃ簡単に書ける

ハワイ大留学レポ~研究編~

 今月一日にハワイから帰国した。この前インド行ってたじゃん!とか言われそうだけど、インドから帰って三日後から、またハワイに飛んでハワイ大学に一ヶ月の短期留学をしていたのだ。学科の先生にハワイ大の先生と親しい方がいらっしゃって、その他にもたくさんの方々が学科間短期留学のために尽力してくださって、この留学は実現している。一年に一度お互いに二名ずつ学生を送り合うプログラムで、私たちは千葉大からの二度目の留学生だと言われた。留学プログラムの主な内容は、研究、授業の聴講。私はその他にも情報系サークルの見学もしてたけど、中でも一番貴重な経験は断トツで研究に携わらせていただけたことで、今回はその研究についてのレポートを忘れないうちに言語化しておきたい。

 私はビヨーン・ヒュースハンセン教授(Prof. Bjørn Kjos- Hanssen)の元で研究を手伝わせて頂いていた。ビヨーン博士の研究分野はオートマトンオートマトンは簡単に言えばパソコンのほんとの基礎の基礎の最低限の仕組みをモデル化したもの。情報系の、特に計算機科学の分野では大学二年生とかで習うような常識だろうけど、日本では数学科でオートマトンを習う学科は少ない。千葉大学の数学科はオートマトンを学べる貴重な学科だけど、それでも全員が学んでいるわけではない。留学中にやることを決めるために興味のある分野は何?と聞かれたときにはロジックとトポロジーと答えた気がするので、ロジックでもトポロジーでもないオートマトンの研究者のもとに配属されたのはなぜなのかわからない。オートマトンもかなり興味のある分野であることには違いはなかったし、結果的にとてもいい経験をさせていただいたので、これもきっと運命、巡り合わせなのだろう。

 研究を手伝わせていただいて、一番に思ったことは、「研究って、案外手の届くところにあるのかも」っていうことだ。もちろん、論文を書くのは決して簡単なことではないと思うし、数学で論文を書いている方々のことはビヨーン教授も含めとても尊敬している。数学の素養と、大変な努力の結晶が論文なのだと思う。それでも、以前の私が思っていたように、ほんの一握りの選ばれた人たちが人生をかけてようやくたどり着ける私にはまったく手の届かないものではなくて、私にもこれから頑張ればできるのかもしれない、と思ったのだ。

 手伝い、といっても具体的に私がやっていたことは、想像していたような具体的な実験や単純作業とは少し違うものだった。週に二回、チームのミーティングがある。最初は私とビヨーン教授と、研修生のような立場のヘイヨンさんの三人で、ビヨーン教授の部屋で行われていたけど、だんだん一人また一人と研究に興味をもった人が参加し、最終的には六人のうちその日空いている人四、五人が集まって空き教室でわいわい話す賑やかなミーティングになっていた。そのミーティングの中で、ビヨーン教授が研究について今考えていることや今後の課題を話す。すると、私や他のメンバーが、この部分の定義はどうなっているんだとか、こう考えたらどうかとか、そんなことをしゃべる。一時間から一時間半たってみんなのおなかがすいてきたらミーティングは終わり。そのままみんなで食堂に向かい、雑談をする。ご飯を食べ終わったら解散。しばらくするとその日のうちか翌日にビヨーン教授がメールでミーティングの内容をまとめたpdfを送ってくれる。私はそれを読んで、ふとしたときにぼんやり考えながら授業を受けたり他のことをしたりする。私のした「手伝い」はそんな生活だった。

 本当はミーティングでしゃべるだけが論文を書くことではもちろんなくて、ビヨーン教授がやってくださっていたtex*1化など他にもたくさんすることがある。私のした手伝いは、なんだか素人がプロの作った料理を味見して好き勝手感想を言うような、おいしいところだけやらせていただいくようなものだったと思う。それでも、素人紛いの発想が役に立ったこともあったようで、少しずつ完成していくpdfに私のアイデアが盛り込まれていくのを見ると、お膳立てされた留学プログラムなりになにかをした気分になった。たまたま今回は新しい論文のテーマを模索している研究段階だったから美味しいところをいただくような形だったけど、やることがほとんど決まっていたらまた違う当初想像していたような単純作業を手伝うことになっていたのかもしれない。この一ヶ月はひとつの論文が発表されるまでのスパンのほんの一部にすぎず、実際に論文を出すにはもっともっとたくさんのやることと苦労とがあるのだろう。それでも、少なくともアイデアにおいて、今の私でもある程度は通用すると、手も足も出ないわけではないと感じたことで、論文を出すというものが今までよりずっと実感を伴って見られるようになった。

 幸いなことに、日本に帰国してからも、チームとして連絡を取り合って研究の手伝いを継続させていただけることになった。これは、とても光栄で貴重でありがたいことだと思う。論文というものが、いかにはじまって作られて発表されるのか、そのひとつのサイクルを最後まで間近で見ることは、きっと私の将来に大きな意味をもつと思う。

 この留学の中で、ひとつ強く感動したことがある。それは、昼食中の雑談だ。最初はどこの食べ物がおいしいとか、あれはおいしくないとか話していたのだけれど、研究者が集まれば、自然と話題は数学や計算機科学に向かうのが性。誰の研究は厳密にはなんと呼ばれる分野なのか、とか、計算可能性とはどこからどこまでを指す分野なのかとか、すぐそんな話題にシフトしていく。私はもともと大勢で話すと日本語でだっていつ口をはさんでいいかわからなくなるし、やはり日本語ほどは英語は話せないので、話を振られない限り自分からは話さなかったけど、聞いているだけでもとても楽しかった。将来のために他の人から技術を盗もうとか、できるところを見せて自分の評価ををあげようとかじゃなくて、自然とただそれが楽しいから数学の話をする。楽しいから延々といつまでも話している。高校を卒業して数学研究会の友達と会わなくなってから、彼らがそれぞれの専攻に進んで数学の話をしなくなってから、時間に取り残されたようにずっと私が探し求めていたものがここにあったと感じた。小学生が恐竜やカブトムシに目を輝かせるように、私にとっては数学の話を聞かせてくれる友達は夢の詰まったとてもキラキラした宝物だ。あるいは、猿が木に登るように、ハムスターが狭いところに落ち着くように、私にとってはこれが、自分の生態に合った自然でストレスのない環境であるとも感じた。

 数学徒同士で数学の話をするのは、ビヨーン教授たちだけではない。同じロジックの授業をとっていたダニエルたちともよく宿題のことや授業のことで延々と議論をした。千葉大学にはあまりそういう話に付き合ってくれる友達はいない。なんとなく、みんな各々勉強していて、議論しながら学ぶ習慣はないように思う。私は、話し相手がいた方が楽しくて、勉強しやすくて、頭も一人のときより働く気がするんだけど、一緒に勉強しようと誘ってもあんまりみんな乗り気ではなさそうだ。みんなが一人の方が勉強しやすいと、一方的に教えるとかならともかく、一緒だと勉強しにくいと言うなら、それは尊重するしかないけど、なんだか寂しかったりする。できるだけ、一緒に数学を議論してくれる友達は大切にしたいし、そういう人がいる環境に身を置きたい。

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*1:数式をpdfにするのに優れたプログラミング言語

「自分には友達がいない」の呪い

友達ってなんだろう、っていう思考実験についてのひとりごと。

「自分、友達いないし」
と言う人は結構いる。私も昔そうだった。
そんなことを言うと決まって、
「私は友達だよ」
なんて言われるんだけど、そう言われてもどうにも友達って気分になれない。
こうなっちゃうと、もう、友達というものの作り方がさっぱりわからなくなる。
友達ってなんだ。話しかければみんな相手してくれる。誘えば遊んでくれる人もいる。でもそれってなんだか、友達って気がしない。
友達って、ぼっちだって笑われないように、毎日お弁当を一緒に食べる保証をし合う取引相手なんだろうか。友達ってもっとあったかくて、救われる存在のはずじゃないんだろうか。
みんな当たり前みたいに友達を作ってる。私だってクラス替えの直後には話しかけてみたり馴染むように努力をしたはずなのに、今は休み時間になるとみんなそれぞれグループを作ってお弁当を食べていて、私は気がつくと一人だ。
話しかけていれてもらうことはできるけど、そんなことをしてもどうでもいい当たり障りのない話をするばかりで全然面白くないし、疲れるし。
どうしてみんな簡単に友達を作ってあんなに楽しそうにしているんだろう。私はどうしてみんなのようにできないんだろう。私には人間として必要ななにかが致命的に欠けてるんじゃないだろうか。私が私である以上一生友達は作れないんじゃないだろうか。
そんなことを言うと今度は、「自分から壁を作ってる」って言われる。私たちは受け入れるつもりなのに、あなたが自分で勝手に壁を作ってるんでしょ。自業自得だよ、って。
壁ってなに?どうやったらなくせるの?
確かにみんなとの間に厚くて高い壁は感じるけど。でもそれは私が好きで作ってるわけじゃない。あなたたちが自分達で勝手に取り決めをして、その取り決めを知らない私との壁を作ってるんじゃないの?
私はこんなにも友達がほしいと思っているのに、壁を作りたいなんて思ってるわけないじゃん。
どうして誰もわかってくれないんだ。
そう思ってた。

今はどうかというと、友達に囲まれて、楽しく日々を送っている。
今なら思う。昔疑問に思った「壁ってなに?」の答え。壁は、文化の違い、価値観の違いだ。どっちかが作ったものではなくて、人と人が違う以上、自然とそこにあるものだ。両側から乗り越える努力をするものだ。
今日、後輩と、「後輩ちゃんは嫌だと思ったら言ってくれるから、言ってくれたものについてはできるだけ気を付けてるんだけどね」「それで十分なんですよ」という会話をした。
他の友達とも、「同じ趣味を共有して遊んでくれる人がいる、それだけで十分ありがたい」という話もした。
多分、この二つの会話に、友達って概念のエッセンスが詰まってる。これは、私が何度も言われて嫌になった言葉だけど、それでもこうして友達ができてみるとこの言葉しか浮かばないから、書くことにする。友達っていうのはなにも難しい概念じゃなくて、きっととてもシンプルなんだ。
一緒にいる。話す。遊ぶ。それで、お互いに、悪くないなって思う。それだけで友達になれるんだ。
もちろん、昔の私はきっとこの説明じゃ納得しない。だって実際話して、遊んでて、相手は友達だと言ってくれてるけど、友達って気がしない、って言うだろう。そんな人にもわかるように丁寧に説明するなら、こうだ。
あれもこれもバレたら嫌われるから隠さなきゃとか、そんな余計なことは気にせず、ただ自分のやりたいようにやって、話す。ただ、なにも気にしないわけじゃなくて、これは嫌だと言われたことだけはやめる。このルールで接していて、自分が嫌だなとも疲れるとも思わなくて、相手も嫌だなと思わなかったら、友達だ。
ま、自分のやりたいようにやるっていうのは結構難しい。自分がなにをやりたいのかって自分のことなのに案外わからないし、プチトラウマみたいなものがあってどうしても怖くてたまらなくてできなかったりもする。自分が嫌だと思っているかどうかに気づくのも苦手な人は苦手だと思う。
自分には友達がいないと思ってしまうと、友達を作るには人一倍努力して周りに合わせなければと思うし、そうなると「自分がやりたいようにやる」からどんどん離れていく。悪循環、「自分には友達がいない」の呪いだ。
友達っていうのは、シンプルって意味では難しくないけど、難しい人にとっては難しいっていうのも、否定していたら前に進めない事実なのかもしれない。

私は、言葉や人の気持ちを大切にする人と話していると楽しい。学問や芸術や文化に興味のある人と話していると楽しい。
ノリや雰囲気に重きをおいた会話や、人を傷つける会話、勉強を軽視するような会話はあんまり楽しくない。
あなたはどんな人が好きで、どんな会話が好きなのだろうか。
もしあなたが友達がいないと感じるなら、友達はいるはずなのに寂しいと、どこか繋がっていない、理解されていないと感じるなら、友達を作るために、幸せを掴むために必要な最初のステップは、自分を知ることかもしれない。

受け入れ先企業は神ではない話

8月に行ってきたインドのインターンシップで、学んだことのハナシ。
期間は3週間。日本においては長めのインターンシップだが、
海外においてはむしろ随分と短いほうにはいる。
この三週間、ほんとうにたくさんの人に、
お世話になって、迷惑をかけて、許されて、構ってもらって、
貴重な経験をさせてもらったと思う。

経験はシェアするべきだ。
ずっとインターンシップについて記事を書きたいと思いつつも、なにを書こうか迷っていた。
インターンシップ中に解決した技術的問題について、
ほんとに具体的な技術的記事を書いてしまうという手もあったし、
それは未だに後で書いてもいいと思っているのだけれど、
私が書きたいこと、みんなに伝えたいことはもっと他にある気がしていた。
未だにその正体がつかめたとは思っていない。
それでも、インターンシップに行く前と後では私の考え方は変わったと思うし、
その考え方を、わかってもらえるにしろ、もらえないにしろ、発信したいと思ったのだ。

インターンシップに行く前の私は、受け入れ先の会社はずっとたくさんのノウハウがあって、
マネジメントでも技術的なものでも私なんかでは及ばないたくさんの正解を知っていて、
その人たちが手間と時間を割いて受け入れてくれるというのだから、迷惑をかけてはいけない、と
会社の人の言うことは絶対で、逆らってはいけない、と思っていた。
実際にそういう気持ちでいた方がうまくいく企業というのはあるのだろうと思う。
でも、私がお邪魔させてもらったFidelテクノロジーズはそうではなかった。

一つの小さな例として、再三言われた言葉がある。
「日本では他の人がやっていることを邪魔して質問するのはよくないのでしょう?
でもインドでは、違うから。なにか躓いたら遠慮なく何度でも聞きなさい」
そもそもそこからして、私のイメージしていたものと違っていた。
実際、躓いたらすぐに聞けた方が効率がいいと思う。
これは比較的受け入れやすく、すぐになじめた違いだった。
もっと、最後の最後まで違和感として残り続け、
なかなか理解して呑み込めなかった違いがある。
それは、受け入れ先企業は神ではないし、万能ではないし、
間違えることだってある、ということだ。

時系列順に私が経験したストーリーを説明しよう。
着いてまず、私が最初に言われたことは、「AndroidiOSのテスト自動化システムを作れ」だった。
期間が3週間と短いから、細かいテストケースやオプショナルな機能はつけなくていい。
最低限動くフレームワーク*1を作れ。
必要なパソコンやソフトウェアは言ってくれればこっちで用意するから、
何が必要かも自分で考えて決めてくれ。
私もAndroidiOSのテスト自動化システムを作るのははじめてだから、わからない。
Webアプリのテスト自動化を行った技術者を担当につけるから、
彼に相談してアドバイスをもらいながら進めてくれ。
「テスト自動化システム」の具体的な要件の説明などはあったけど、
要約するとそんな感じの指示だった。

この時点では、私はまだ、「自分たちにもわからない」といいつつも、
この技術者指導者さんの頭の中には正解にほぼ近いものが既にあって、
彼がうまいこと誘導してくれるから、私は自分からたたき台を作るとか、
積極的に動いている姿勢を見せつつ、うまいことその誘導に乗ればいいのだろう、と思っていた。
あれ?と思ったのはだいぶ先になってからだった。

仕事は難航した。
テストケースデベロッパー向けのインストールの資料を渡され、
指示されたとおりにいくつかのソフトウェアをインストールした。
ビルドツールはGradleを使うように指示されていたし、
インストールの資料にはeclipseとUIテストツールのAppiumが入っていたので、 それら3つを含むフレームワークを提案し、
GradleとAppiumの連携は具体的にどうすればいいのか、と技術指導者に相談したら、
Appiumはテストツールというよりむしろ既存のエミュレーター*2との連携をサポートするサーバーであることを説明され、
jenkinsのe-mail通知の設定の説明をされた。
このときの私は、この説明は一見私の質問と関係ないように見えるけど、
きっとそれは私の理解が足りてないだけで、
関係のあることなのだろうと思っていた。
技術指導者の人が一通り説明をし終えて帰ってしまった後、一人でもう一度考え直し、
それでもやっぱり理解できないので、もう一度聞きに行く。
そしてまたまったく違う説明を受けて、その意味を一人で考えて、
やっぱりGradleとAppiumの連携ができないので、聞きに行く。
そんなことを繰り返していた。

私が、自分の認識の間違いに気づいたのは、質問しやすいようにと、
彼の隣のデスクに移動させてもらえたときだった。
Android Studioと、Gradleと、Appiumの連携の情報ならあるけど、eclipseはない」*3 と言ったら、見せてくれ、そのURLを送ってくれ、と言われた。
そこではじめて、彼もGradleとAppiumの連携の方法がわからないんだ、とわかった。
そうだ、彼だってわかってたわけではなかった。
だから、質問しても答えがわかるわけがない。
彼自身も、きっと、自分自身だってできるかどうかわからない仕事を、
言われるがままにマラーティー語*4も話せない小娘に指導しなければいけなくなって、困っていたのだろう。
つまり、私は、本当に自分自身の力でフレームワークを作る仕事を任されていたのだ。
それが、プロジェクトリーダーの意図通りだったのか、
プロジェクトリーダーは技術指導者がわかっていると思っていたのか、今となってはわからないけれど。
プロ意識を持って、その仕事を完遂してみせなさい、と言われたような気分だった。
誰かに金魚のフンとしてくっついていくだけではダメだと、金魚は保証をしてくれない、と。
アドバイスが信用できるかどうかまで自分で責任をもって判断しなければならなかったのだ、と思った。

結局、Appiumの自動起動ができない問題自体は
彼がeclipseプロジェクトのmainからappiumを起動させるbatファイルを呼び出すことで解決していた。
本来なら、Appiumを自動起動してくれるようなプラグインをGradleに入れるのが
きれいなやり方なのではないかと思っているが、
検索してそれっぽいプラグインを入れてみても、自動起動はしてくれなかった。
すぐに、Appiumはスクロール機能などに問題が多く、
UIAutomatorなど他のUIテストツールと併用する必要があることがわかったため、
Appiumの使用自体を諦めてしまったので、
もしかしたらもう少し頑張って探してみればなんとかなったのかもしれない、と今は思う。
いずれにせよ、多分、Appiumは単体で使うためのツールではない。
そういうブランドってあるでしょう、ユニクロとか。
どうやら、内部でUIAutomatorを使っているらしいので、
感覚としてはUIAutomatorと併用するならライブラリに近いものなのかな、と思っている。

そもそも、思ってみれば、eclipseとGradleを連携させるのが茨の道だ。
楽にいきたいならAndroid Studioがいい。絶対そうだ。Gradleがそのまんま使える。
当時の私はテスト自動化なんて言葉自体はじめて聞いたよってレベルだったので、
資料にあったソフトウェアをインストールし、技術指導者の指示に従ってeclipseを使っていたけれど、 誘導に乗っかったつもりが、完全に茨の道に引きずり込まれていた。
全体の方針は大きく間違えないようさりげなく指導されて、
保証された牧場のなかで自分にできることをすればいい、という認識は端から間違っていたらしい。

そんなわけで、私が学んだことは、インターンシップ受け入れ先だってなにも神じゃないし、
完璧じゃないし、知らないことも間違えることもたくさんある、ということだ。
なにも悪口のつもりで言っているわけではない。人間なのだから当たり前のこと。
インターンシップ生は、インターンシップ先の誘導や指示におんぶにだっこにならずに、
こちらからも、相手の状況を把握して、
ともに仕事をするインターンシップというイベントでお互いのためになにができるのかを、
積極的に考え、提案するべきなのだ。
それが、よく聞く
「受け身にならずに、積極的な行動をしろ」
という言葉の意味だったのかもしれないな、と今なら思う。

受け入れ先が必ずしも上手に仕事を振って誘導してくれるわけではない。
学生と毎日触れ合っている大学の先生ですら、
学生がどこまでできるのかの認識を誤って、
テストを難しくしすぎたり、簡単にしすぎたりして、
きれいに点数がバラつかないテストを作ってしまうことはよくある。
インターンシップなんて、大学を卒業して久しい、
学生と触れ合う機会なんてここ何年、十何年もなかった人たちが企画しているのだ。
もう自分が大学生だった頃のことは忘れているかもしれないし、
時代が違えば受け入れ先の方々が大学生だったときと今の大学生は違うかもしれない。
専攻だって違うだろうし、当然のごとく、
学生にできることといっても一人一人得意不得意もできることも全然違う。
自分たちにとって、会社というものがなにもわからないブラックボックスであるのと同様に、
受け入れ先から見たら、私たちインターンシップ生はブラックボックスなのだ。
会社内の常識だって、きっと、どこまでインターンシップ生がわかってて、
どこがわかってないのか、わからないことだってあろう。
自分がなにを知っていて、なにを知らないのか。なにができて、なにができないのか。
ただやれと言われたことをやるだけではなく、こちらからも発信して、
コミュニケーションをとり、すり合わせていく必要があるのだ。

ちなみに、心に残っている言葉がひとつある。
そんなこんなで、私はいろいろと技術面ではない部分で苦労をしながら
Androidアプリのテスト自動化のフレームワークを作り、
インターンシップの最終発表日に、その使い方やそのツールが優れている理由をプレゼンした。
面識のある直接の上司も、面識のないなにやら偉そうな人も何人かが聞きに来ている中で、
もう、こっちとしては、ほんとうにこのフレームワークで大丈夫なのか、
彼らの方がもっとプロフェッショナルで、
こんなんじゃダメダメだと言われるんじゃないか、とどきどきである。
一通り発表が終わり、厳めしい顔をした人が手を上げて、私のプレゼンへの感想を述べてくれた。
彼は、ニコニコして、「So, you learned a lot」と言ったのだ。
You learned a lot.
日本語で言うなら、「そっか、いっぱい勉強したね」みたいな。
彼はそれ以上とくに言及するでもなく、プレゼンはそのまま終わってしまった。

あ、それでよかったんだ。
私の勉強になりさえすれば、結果的にできたフレームワークがよくても悪くても大した問題じゃなかったんだ。

全てのインターンシップがこうなのかはわからないけれど、
このインドにおける三週間で、私のインターンシップに対するイメージが変わったのは間違いない。

*1:枠組み、構造と訳される。要は最低限でいいということ。

*2:異なるOSの上で他のOSを再現するソフトウェアこと。この場合Windows上でAndroidのOSを再現する。

*3:Android StudioeclipseはどちらもIDEと呼ばれるソフトウェアを開発するためのツール。当時はAndroid Studioではなく、eclipseの方を使っていた。

*4:インターンシップ先、プネの現地語