コンパクトでない空間

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日本とアメリカどちらでアカデミーに進むのか

今回はいよいよ本題、アメリカのポスドクがどういう人たちだったかという話。
この旅行でたくさんの先生方にお世話になって、
なれない外国での面倒を見ていただいたり、各大学を案内していただいたり、
相談に乗っていただいたり、こんなに甘えていいのかというぐらい親切にしていただいて、
なんて感謝を申し上げたらいいのかもわからない。
そんな贅沢な体験をして、それを私一人で独占して終わりというのももったいないので、
いろんな先生方の話をうかがい、ときに生活を見せていただいた中で私が学んだものを、
この記事で共有できたらいいなと思う。

今回は、博士を出たあとも大学で研究を続けている人の話に焦点を絞って、
日本とアメリカでその生活がどのぐらい違うのかを考えてみようと思う。

今までのシリーズはこちら アメリカ旅行記初回 前回(学部生編)

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ざっくり箇条書きでまとめると、こんな感じだ。

日本の大学

  • 大学運営の雑用が多い
  • 一度助教以上になれれば何年でもいられる
  • なので逆に昇進するのは難しく、大学間を移動しながら機会を伺うことになる
  • 准教授や教授は休みが少ない。土日は半分以上出張が入るし、夏休みはほぼない。
  • 独特の研究室制度・文化

アメリカの大学

  • 先生のすべきことはほぼ生徒の指導と研究のみ
  • 教育と研究どちらが重視されるかは大学とポジションによる
  • 成果を出しつづけなければパーマネントの職でも解雇もある
  • 同じ大学の内部で昇進していく
  • 休みが多い。セメスター間の休みが3ヶ月ぐらいある。
  • オフィスは他分野と同室。その他にも他分野との交流は多い
  • 監督の教授は大抵の場合丁寧に指導してくれる
  • 何年かポスドクをしたあと、民間に就職する人も多い

純粋に大学を教育機関、あるいは研究機関として見た場合、
日本はアメリカの大学に遅れをとっているのではないかという印象を受けた。

アメリカの大学の方が教授たちは(ものすごく忙しいらしいが忙しい中でもきちんと)研究の時間を確保できているし、
ポスドクは監督の教授から(大学や教授にもよるようだけれど日本と比較した傾向としては明らかに)丁寧な指導を受けられていて、
研究者にとって研究の環境としても教育を受ける環境としても
地位を得ることさえできるのなら魅力的なのではないかと思う。

東大からハーバードに移った方は、ハーバードでは物理と数学など近い分野同士は、
そもそも物理的に近くに配置されていて、交流も深く、その交流から生まれる発見もあるのだと言っていた。
その点、東大は物理と数学がそもそも違うキャンバスに配置されていてまったく交流がないらしい。
彼が言うには、ハーバードなどのやり方の方が研究にいい刺激があり、日本は遅れているんだそうだ。
ハーバードの寮はまったく異なる分野の学生を同室にするなんて話を聞いたことがあるが、
日本の大学では同じ指導教官に見てもらっている同じ分野の人たちが同じ研究室を利用するのに対して、
ハーバードやMITでは、同様に意図により同じ数学でもまったく異なる分野の人が同じオフィスに配置される。

研究室制度に慣れた私からすると、はじめて聞いたときはびっくりしたけれど、
確かに異なる分野で用いられている発想が自分の専門で活かされることがあるのは納得できる話で、
私なんかは絵を描くので、そのビジュアル的直感が(幾何以外でも!)数学に活かされることはよくある。

これは大学の方の話ではなくアメリカの社会の特徴だけれど、
民間に転職しようと思ったときに職があるというのも私にとっては魅力的で、
ポスドクになったものの、なんらかの事情でもっと給料のいい仕事に転職したいと思ったときに、
職をみつけるのがそんなに困難ではないし、PhDを持っていれば、
大抵相応のいい職につかせてもらえるらしい。
アカデミーで出世していけるかはやってみないとわからない。
そこでだめだったときに民間という受け皿があるとわかっていれば、
アカデミーの道を選ぶのもハードルが下がるような気がする。

民間ではなくアカデミーに進むような、研究が大好きな人たちからすれば、
日本の大学より研究成果を出すためにシステムが整備されたアメリカの大学の方が魅力的だと思うのだけれど、
意外なことに、MIT、ハーバード、コロンビアなど各名門大学を訪ねる中で、
日本人が少ないと感じた。
教授や准教授のリストなどに日本人の名前を一度も見ていない。
お会いした先生方に聞いても、みんな口を揃えて、 「日本人は来ても帰ってしまう」と言う。

その理由の一つは、この旅行で話を聞かせてくださった日本人の先生方が口をそろえて言う、
「日本の大学は日本語で世界の厳しい競争から守られている」
ということと関係があると思う。

というのは、英語を使っている大学では、世界から優秀な人材が集まっていて、
その厳しい競争に勝ち抜かないと職を得られない。
逆に、国内の大学で使われている言語は日本語で、
日本語ができない人材は日本の大学で職を得るのは難しい。
大学職員に限らず、日本の人材市場というのは言語の壁で世界の市場から隔離されている。
それがいいことであるかわるいことであるかは私にはわからないが。
日本のエンジニアの待遇は悪いといわれているが、大学では出世しやすいらしい。

もう一つの理由は、親の面倒を見に帰らなければいけない、ということだ。
the Graduate Center of CUNY(以降GC)で案内してくださったRadek先生によると、
GCにも日本人の数学研究者が一人いたが、彼も日本に帰ってしまったそうだ。
彼にはポストもあり、いたいと思えば仕事はあったはずなのに、
ご両親の体調不良を受けて、日本の大学に戻ったらしい。 ハーバードを案内してくださった日本人のポスドクの方も、
親の近くに住みたいから日本に戻ろうと思っているとおっしゃっていた。 親のために自分の人生を妥協するのだと思うと、なんとも変な感じもするけれど、
親の面倒は見なければならないし、連れても来られない、というのは現実的にとても大きい問題で、
日本でだって研究はできるとなれば、じゃあ帰ろうかともなるのかもしれない。

私の知っている日本の大学のドクターやポスドクはみんなとてもしんどそうで、
体調が悪いだとか、大学に行きたくない、バイトに行きたくない、だとか、あまり楽しそうに見えない。
アメリカで出会った先生方は、出会い方によるバイアスや、
数日やそこらでは見られない面があるという点もあるだろうけれど、
それを踏まえても、あまり生きるのが辛そうな人はいなかった。 みんな自分の人生に納得し、受け入れているように見えた。

一体何がその違いを作るのかは、きっと簡単に語れるものではないとは思うけれど、
最終的に「自分が幸せになれるか」で人生の選択を考えるのであれば、
アメリカの方が幸せになりやすい環境であるとは言えるのではないかと思う。 その時、常にネックになってくるのは語学だ。
漠然と「高度な英語が要求される」と思うのではなく、
実際にどういう場面で、どの能力がどのぐらい要求されるのか、
しっかり考えて英語を学んでいきたいと思う。

ちなみに、博士での留学については、
実際に博士課程の留学を体験された教授が詳細にわかりやすく
情報をまとめてくださっているブログがあるので、興味がある方は読んでみたらいいと思う。

http://jun.korenaga.com/?q=node/26

n番煎じのアメリカ学部生活情報

前回の記事で書いた通り、アメリカの大学と日本の大学の違いなどなど書いていこうと思う。
今回はアメリカの学部生の生活について、紹介していく。

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本来私が書きたい内容の本筋は博士やポスドクという立場がアメリカと日本でどう違うかであり、
学部生にとってどう違うかなんて話は二番煎じどころではなく語り尽くされているので、
今更留学をしたわけでもない私が情報をまとめる必要もないとは思うけれど、
例によって背景から説明をしなければ気が済まない性分で、
学生がどう違うかという話を聞いたことないという人もある程度いると思うので、
まず今回は、散々いわれ尽くされたであろう学部の違いの一般論を、
私が実際にみた話も混えながらおさらいしたいと思う。

「具体的に役に立つことを学ぶのは社会に出てからでいい。大学ではその基礎となる理論を学べ」
というのは、日本ではよく聞く話だ。
一般的な理論がしっかり身について入れば、具体的に使える内容を学ぶのはスムーズにできる、
大学は具体的な技術よりもっと大事なアカデミックな思考などを身につける場所だ。
特に教員側の立場の人はよくそう主張する。
私の学科の情報系の先生は、流行りの言語は卒業するころには変わってしまっているから
具体的な言語の記法を学ぶよりそれを通して概念や理論を理解することが大事だ、と言う。

経済的な損得と切り離して学問を学ぶことの価値は私も理解できるし、
決してこの主張がまるまるすべて間違っているというつもりはないが、
この風潮が、「企業は大学の成績を見ない。だから学生は授業を聞かない」
という悪循環の構造を生み出す原因のひとつになっていることは否定出来ないと思う。

対して、アメリカではこの構造はまったく違っている。
企業は大学を卒業した学生に対して、即戦力を要求し、
入社してから手取り足取り教育しようという姿勢ではない。
大学での授業も日本と比較すると実践的なようだ。
アメリカではないが、マレーシアの工科大学の友人にschemeを学んでいると話したら、
そんな古い言語、こっちの大学では扱わないし名前すら聞かないと言われた。
だから企業は大学での成績を見て、その人材に実力があるかどうかを判断するのだ。
そういう事情だから、学生も必死に大学の授業に取り組む。
特にボストンの大学は学費が高く、卒業するまでの学費で家が一軒立つらしい。
ローンを組んで大学に通っている学生も多く、いい成績で卒業していい職につかなければいけないという、
のっぴきならない事情もあるようだ。

授業は日本のように先生の講義を一方的に聞くものもあるが、
積極的に生徒が参加することが求められるディスカッション形式のものが多い。
授業数は少ないが、進度が早く課題も多いので、決して楽ではなく、
図書館やカフェなどで毎日よる遅くまで、
友達と議論をしながら勉強し、理解を深めていくのが一般的な大学生の生活だ。
MITでもハーバードでも、必ず各棟に、コーヒーを飲んだりフリーフードを食べたりしながら
議論ができるような部屋が用意されていて、春休み中でも何人かが議論をしていたし、
角に設置された黒板には数式が並んでいた。

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高校教育に関しては日本のレベルは世界でもかなり高く、
アメリカの学部二年や三年がようやく日本の高校卒業レベルだったりもするらしいが、
そんなわけで猛勉強するものだから、院を出る時点では日本よりレベルが高くなっている。

これが、日本とアメリカの学部生の違い。
どちらにもメリットも課題もあるだろうから、簡単にどちらが優れていると決めつけるつもりはないが、
まったく雰囲気が異なることは確かだ。
私の目からみたら、
日本の学部生の多くは、将来の先行きが見えない中いきなり自分で生き方を決めろと言われて、
多くの人がそれを決められずに不安を抱えたまま刹那的な選択をしている気がするし、
それと比べたら忙しくてハードで死にそうでも将来のためにするべきことがはっきりとしていて、
日々自分の能力を開花させるために努力しているアメリカの学生の方が生き生きとしているように見える。
私は今更留学も編入もできず日本の大学にいるしかない環境ではあるんだけど、
ありがたいことに私の友達には日本の大学生らしからぬ勉強に大して意欲のある人が多いし、
せめて私も今できる勉強を蔑ろにせず丁寧にこなしていこうと思った。

次回は、学部卒業後、特に博士やポスドクとして研究室に配属された後はどう違うか、 私が日本で聞いた話とボストンやニューヨークで聞いた話を比較していこうと思う。

ボストンという街

通りは片道4車線。両脇に立ち並んでいるのは赤煉瓦の建物たち。
街を大きく隔てるのはチャールズ川で、その向こうには大学都市、ケンブリッジが広がっている。

ここはアメリカ合衆国マサチューセッツ州のボストン。
MITやハーバードを代表とするたくさんの大学や研究所がひしめくアカデミックな町だ。

先週の木曜日の夕方にボストンに到着し、四泊五日の滞在を終えて、
今日の昼発の飛行機でニューヨークに移動しようとしているところだ。
その後ニューヨークには2週間滞在して、日本に帰る。

もともとは家族ぐるみの付き合いのある知り合いがニューヨークに新居を構えたので、
忙しい両親に代わって、時間のあまり余る大学生の私が一人で行ってくる、という話だったのだけれど、
ただ観光だけして帰るというのも趣味じゃないし、せっかくだから大学も見て回ろうと思い立って、
学科の先生にMITで研究をしていらっしゃる先生をご紹介いただけたこともあって、
ついでにボストンにも寄ってみることにした。

大学をめぐりつつ観光もしつつの旅の中、それはほんとうにたくさんの発見や新しい知識があったけれど、
全部紹介するには多すぎるので、特に印象に強く残った部分だけ紹介していこうと思う。

まず、いろんな大学の内部の人たちに出会って、忙しい中時間を割いていただいて、
いろんな話をしてくださったり、大学を案内してもらったりして、
本当にみなさん親切でどんな言葉でも感謝を伝えきれない。

お世話になった人たちは、
ボストンで数学かコンピューターサイエンスを研究しているという点は共通しているものの、
共通しているのはそこだけで、立場も年齢も家族構成もみんな違う。
統計的に意味のあるデータというにはあまりに少なすぎる、ほんの一部の断片でしかないけれど、
その人たちの生き様を少し垣間見させていただく中で、
ボストンで暮らし、大学に就職するとはどういうことなのか、
その人生になにが待ち受けているのか、少しではあるが知ることができたと思う。

一つの記事で伝えることができるとは到底思えないので、
何回かに分けて、私が見たこと、感じたこと、考えたことを書き記していきたい。

ボストンでの日程はざっくりとこんな感じだった。

  • 一日目 夜ボストンに到着
  • 二日目 MITを学科の先生にご紹介いただいたくみ合わせ論の先生と幾何学の先生に案内していただき、午後はMIT combinatorics seminarに参加
  • 三日目 科学博物館を見て回った後、日本で知り合ったコンピューターサイエンスの先生と夕食
  • 四日目 ハーバードを見て周り、ご紹介いただいたハーバードの先生のお話を聞いた後、組み合わせ論の先生に招待していただいて夕食。

ちなみに料理はどれも想像していたような「ザ・アメリカンフード」みたいなご飯ではなく、
日本のおしゃれなレストランと同じような素敵な料理(ただし量は多い)だった。

次回なにを書くかはまだ決めていないけれど、日本とアメリカの大学の違いとか、MITとハーバードの違いとか、 大学への就職はどんな点が評価されるだとか、そんなことを書くつもりでいる。

LPIC受験体験記

LPIC level1を受けてきた。

例によってIT系でない人向けに簡単に説明をすると、
LPICというのは、linux技術者認定試験の略で、
LPI(linux professional institute)が認定している資格である。
サーバー用のコンピューターには、普段個人用のパソコンによく使われるwindowsmacのOSではなく、
linux系のディストリビューションが使われることがある。
LPICではそのlinuxについての知識が問われる。
私が今回受けたのはLevel3まであるうちの一番基礎の部分であるLevel1。

というわけで、感想などぼんやりと書いておこうと思う。
先にことわっておくと、試験勉強をどのぐらいするといいのか、等の情報は、
この記事でメインに触れるつもりはないので、
試験対策サイト(ping-tなど)を参考にしてほしい。

資格試験を受けたというと、さぞ意識の高い人間かと思われるかもしれないが、
情けないことに意気込み高く未来に希望を持って受験を決意したわけではない。
受験の経緯はというと、IT系で働いている学科の卒業生の先輩に統計を教わっていたときに
「会社に資格取れって言われて、LPIC受けたいんだけど、一人で受けるの寂しいし勉強する気がしないから一緒に受けない?」
と声をかけられて、国際資格だから役に立つよだのなんだの勧誘され、
寂しがりな先輩に押されるがままに冗談半分で「受けるかー」とか言ってるうちに、
本当に受けることになってしまっていた、という調子である。
でも、サークルのWeb管理係の仕事に必要な知識だったとは思うし、
いろんな面で結果的に受けてよかったと思っている。

内容は、知識を問われるだけだし、
その知識も、確かにそれなりに量はあってなめてはかかれないんだけど、
すごくマニアックなものを聞かれたりするわけではない。
一言で感想をまとめるのであれば、基本的なことだからこそ、
重要な知識だなあと勉強していて思った。
LPIC試験対策本の大御所で、一般に「あずき本」と呼ばれている参考書は、
LPICを受けるつもりがないという人でもLinuxの勉強のために持っていたりするぐらい
Linuxの参考書として人気がある。
確かにディストリビューションの構造から各種コマンドからセキュリティから、
広い範囲を網羅していると思う。

↓あずき本

www.amazon.co.jp

ただし、LPIC Level1をとっただけでは、
じゃあサーバー運用してみてと言われてできるようにはならなさそうだ。
私自身、資格をとってなおサーバー運用がまともにできる自信がない。
LPIC level1で必要とされる知識は、本当の実践で使うものよりは、
基本的だし理論寄りだという印象を受ける。
例えば、サークルのサーバーで使っているdockerの知識なんかはまったく入っていないし、
USBのマウントひとつとっても、mountコマンドの記法はわかっても、
じゃあこのUSBのデバイスファイルはどこ?っていうのの調べ方はわからなかったりする。
実践でそこそこデキるようになるには、とにかく足りてない知識が多いし、
逆にアーキテクチャのセクションの1からディストリビューションを構築する方法や、
障害のある人のためのアクセシビリティなんかは、
LPICの範囲に入っているけど限られた人意外実際に使うことのない内容だと思う。

試験範囲を半分終えたところで、ちょうどサークルのサーバーが落ちて、
先輩に指導して貰いながら対応したことがあったのだけれど、
先輩に教えてもらわなければ、なにをしたらいいのかさっぱり見当もつかなかった。
もしかしたら、もっとパソコンに慣れていてセンスのある人ならすぐピンとくるのかもしれないけど、
それってやっぱりLPICの知識以外にセンスを培うための経験が必要だということだ。
ちなみに、原因はおそらくOSのアップデートのための更新のあと、
dockerが再起動していなかったことだろうということだった。
あの時は右も左もわからなかったけど、
最後まで試験を受けた今ならもう少しわかることがあるかもしれないので、
この記事では詳細には触れないけれど、
この件も時間があれば振り返って詳しく記事にしたいなと思っている。

話を戻すと、たとえいきなり実戦で出来るようになれなかったとしても、 こういう基礎的なところって大事じゃないかと私は思う。
基礎を理解していなくても、
経験からくるノウハウがあれば動いてしまうしできてしまうこともあるだろうし、
そういうノウハウの蓄積も馬鹿にできない財産だと思うけど、
やっぱり数学という純粋理論を専攻する立場として、
その根底を作っている仕組みっていうのを学ぶのも大切なことだと、
贔屓目かもしれないけど思っている。
先輩に教えてもらえば、コマンドやその結果の見方など、
「確かにこれLPICでやったな」という部分もたくさんあって、
同じ手順を覚えるにしても、そういう理屈が分かっていた方が習得が早いものだと思う。
少なくとも私はその方が早い。 Linuxディストリビューションについての全般的な知識を体系的に学ぶ機会って、 LPIC以外にはあまり聞いたことがない。 個々の知識やノウハウを詰め込む前に、基礎をまず学ぶことができたのは、
これからおそらくいろんな場面でLinuxに触れる際のいい土台となるだろうし、
いい機会に恵まれたな、先輩に誘ってもらえてよかったな、と思っている。

聞くところによれば、LPIC Level2はもう少し実践よりらしい。
そもそも今回Level1を受けたのも、Level1を取っていないとLevel2をとれても結局認定もでないらしいから、
という理由だったので、そのうちLevel2も受けようと思っている。

ブラウザでSQLを描く

今回は、ER図を編集し、コードを自動生成してくれるウェブサービス

WWW SQL Designer  のレビューのようなものを書こうと思う。

 

ウェブアプリケーションを作ってみたら、

ER図、サイトマップワイヤーフレームなど、

コードを描きはじめる設計の段階で図を描きたいという状況に遭遇した。

今回の記事では扱うのはER図の方だ。

サイトマップワイヤーフレームについては、

現在Cacoo(カクー)というサービスを試しているところなので、

そちらがある程度まとまってきたら記事にしてもいいかもしれない。

 

このブログはIT系でない読者も想定しているので、一応ER図を簡単に説明しておく。

住所録などのデータベースを、複数の表(テーブルと呼ぶ)の組み合わせで表現することがある。(これを、リレーションデータベースと呼ぶ)

アメリカのなんちゃら(調べたら「米国標準技術研究所」らしい)が

リレーションデータベースを図として表現する記法を規格化した。

ER図と言った場合、大体の場合この規格に沿った図のことを指す……と思う。

私も初心者もいいとこなので、こんな適当なことを言っていたら詳しい人に怒られてしまうかもしれない。

怒られたくない読者さんは、私の言うことを鵜呑みにせずきちんと調べてほしい。


話を戻そう。サテでは紙とペンやお絵描きソフトでそれを描くかというと、

やっぱり直線がきれいにひけないのも文字をへっぽこな手書きで書くのも気分が悪いし、

なによりあとから修正を加えたいと思ったときに、あまり融通が効かない。

ここの枠、もうちょっと中に文字を描きたかったから大きくしたい、だとか、

いろんなところに矢印のつながっているこのオブジェクトを移動させたい、だとか、

想像しただけでめんどくさそうだ。


やっぱり私もエンジニアのはしくれ、できればデジタル化したいし、

欲を言えば軽量でどんな環境でも使えて図の製作に特化したいろんな機能のついているエディタを使いたい。

Libre OfficeやMicrosoft Officeの各種製品でもできるのだろうけれども、

ER図を描くのに特化したよいソフトがあると教えてくれた人がいたので、

特化したよいソフトがあればそれにこしたことはないと、飛びついて調べてみた。


しかし、なんせ32bitのUbuntuという時代遅r特殊な環境を入れてしまったせいで、

対応しているソフトがなかなか見つからない。

「ブラウザで動くのとかないの?」

と冗談混じりに調べて見たところ、「WWW SQL Designer 」というのが見つかった。

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操作にクセはあるものの、動作も快適だし、フォーリンキーの設定もでき、

リレーションを表す線もテーブルの移動に合わせてぬるぬるついてきてくれる。

残念ながら多重度を表現する機能は見受けられないので、本格的な開発には向かないのかもしれないが、

私が作ろうとしていた小規模なアプリケーションであれば十分だった。

テーブルやフィールドの追加、消去は右端のメニューから行う。

「Add table」/「Add field」ボタンをクリックすると新規テーブル/フィールド編集のボックスが開き、

情報を入力したらEnterまたはなにもないところをクリックで確定できる。

編集は、テーブル/フィールドを選択して「Edit table」/「Edit field」ボタンか、

もしくはこちらは少しグラフィカルに、編集したいテーブル/フィールドをダブルクリックでもできる。

フォーリンキーの追加の操作はややヤヤコシイ。

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参照したいテーブルのプライマリーキーを選択し、メニューから「Create foreign key」をクリック

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ボタンの表示が「[click target table]」になったら、フォーリンキーを追加したいテーブルをクリック

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フォーリンキーが追加できた。

先にフィールドを作り、それをあとからフォーリンキーに設定する場合でも、

同様に参照したいプライマリーキーを選択した状態で「Connect foreign key」ボタンを使う。

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MySQLであればコードも自動生成してくれる。

「Save XML」を選択して表示されたコードを保存しておけば、

それをロードすることで絶対位置まで含め完全に復元することができる。

注意したいのが、なぜか各フィールドは新規作成した際にデフォルトの値がNULLに設定されている。

NOT NULLにしたい場合や、デフォルトの値を別の値に設定したい場合は忘れずに編集しないといけない。

 

やはり、機能が最小限で、操作も位置が固定されたボタンで行うため、動作が安定するのが一番よいところだと思う。

マウスの位置がすこしずれただかなんだかよくわからない理由で、

勝手に新規テーブルの作成、極端な拡大など意図しない動作をしてしまう、という

高度でグラフィカルなエディタにありがちなストレスはまったくない。

しかし、多重度が表現できない点もあるし、

アカウントで管理もできないので、他のユーザーとのシェアなどには不便さがある。

私のような、個人の開発者向けにはいいという印象だ。

 

GitHubの使い方のテストもかねて今回作ったxmlファイルを公開してみた。

もともと自分用のメモだったのもあり、

使いたかったのはSQLiteで自動生成されたMySQLをそのまま使うつもりもなかったので、

かなり雑な作りになっていて、データベースとしては参考にならないと思うけど、

www SQL Designser の Save/Load 機能を理解する助けには使ってもらえるかもしれない。

github.com

目標、指針、あるいは取らぬ狸の皮算用

はてなブログをはじめてみた。

というのも、現在大学2年生、情報の世界と関われば関わるほど、

「自分用にIT関係の活動を記録しておけるアーカイブ」の必要性を感じるからだ。

生々しい話をしてしまえば、インターンシップの選考や就職なんかで、

URLひとつ書けばそこに自分のすべてがつまっているようなブログがあると楽そうなのだ。

とはいえ、就職のためだけにそこまでできるほど私も就活に意欲のある人間でもない。

正直できれば就活なんて一生せず、大学という社会の厳しさから隔離された環境で、

研究という名のモラトリアムを続けていたい。

ブログという選択肢を思いついたきっかけが就活だっただけで、

単純に私は文章を書いてアウトプットしていくのが好きなのだ。


IT関係の記事だけを書いていれば当初の目的は達成されるわけだけれど、

なんでも書ける!なにを書こう?と考えてみると、IT関係以外にも書きたいものはいっぱいある。

むしろ、はじめてC言語に触れ、情報の世界の扉を開いてから2年と経ってない身、

ITの記事に限定したら書けるものなんて大した深みのないものばかりになってしまう。

だから、ジャンルを絞らず、雑多なことを思いつくがままにとりとめもなく書いていくと思う。

今のところ、漠然とこれネタになるかな?と考えているのは、以下のような話だ

  • 成人してから「発達障害」と診断されたこと

  • 昨年のマレーシア留学とそこで出会った人たちとのその後

  • 修士から海外の大学という選択肢は現実的なのか

  • vimをつかいはじめて一ヶ月経った感想

  • LPICレベル1を受けてみた

  • GitHubをはじめてみた

この中のどれだけを書くのかは定かではないし、もしかしたらひとつも書かないかもしれないけれど、

これらの記事をかかなかったとしても、方向性はこんな感じになると思う。

ここにないジャンルでは、数学の記事を書く可能性もあるが、数学の記事なんて書こうものなら、

数学クラスタにはボロクソに言われ、

そうでない人たちには「何言ってるんだろうこの人」、と引き気味にかわいそうな目で見られる様子が、

ありありと目に浮かぶ。ちょっと書きたくない。

話を戻して、もしこれについて書いてほしいと思っていただけたテーマがあれば、

是非コメントに残していってほしい。



最後に、意気込みも書いておこうと思う。

先述の通り、記録がつけられれば私の当初の目的は達成されるけど、

技術の交換の場になるようなブログや、

読者が感化されて影響されていくブログというのには、

少し憧れたりもする。

もちろん、一日にしてみんなが欲しがる技術を身につけられたり、

誰もに愛される人格者になれたりなんて甘い話は落ちてないので、

せめて、読む人に親切な、わかりやすいブログを書きたい。

ひとつの記事の文章量、句読点や改行の量などの形式的なところも、内容の論理構造も、

気がついた範囲で気を配って記事を書いていこうと思う。

もし、ここがわかりにくかったということがあれば、

それも遠慮なくコメントに書いていただけると嬉しい。