読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

コンパクトでない空間

a good experience become even better when it is shared

千葉大学主催ハッキングコンテスト

セキュリティバグハンティングコンテスト、スタート!!

概要

少なくとも千葉大学内ではそれなりに話題になっていた、国内大学初の試み、セキュリティバグハンティングコンテスト。
その講習会兼バグハンティングの開会式が今日行われ、参加してきた。
詳しいことを知りたい人は公式ドキュメント

http://www.chiba-u.ac.jp/general/20161124secbugcon.pdf

を読んでいただくとして、私の方からは最低限の簡単な説明だけしようと思う。

セキュリティバグハンティングコンテストとは

大学側の目的

セキュリティバグハンティングコンテストの公式ドキュメントを見ると、「セキュリティの向上」に加え、「人材育成を目指す」と書いてある。

セキュリティの向上、が指しているのは、学生たちにいわゆる、ホワイトハッカーとしての働きを期待しているという意味だろう。
ホワイトハッカーとは、Webサイトの管理者に依頼を受けて、Webサイトのセキュリティ上の問題(脆弱性と呼ぶ)を探し、報告する人のことである。
そこで見つけてもらった脆弱性を参考にセキュリティを強化するのだろう。
あるいは、このコンテストを開催することで、Webサイト管理者のセキュリティ意識が向上することも考慮しているのかもしれない。

人材育成については、学生にセキュリティに関心を持ってもらいたい、ということなのだと思う。
実際、このイベントでは私が今日参加したハンターライセンス取得のための講習会に加え、事前に初心者向け講座も一度開かれていて、できる限り門戸を広く構えようという姿勢は強く感じた。

ちなみに、Webセキュリティの専門家というのもいて、そういった人たちに診断をお願いすると、何百万という単位でお金がかかるらしい。
このセキュリティバグコンテストだって、時給換算で相当稼いでいる教授や社長たちが大勢携わって何回も審議を重ねて企画されているとは思うので、単純に値段で比較して安上がりと言えるのかはわからないが。

あとは、話題を作りたい、リベラルで革新的な千葉大学のキャラ付けをしたい、という意図もあるのかもしれない。
事実、事前告知の段階からメディアの取材を歓迎する旨を表明している。

とにかく、一石四鳥を狙うような、チャレンジングな企画だ。

コンテストの流れ

バグハンティングと言うと健全そうだが、実際やっていることはハッキングと紙一重だ。
今回は千葉大学の許可のもと、千葉大学の特定のサーバーに対して攻撃をしていいことになっているが、普通はこのような攻撃を仕掛けた場合は犯罪だ。
学生が身につけたばかりの技術を試そうと軽い気持ちでよそのサーバーをめちゃくちゃにしてしまったら、コンテスト自体が責任を問われかねない。

この辺の問題について、このセキュリティバグコンテストでは慎重にシステムが作られていて、今日の講習会に出席し、倫理面法律面技術面についての講座を聞いた人のみが、ハンターライセンスを取得し、コンテストへの参加件、ひいては千葉大学のサーバーへの攻撃権を得られることになっている。

ちなみに、このハンターライセンス、かなりクオリティが高く、いい紙に凝った幾何学模様がテカテカのインクで印刷してあって、このコンテストを開催している団体C-csirtのリーダーの今泉教授のサインもしっかり入っている。
実際問題、参加した人の名簿だけあればいいわけだが、ソフトなウェアで形のないものを扱うIT関係のイベントだからこそ、こういう形に凝るところ、遊び心があっていいと思う。
もしかしたら、子供気分でうっかり許可のないサーバーに攻撃しちゃったりしそうなお転婆さんも、こんな風にライセンスとして賞状を渡されたら、しゃきんと背筋が伸び、責任を持った行動を取るようになるかもしれない。 f:id:saho-london:20161216041311j:plain

協力会社

このコンテストは、全面的に株式会社セキュアスカイ・テクノロジー(以下セキュアスカイさん)に協力してもらっているようだ。
ハンターライセンス取得講習会講師にしろ、採点官にしろ、いたるところでセキュアスカイさんの名前が見える。
セキュアスカイさんは、前述したようなWebセキュリティの審査を専門に行っている会社なのだが、乗口代表取締役の開会の挨拶によると、Webセキュリティは最近注目されはじめた分野で、需要に対して人材の供給が足りていないらしく、セキュアスカイさんは学生の育成に注目して力を入れているらしい。
講座にしろ、イベントの運営スタイルにしろ、常に丁寧に「学生さんに教えたい」「学ぼうという意欲に応えたい」という姿勢を見せてくれて好感が持てた。

私は当初、元から凄腕ハッカーのような人たちが賞を独占し、私のような素人は審査員の眼中になく参加賞だけもらって帰ることになるのだろうと思っていたのだけれど、どうやら建前だけでなく本気でセキュリティ素人に頑張ってもらいたいらしい。
レポートの審査基準も、単純にバグをいくつ見つけたか、ということだけでなく、いかにわかりやすく伝えるか、という形式的な部分、コミュニケーションとしての側面も重視するということだった。
本当に実践でセキュアスカイで働けるような、セキュアスカイのお客さんにセキュリティの問題をきちんと伝えられるような人を求めているのだろう。

学生の立場から見て

私のようなセキュリティアマチュアからしたら、前述の通り素人に丁寧に教えてくれるこのイベントは学習の機会として興味をひかれるものではあった。
おそらく、高度なハッキング技術を持ちながらも、法律や倫理に縛られそれを持て余している学生にとっても、合法的にその技術をふるい、企業や社会に自分の技術をアピールできるこの機会はきっと魅力的なものだろうし、セキュリティどころか今までほとんど通信の仕組みなんて知らなかったって学生でもついてこれるように丁寧にカリキュラムが組まれている。
実際のところ、これに参加することでどれほど自分の技術が磨かれるのかはまだわからないし、それは自分次第だと思っているけれど、参加する学生も想定より多かったようだし、今のところこの企画は学生にも受け入れられているように見える。

私の周囲でも、時間の都合がつかなかったりの事情はありつつも、興味を示している友人はたくさんいたし、今回のハンターライセンス取得講座には参加できなかったが後日行われる補講に参加したいと言ってる人もいた。

講習会に参加しておいてレポートは提出しなくてもペナルティはないし、学生側にデメリットは特にない。
最初からレポート提出しないつもりで講習会に参加してもいいし、正直私も講習会に参加する以前は、レポート出すかどうかはあとで決めるとして、一応ハンターライセンスもらうだけもらっておくか、程度のつもりだった。
ちなみに今は、レポート出すだけで参加賞もらえるらしいし、よほど忙しいとかでなければ枯れ木も山の賑いということで、自分にできる分だけやって提出しようかなー、という方に心が傾いている。

唯一不満があるとすればレポートの受付期間が、講習会が終わってから一ヶ月と短いことだ。
しかも、時期的に年末年始とかぶる。
冬コミともかぶる。
個人的には、インターンシップの申請とも被るし、いくつかの講義の課題の締め切りともかぶる。
私は関係ないが、学部4年と修士2年は卒論/修論ともかぶる。
このせいでだいぶ参加人数減ってるんじゃないかという気がする。
十分期間があったらこの1.5倍は来てたんじゃないだろうか。
おそらくこれは初めての開催だったから開催時期が予定より遅れたなんて事情もあるんじゃないかと邪推している。
次に開催するときはぜひ、十分な期間を用意してほしいなと思う。

講習会の感想

講座は、石井副学長(千葉大学)から法令・倫理のついてと、長谷川常勤技術顧問(セキュアスカイさん)から技術についての二本立てだった。
ちなみに参加者はざっと見た感じ40人ぐらいだっただろうか。乗口代表取締役は、もっと少ない10人ぐらいかと思っていた、とびっくりしていた。
そうかな、私は思ったより少ないと思ったぞ。

法令・倫理

法令・倫理については、このコンテストとは関係のなく一般的に、どこからハッキング、犯罪になるのか、という話が主だった。
だいたい、「管理者がアクセスさせたくないと思うものにアクセスしたらダメ」とか「通信に関する情報はだいたいなんでも傍受したらダメ」とか、言われなくてもそれはそうだ、と思うような内容だった。
私は「言わなくてもわかると思った」は言い訳にならないという主義なので、当たり前でもこういうことを確認するのは大切なことだと思う。

技術面

これについては非常に人材を育成しようという強い意思を感じた。
頼まれたから断れなくていやいや教えてるとかじゃない、わかりやすく教えようと、どうしたら伝わるのか最大限工夫しようと努力しているのだと思う。
事前に行われていた初心者向けの講座では、パソコンやインターネットの基本的な仕組みを扱ったらしく、今回の講座の技術面ではその応用、セキュリティに特化した話だった。
IPAの応用技術者試験とかセキュリティスペシャリスト試験とかで見たような内容もあったけれど、それらの試験では「こういう概念を利用して攻撃をしてくる人がいるので、こうしておけば安全です」と攻撃の手法はざっくりと、対策については具体的に問われるのに対して、今回の講座では、攻撃の手法の方を具体的に教わった。

その中で紹介されていた書籍類がこちら

それから、学修すると役に立つものとしてWebアプリケーション診断ツールが3つ紹介されていた。

正直一か月の間、普段の授業等もこなしながらこれらすべて目を通したうえで攻撃を試みレポートを書くのはとてもじゃないが無理そうだ。
誰か詳しい人がいたらどれを優先すべきなのか教えてほしい。
というかかなり教育的なイベントなのだから、開催側の誰かにコンタクトとって尋ねてみればおすすめしてくれるのかもしれない。

セキュリティバグハンティングコンテストに参加しておいてなんだけれど、私は正直ハッキングとか怖いし異世界だし自分は触れることはないだろう、と思っていたので、実際に演習用ウェブサイトでSQLインジェクションクロスサイトスクリプティングを実行し、ハッキングに成功したときは、なんだか新鮮な体験をしたという気持ちだった。
用意されたバグでもちょっとはわくわくするんだ、製作者の意図していないセキュリティホールを見つけたりしたら、その喜びはひとしおだろう。

本番で使うウェブサイトは、実際に現在も使われている千葉大学の学生ポータルだ。
なんだって。もし攻撃に成功してデータ消し飛ばしたりしちゃったらどうするんだ。
まあ、コンテストなんてやらなくてもワールドワイドウェブに公開されているウェブサイトは日夜ハッキングの脅威に晒されているのだから、未熟な学生攻撃者が40人ぐらい増えたところで大したことないのかもしれない。
果たしてそうなのかな。天才ハッカーと呼ばれる人たちは総じて若いし、もしかしたらそういうヤバい人もこの中には一人や二人いるかもしれないぞ……?

ちなみに学生ポータルはバグが多いことで有名だ。
今年度から採用されたシステムだが、4月当初はバグの大喜利なんて言われてtwitterにバグ画像が溢れていたし、今もマシになったとはいえ動作は安定していない。
前期の成績証明書は平均GPAの表示が狂っていて、訪ねてみたら学生ポータルのバグが原因らしい。
講習会に参加する以前は、学生が、少なくとも私みたいな素人がそう簡単にプロが作ったWebサイトの脆弱性を見つけられるわけないし、形だけ調べて「バグは見つかりませんでした」と報告しておしまい、だろうと思っていたのだけれど、本番サイトが学生ポータルだと俄然事情が変わってくる。
なにかしらは見つけられる気がしてきた。
少なくとも、私が見つけなくても誰かは見つけるだろう。
実際、私の友達も早速脆弱性を見つけたと言っていた。
あらら。

考えたこと

ACCSサーバ事件

法令・倫理面での講座で、2003年のACCSサーバ事件の話があった。
セキュリティイベント中に、発表者がACCS(コンピュータソフトウェア協会)のサーバーにその場でハッキングをし、不正アクセス禁止法違反として検挙された、という話だ。*1
どうやら、以前にも同様の手口で個人的に個人情報を入手していたらしく、発表時がはじめてだったわけではないことを講習会後に調べて知った。

一言目の感想として、かわいそうだ、と思った。
もちろん、不正に個人情報を入手しているのだから、単純に犯罪だし、なによりその手法を公開したら他のひとも簡単に真似できてしまうのだから、まずい。
検挙されるだけのことはやっていると思うし、仕方ないとは思う。 ただ、それにしても、高い技術を持っている人なのに、悪者みたいに扱われてしまったことが純粋に感情としてかわいそうだと、残念、もったいない、と思う。

技術に伴うだけの倫理観、と一般には言われるもの。
私は、「倫理観」という言葉の「空気読め」「常識的に考えろ」感が嫌いなので、社会と共に生きていくためのスキルと呼ばせてもらうけど、そのスキルがあれば、彼は高い技術を持つ人として評価されたはずだ。

このエピソードは他の学生にとっても印象的だったようで、この講習会のあと一緒にご飯を食べに行った人も、「ACCSサーバ事件、かわいそうだと思った」と言っていた。

才能

サーバーにダメージを与え損害を出すブラックハッカーを、いかにセキュリティの向上に貢献するホワイトハッカーに引きこむか、という問題に、私は以前から関心があった。
今回の講習会では比較的もともとハッカーではなかった人材をホワイトハッカーに育てるという側面に焦点が当てられていたが、演習をしてみればしてみるほど、ブラックハッカーとしての素質がある人間にはセキュリティ技術では敵わないのだな、と感じた。

実は、一年ほど前、はじめて元ブラックハッカーと友達になった。
彼は子供がポケモン赤でミュウを出しているのとはレベルが違っていて、何百万と簡単に稼いで見せ、トラブルを起こしまくり、高校を危うく退学になりかけたマジものだ。
法に縛られず、欲求のままに貪欲に技術を磨いてきた人間に、お行儀よく必要だと言われて勉強をした人間が技術力で適うわけないと、彼を見ていると思う。

少なくとも、技術面で最先端を争うのはきっとそういうやつらで、私達がセキュリティのためにできることがあるとすれば、彼らが発見した手法を真似して試してみたり、それをセキュリティに活かすため管理者に、社会に伝わるように言葉にしたり、そういう部分なのだと思う。
たとえそれが限られた極小数の才能にあふれた人間でなくてもできるような、地味な仕事でも、それが社会に求められいる限り稼ぐことはできるし、それだって立派な生産性のある仕事だと思うけれど、ハッカーの素質がある人たちがみんなみんなブラックハッカーになってしまってホワイトハッカーにならなかったら、きっと立ち行かなくなってしまう。
そんな気がする。

理解のある社会へ

それに、何より、そういう優れた技術を持っていて尖っている人たちが、社会に居場所があると、受け入れられてると感じられるような社会の方が、尖ってる人たちだけじゃなくて、きっとみんなにとって生きやすい。

ブラックハッカーは、人とコミュニケーションを取らないわけじゃない。
そうだったら、私は彼と友達になれていないし、彼自身ブラックハッカーだったころにも組織に所属し、組織だってハッキングしていたと言っていた。
多分、ハッカーの根底にあるのは、人に技術を認められたいという思いだ。
これはハッカーに限らず、エンジニアでも、クリエイターでも、みんなそうだと思うけれど。

彼らは孤独に生きているわけじゃない。
彼らを理解し、認めてくれる人たちのコミュニティに住み、そのコミュニティに認められるように自分の技術を用いるのだ。
自分の金銭のためだけに、あるいは自分一人で楽しむためだけにハッキングをしている人はきっととても少ない。
もしかしたら誰よりも他人を必要とし、求めているのかもしれないとすら思う。

ブラックハッカーの平均年齢は低いらしい。
30代とか20代とかそんなレベルじゃない。
中心となって活動しているリーダーは中学生とか、小学生とかだってこともざらにあるそうだ。
年をとるにしたがって、社会に目を向けるようになり、社会と共に生きる術を探しはじめるのだと思う。

おそらくASD気質のある子供は、他人の気持ちを理解できなかったり、言語能力にクセがあり、誤解されやすかったりで、集団に馴染めない上、ひとつの物事への集中力が高く技術を身につけやすいので、そういったブラックハッカーになりやすいのではないかと思う。
ホワイトハッカーを増やす試みは、きっと発達障害の理解と切っても切れない関係にある。

今回のセキュリティバグハンティングコンテストは、天才を対象にしたものというより、もっと一般の人に広く間口を開こうとしているように見えたので、ここでこんな話をするのは趣旨が違うかもしれないけど。
今後、Webセキュリティの意識はどんどん上がっていくのだろうと思う。
そうなったときに、尖った天才ハッカーを排除する方向ではなく、お互いに歩み寄り受け入れて共にセキュリティを向上させていく方向に進んでほしい。

おまけ。王様達のヴァイキングを布教したい

ちなみに、天才ハッカーの話と関連して、私が最近とても推しまくって、親や友達に布教している漫画を紹介しておこうと思う。
王様達のヴァイキング、という漫画だ。

主人公の是枝くんはまさに典型的な天才ハッカー
ハッキング以外のことはからきしダメで、肝心なことはいつも言葉足らずで人に伝えられないし、お風呂も嫌い、手触りの悪い服も嫌いで、いつもおんなじお気に入りの服を来て、テーブルの下にもぐりこむか、体育座りの姿勢でパソコンをいじっている。

ハッキングを日常的に繰り返し、唯一の親友とペットのニゴロ(256)以外には理解者がいなかった是枝くんが、エンジェル投資家坂井さんと出会い、社会の中に居場所がほしい、人に認められたいと不器用ながらもがく物語。

坂井さんたち、是枝くんが出会っていく人たちがみんないい人で、是枝くんの真っ直ぐさと高い技術を評価し、応援してくれる。
是枝くんも坂井さんも周りの人たちも、それぞれ個性豊かに真っ直ぐ人に向き合う優しいいい人たちで、読んでいてとても爽快な気分になれるし、最初はお互いのことを理解しきれず、ぶつかったり遠回りしていた坂井さんと是枝くんが、徐々にお互いを理解し、補いあう建設的ないい関係を築いていく様も、過剰に美化されておらず、現実味があっていい。

あと、正直是枝くんがASDにしか見えない。
この漫画が流行ったらASDへの理解も広まるんじゃないかと思うぐらいASD性を感じる。
そんなわけで、特に「天才」や「アスペルガー」とどう付き合ったらいいのかわからない、という人たちに読んでほしい漫画だ。

残念ながら、まんがワンでの掲載は終わってしまっているが、各種サイトで冒頭だけの無料試し読みはできる。
冒頭だけじゃこの漫画の魅力は十分には伝わらないのではないかとも思うけれど、まずは読むだけでも読んでみて、そしてもし興味を持ってくれたら単行本を買ってほしいと思う。

sokuyomi.jp

Amazonアソシエイトを試してみました。以下のリンクをクリックしていただけると私にお金が入るらしい。
買う側にとってもポイントが付く分定価で買うよりお買い得だと思うので、購入を検討している方は是非。

*1:追記:コメントを頂いたように事実の説明に誤りがあったため、修正しました。

アスペルガーと恋愛

これはCCS Advent Clendarの13日目の記事です。

前: www.evernote.com

次: @Kyuuri0119


先日先輩が恋愛についての記事が読みたいとツイートしていたのを目にしたので、今回はASDの恋愛について書いてみようと思う。

ASDというのは、自閉症スペクトラムの略称だ。以前までは自閉症と呼ばれていた病気とアスペルガー症候群と呼ばれていた病気の名前が統合されて、自閉症スペクトラムになった。特に自閉症を除いたアスペルガーのみを指したい場合は、今は高機能自閉症スペクトラム、と呼ぶらしい。自閉症アスペルガーなら聞いたことあるって人も多いのではないだろうか。診断の条件はふたつ、自閉傾向があることと、自閉傾向によって社会への適応に支障をきたしていること。自閉傾向というのは、人の感情よりも出来事やものに関心、こだわりをもつこと、表情、声音、ジェスチャーなどの非言語的コミュニケーションが苦手なことなどを指す。私は、昨年自閉傾向ありと診断された。つまり、診断基準のひとつめを満たしていて、ふたつめの社会への不適合を満たしていない。

とはいえ、この記事は特別私や本当にASDの診断が出たような人だけを想定しているのではない。古月さんはブログでADHDを、「誰にでもあるADHD性質」と表現していたけど、自閉傾向についても同じだと思う。つまり、自閉傾向のあるなしは0か1かではっきり決まるものではなく、連続的なもので、多かれ少なかれ誰もが持っている性質であるということだ。人と話すと疲れるとか、真に受けて感心してたら笑うところだよ、と言われるとか、バラエティ番組を面白いと思う人の気持ちがわからないとか、そういう日常に溢れていて、その人の性格、個性の一部として受け入れられていて特段問題になってないものも含め、この記事では扱っていこうと思う。以降診断のでたASDだけではなく、問題になっていないものでもこういった個性を持つ人を含めて、自閉傾向のある人、と呼ぶことにする。

ASDに恋愛はできないのか?と聞かれたら答えは間違いなくNOだ。ASDはまあまったく変な人じゃないとは言いきれないけど、別に普通に友達を作って普通に恋愛して普通に仕事する人間だ。でも、まあ、恋愛苦手な人は多いのかなって見てて思う。恋愛得意な人だっている。バリバリ彼氏/彼女作ってる人は見たことがあるし、相性のいい伴侶を見つけて幸せになったりしてる人だっているはずだ。ただ、傾向として、自閉傾向のある人には恋愛が苦手な人は多いかなって、感じる。多分、それは、恋愛が感情の塊で、自閉傾向のある人は感情を取り扱うのが苦手だからだ。

私がASDかどうか調べるための検査の中に、文字のない絵本を見せられ、ページをめくりながら初見で即興で物語を作れ、というものがあった。先生がお手本に物語を作って見せてくれて、先生と交互に話を繋げていく。あとから先生に結果を聞いたときに言われたことだが、このときまったく登場人物の感情に言及していなかったことが、自閉傾向の人間の典型的な特徴だったらしい。そう言われても、まったく私に自覚はなかった。多分、先生のお手本には感情表現は含まれていたのだろう。それと同じように物語を作ろうとしても、感情表現がまるっとすっぽぬけ、そしてそれを指摘されてもピンとこないぐらい、私の視界の中、興味の対象に感情というものは含まれていない。確かに、あのときは、「お話を整合性のあるように繋げなければ」「まるでランダムに展開される絵に物語らしくなるよう理由をつけなければ」と必死で余裕がなかったのだけれど、少なくとも感情は論理の二の次だってことだ。

この感覚は、パソコンを苦手な人がパソコンを使うときの感覚に似ているのだろうな、と思う。何が起こっているのか、なにをどう操作するとなにが起こるのか、よくわからない。何もわからないままに適当に操作してたらエラーが出て、そのうち気づかずに致命的な失敗をしてしまうんじゃないかと、パソコンに触ることそのものに抵抗を覚えるようになる。そういう気持ちはきっと少し私が他人と話すときの気持ちに似ている。相手がなにを思っているのか、なにを言ったらどう思うのかわからないし、わからないままがむしゃらに付き合っていたら、突然わけのわからないことで怒られて、嫌われる。パソコンが得意でパソコンが苦手な人も気持ちがわからないって人でも、苦手意識のあるものはあるだろう。数学でも、運動でも、料理でも。多分それが、ASDが他人と話すときに感じているものだ。

そのぐらい人の気持ちがわからないと、恋愛っていうのは難しくて然りだろう。自分で言っててなぜ自分が恋愛できているのか不思議に思えてきた。具体的にどう難しいのか、付き合うに至るまでの過程を例に見てみよう。

定型発達*1で無難に恋愛ができる人達は、付き合うまで、お互いに少しずつ探りを入れ、段階を踏みながら、自分が相手をどう思っているかを暗に示し、相手が自分をどう思っているのかを汲み取っていく。最初はみんなで遊びに行って、次は二人でお茶。その次はどっちかの家に上がっておしゃべり。そんな風にハードルの低いところからはじめて、少しずつハードルをあげていく。最初は「相手は自分のことどう思ってるのかな」からはじまり、「恋愛的に好いてくれているかはわからないけど、自分と話すのに時間を割いてもいいと思ってくれるぐらいには好いてくれているんだな」になり、「付き合いたいと思ってくれているかはわからないけど、少なくとも大切な人とは思ってくれているだろうな」になっていく。俗に言う、「いい雰囲気じゃん?脈ありじゃね?」ってやつ。ここまできたらどっちから告白するかなんて大した問題ではなくて、お互い都合が悪くなければ自然と付き合おうって話になっていく。

これは、まさに自閉傾向がある人が苦手とする分野だ。難しすぎる。そもそも相手が自分をどう思っているか推測するのが苦手なのだ。まさか相手は「これが恋愛的に好きなのかはわからないけど、少なくともあなたと話していて楽しいと思うぐらいにはあなたのことが好きだ」なんて言ってくれない。全て、表情や言葉遣いや婉曲な言い回しやなんやかんやから察しなければならないのだ。よく、オタク男の女性耐性のなさをからかうときに、挨拶されただけで気があると勘違いする、なんて言われたりするけど、あれも自閉傾向なのだと思う。気が違ってるとかじゃなく、本当にただ単純に、相手の仕草や言動のニュアンスから相手が自分をどう思っているのかを推測するのが苦手なのだ。しかも、自閉傾向のある人間は、他人の感情を読み取ることだけでなく、自分の感情を表現することも苦手だ。簡単に言えば、無表情でブツブツと話すだけになりがちだし、会話の中身も客観的な出来事について話すだけで感情の話は出てきにくい。そして、厄介なことに、自閉傾向のある人が進むような環境には同じように自閉傾向がある人が集まりやすい。具体的に言えば、理、工学部、文学部、文化系サークルとか。ただでさえ気持ちを読み取るのが苦手なのに、気持ちを表現しない、読み取り難易度の高い人間が集まってくる。難しい。

そこで、私は思うのだ。お互い察して読み取るのが苦手なら、そのやり方でコミュニケーションをとる必要はないんじゃないかと。探りを入れ、婉曲に表現し、察する、というのは定型発達が円滑にできるだけお互い傷つかずにコミュニケーションをするための方法だ。自閉傾向のある人たちがあえてそれに合わせる必要はない。つまり、婉曲にではない直球に表現し、言葉になっていない部分は無理に読み取ろうとせず言葉をそのまんまに受け取る。つまり、具体的にはこういうことだ。

「あなたともっとゆっくり話してみたいから、今度はふたりでご飯でも食べに行きたいな」 「うーん、君のことが嫌いなわけじゃないけど、ふたりきりはちょっと怖いかな。他の人も一緒ならいいよ」

定型のやり方でこれを表現するならば、

「気になってるレストランがあるんだけど、今度一緒にいかない?」
「いいよ。みんなで行こう」

って感じだろうか。この会話から「あなたに興味があります」「二人っきりはムリ」の意図を汲み取るのは少なくとも私には難しい。

他の例を見てみよう。

「もしかしたら誘っても来てくれないんじゃないかと思ってたんだけど、なんでOKしてくれたの?」 「前々からあなたのこと気になってたから、ふたりっきりで話しても楽しめるか確かめたくて」

とか。これは定型のやり方なら、とか言う必要はないだろう。いわゆる「普通」の人たち*2はこんなこと聞かない。答える方は案外聞いたら答えてくれるんじゃないかとは思うけど、もうちょっとオブラートに包んだ(ASDはこれが苦手だ)、「なんとなく、いいかなと思って」みたいな言い回しをするかもしれない。

わかりやすいと思ってもらえただろうか。定型発達の人に上の例のようなことを言ったらちょっとびっくりされちゃうかもしれないけど、自閉傾向のある人ならわかりやすいと喜んでくれるだろう。定型発達ならびっくりするといったって、びっくりされるだけで、それがトラウマになって傷ついてひきこもっちゃったりはしないだろうし。もしかしたらひかれて距離を置かれてしまうかもしれないけど、こう言われてひくようなやつはどこからどう見ても自閉傾向のある人とは相性が悪い。距離を置いて、事務的な用事があるときだけ話すような付き合いをしていくのがお互いのためだろう。うっかり間違えて恋人にでもなってしまったらそれこそ付き合ってからが地獄だ。ここまではっきり言葉にしなくてもわかるよ、って人はもう少し本音を省いた優しい言い方をしてもいいかもしれない。自分の読み取りレベルに合わせて、わからなかったら聞けばいいし、わかったら聞かなくていい。相手が聞いてきたときや、わかっていないんじゃないかと不安に思ったときははっきりと言葉にして説明すればいいし、わかっていそうなら説明しなくていい。

そうはいっても、現実問題、いうのは簡単でも、やろうと思ったらそう簡単じゃない。トラウマとか、今までに言われてきた言葉とか、ずっと自分に強いてきたマイルールとか、そう簡単に変えられるものじゃない。変えるには時間がかかるし一言言われてパッと変われるなら苦労しない。ひとつには、自分は相手のことを好きなのに、相手は自分のことを好きでないことに対する傷つきもあるだろう。これは個人差があって、私はわりと「あなたが私を好きでなくても、私は勝手にあなたのこと好きだから」「嫌だと言われたことをして嫌な思いをさせたらだめかもしれないけど、私の気持ちがどうであるかは自由でしょ」と思う方なのだけれど、気になって傷ついてしまうひとは傷ついてしまうだろうし、それはなかなか簡単には解決しない複雑な問題だと思う。他にも、聞くことはかっこ悪い、恥ずかしい、失礼だ、と思っている人もいる。それだってなかなか変えるのは難しいことだと思うけど、その人たちには「正しく誠実であれ」と伝えたい。相手の気持ちを推測し、相手が何の苦労もしなくて済むよう全て先回りして配慮する、というのは実は誠実ではないと私は思っている。誠実というのは、目の前の相手の今の言葉に真摯に耳を傾けることだ。誠実でない、というのは、相手が伝えようとしている気持ちを軽視してどうでもいいやと軽く扱うことで、相手の話を聞こうという姿勢さえあれば、相手が言葉にしていない気持ちまで察しなくても十分誠実といえる。むしろ、自分の想像の中の相手に振り回せれて、今目の前にいる相手の言葉を見失う方がよくない。少なくとも私はかっこつけて私の気持ちを勝手に決めつける人より、誠実に私の気持ちを聞いてくれる人のほうが好きだし、私に限らず結果的に愛されるのは誠実な人ではないだろうか。それに、もしかしたら自分が真摯に聞く姿勢を示せば、周りのひとも心を開いて本音を打ち明けてくれるんじゃないか、と私は思っている。

おまけ

普段お世話になっている認知行動療法外来の先生にオススメされた本。
自分はASDなのかそうでないか迷っている、でも病院に行くほどでもないかなと思ってしまう、病院に行くのは怖い。
そういう人におすすめの本だそうです。
私は読んでいないのだけれど、ASDはどんな病気なのか、社会適応している、していない、とはどういうことなのか、等が詳しくかいてあるらしい。
もし「自分も自閉傾向かも?」と思ったら読んでみたらどうでしょうか。

*1:発達障害のない人のこと

*2:ここでは定型のこと

一週間で英文100文覚える

お題「一週間チャレンジ」

マイお題機能を使って、サークルの他のブロガーと絡んでみたい、あわよくば相互に宣伝してPVを伸ばしたい、という下心から立てられた企画。
マイお題使ってみたら参加してくれますか、と声をかけて集まってくれたフォロワーは、それぞれ興味も専攻もバラバラだったので、誰でも書けそうなテーマにしたかった。
まる二日ぐらいあのお題はどうだ、とか、このお題は、とかああだこうだ、考え続け、その間一方的で半ば独り言に近い話をkakira氏が忍耐強く聞いてくれて、最終的に決定したのが「一週間チャレンジ」。
好きな目標を立て、好きな一週間を使ってチャレンジしてみる、というお題。
古月さんが既に挑戦してくれています。

furutsukiblogformycominghappiness.blogspot.jp

サテ、私の一週間チャレンジの話をしよう。

一週間で英文100文覚える

背景

TOEFLで点が取りたい。
そもそもTOEFLっていうのはなにかを主にスコアについて軽く説明しよう。
iBTとITPのふたつがあり、ITPはマーク式の比較的安いやつだ。私が目標としているのは、iBTの方。
iBTは一回受けると二万だか三万だかかかる、採点官が何人もでよってたかって私の書いた英文やスピーチを吟味してくれるテストだ。
Reading、Listening、Speaking、Writingの4つの分野すべてをそれぞれ30点満点で評価し、合計120点満点でスコアを出してくれる。
留学生がアメリカの大学で学ぶことをかなり実践的に想定しているテストで、他のこういったテストと比較したときの特徴は、実践的な総合力が試される点にある。
Writingでは、先生の講義を聞き、教科書を読んだ上で、それらの情報を総合した要約を書くことを問われたり、といったように、WritingがまったくWritingではない。
お題が出されて書くだけの純粋なWritingもあるが、それにしたって、文章全体の論理の構成なども重視されたり、文法ミスはある程度までは減点ナシだったりと、日本の大学受験のWritingとはまったく異なるものだったりする。
日本人受験者の平均は70~75ぐらい。全世界の受験者の平均は80~85ぐらい。

私のスコアはというと、

f:id:saho-london:20161211155214p:plain

今年の6月、半年前のスコアで、84点。
しかしこれは足りないのだ。アメリカの大学院の足切りは100点とかだったりすることもざらにある。
世界で戦おうと思ったとき、84点じゃ文字通り偏差値50でしかないってことだ。
TOEFLを受験していて、あるいはその後TOEFL Speking対策講座を受講していて、明らかに語彙力が足を引っ張っていると思った。
実際センター英語などの問題を解いていると、語彙力、文法の得点が全体の水準に比べて明らかに低い。

それを痛感したのは、TOEFL対策講座で、Listeningをしているときだ。
その時の主題は「他のものを feed on する Paracetic Plant」だったのだが、さっぱり意味がわからなかった。
feed on はfeed(エサをやる)と異なり、食す、栄養にする、といった意味だったらしい。
Paraceticは日本語でもパラサイト、パラサイトシングルなんて言葉があるので多少語彙力のある人ならわかると思うが、寄生的な、という意味だ。
つまり、他の植物の栄養を吸い取って生きる寄生植物の話だったのだ。
それを、私はこのどちらの単語もわからなかったので、まさか植物が他の植物を食べるなんて想像だにせず、「他のものをfeedするplant」、つまり他の動物を養う植物の話だと思っていた、というわけ。
これは、単語を知らなきゃどうしようもない。

そういうわけで語彙力を鍛えたい。しかし、ただ単語を言われたときに日本語の対訳が浮かぶだけではTOEFLでは点がとれない。
いちいち日本語に訳してから理解していたら時間が足りないし、なにより、ただ聞いて意味がわかるだけでなく、SpeakingやWritingで自らその言葉を使えないと意味がない。
そんなわけで、「例文を覚える」を課題にしてみた。
ついでに言えば、発音も覚えたい。そうでないとListeningやSpeakingで役に立たない。
私はListeningはそんなに低くないので、そこまで意識的にやる必要はないかもしれないが、「大それた」をずっとおおそれた、と思っていたように、英単語の読み自体を間違えて覚えていたのでは困る。

目標の定義

  • 一週間で英文を100文覚える
  • 例文は『TOEFLによく出るアカデミック英単語』(IBC)から選ぶ
  • 自分の知らない単語の例文に限定する
  • 最終日に和訳のみを見て正確に書き起こせたら覚えたということにする
  • ただし、正確に、というのは、is not→isn'tなどの書き換えは許容する

計画

例文の覚え方

  • ひとつの文を三日かけて覚える
  • 一日目:チェック用の例文の英訳と和訳を書いたリストを作る。手で書いた方が覚えるので手描きで作る。空で言えるようになるまで音読する。その日覚えはじめた例文すべてについてそれを行ったら、最後に和訳のみを見ながら書き起こしてみて、自分が苦手なところをチェックする
  • 二日目:一日目の記録を見て、苦手なところを意識しならが一通り書き写し、覚えたと思えるまで音読する。一日目と同様に書き起こす。
  • 三日目:二日目の記録を見返す。必要を感じたら書き写す。
  • この学習に加えて、気が向いたら付属CDの音声を聞き流しておく

    計画

  • 一日目から五日目まであたらしく20文ずつ覚え始めれば、七日目には100文覚えられているハズ
  • 新しく覚えはじめる20文は平均一文3分で一時間で終わらせることを目標にする
  • 昨日覚え始めた20文の振り返りは平均1分で20分を目標にする
  • 二回目の振り返りは微小時間とする
  • よって、一日目は一時間かかり、二日目から五日目は一時間20分かかり、六日目は20分かかり、七日目は微小時間かかる計画
  • 一日目には、覚える100文の選定と、音源をスマホで再生できる環境の構築も行う
  • 最終日である七日目にはテストも行う

    日程

  • マルチタスク苦手なので、冬コミ向けのゲーム製作などのタスクがあるうちはやりたくない
  • いまのところの第一候補は冬休み中、12/28-1/7のどこか(元旦・正月に実家や両親の実家で白い目で見られながら勉強していく計画)
  • 冬コミに向けてのゲーム製作の進捗が早く、春休みのインターンシップのエントリーも終わらせられたのであれば、計画を早めてもいいと思っている(けど、そういうこと言ってて早めて前倒しにできた試しがない)

実際はじめるときに記事書けばよかったのではとも思うけど、古月さんが早速やってくれていて、企画者がなにもしないのもどうかと思ったので、課題の気分転換がてらとりあえず計画だけでも書いてみることにした。
いわゆるいい目標の基準、具体的である、現実的である、などいろいろあるが、素人なりわりとそれに適った目標、計画になっているのではなかろうか。
話は脱線するけど、そういうプロジェクト運営の仕方みたいなのきちんと体系だって勉強してみたいと常々思っている。
達成率の報告を、どういった形にするかはまだ決めていない。
今のところ、報告用の記事を新しく作って、毎日それを更新していく、もしくは一日おきの達成状況はtwitterに書いて、最終日にブログでまとめて報告する、あたりが有力かなあと思っている。

Ubuntu 14.04のwifiが繋がらない問題

環境

状況

$ lspci
00:00.0 Host bridge: Intel Corporation Atom Processor Z36xxx/Z37xxx Series SoC Transaction Register (rev 0e)
00:02.0 VGA compatible controller: Intel Corporation Atom Processor Z36xxx/Z37xxx Series Graphics & Display (rev 0e)
00:14.0 USB controller: Intel Corporation Atom Processor Z36xxx/Z37xxx Series USB xHCI (rev 0e)
00:17.0 SD Host controller: Intel Corporation Atom Processor E3800 Series eMMC 4.5 Controller (rev 0e)
00:1a.0 Encryption controller: Intel Corporation Atom Processor Z36xxx/Z37xxx Series Trusted Execution Engine (rev 0e)
00:1b.0 Audio device: Intel Corporation Atom Processor Z36xxx/Z37xxx Series High Definition Audio Controller (rev 0e)
00:1c.0 PCI bridge: Intel Corporation Atom Processor E3800 Series PCI Express Root Port 1 (rev 0e)
00:1c.1 PCI bridge: Intel Corporation Atom Processor E3800 Series PCI Express Root Port 2 (rev 0e)
00:1f.0 ISA bridge: Intel Corporation Atom Processor Z36xxx/Z37xxx Series Power Control Unit (rev 0e)
00:1f.3 SMBus: Intel Corporation Atom Processor E3800 Series SMBus Controller (rev 0e)
01:00.0 Network controller: Broadcom Corporation BCM43142 802.11b/g/n (rev 01)
02:00.0 Unassigned class [ff00]: Realtek Semiconductor Co., Ltd. RTS5229 PCI Express Card Reader (rev 01)

NICは下から二番目のBroadcom Corporation BCM43142 802.11b/g/nが入っている。

$ ifconfig
lo        Link encap:ローカルループバック  
          inetアドレス:127.0.0.1  マスク:255.0.0.0
          inet6アドレス: ::1/128 範囲:ホスト
          UP LOOPBACK RUNNING  MTU:65536  メトリック:1
          RXパケット:1641 エラー:0 損失:0 オーバラン:0 フレーム:0
          TXパケット:1641 エラー:0 損失:0 オーバラン:0 キャリア:0
          衝突(Collisions):0 TXキュー長:1 
          RXバイト:133954 (133.9 KB)  TXバイト:133954 (133.9 KB)

loしかいない。eth0もeth1もいない。

$ iwconfig
lo        no wireless extensions.
$ cat /etc/network/interfaces
# interfaces(5) file used by ifup(8) and ifdown(8)
auto lo
iface lo inet loopback

どうしてこうなったかはわからないけど、タイミング的にあからさまにカーネルのアップデート以降ダメになった気がする。

kate@Kaede:~$ cd /boot
kate@Kaede:boot$ ls
System.map-3.19.0-25-generic  config-3.19.0-56-generic
System.map-3.19.0-30-generic  config-3.19.0-58-generic
System.map-3.19.0-32-generic  config-3.19.0-59-generic
System.map-3.19.0-33-generic  config-3.19.0-65-generic
System.map-3.19.0-39-generic  config-3.19.0-74-generic
System.map-3.19.0-42-generic  config-4.4.0-47-generic
System.map-3.19.0-43-generic  grub
System.map-3.19.0-47-generic  initrd.img-3.19.0-25-generic
System.map-3.19.0-49-generic  initrd.img-3.19.0-30-generic
System.map-3.19.0-51-generic  initrd.img-3.19.0-32-generic
System.map-3.19.0-56-generic  initrd.img-3.19.0-33-generic
System.map-3.19.0-58-generic  initrd.img-3.19.0-39-generic
System.map-3.19.0-59-generic  initrd.img-3.19.0-42-generic
System.map-3.19.0-65-generic  initrd.img-3.19.0-43-generic
System.map-3.19.0-74-generic  initrd.img-3.19.0-47-generic
System.map-4.4.0-47-generic   initrd.img-3.19.0-49-generic
abi-3.19.0-25-generic         initrd.img-3.19.0-51-generic
abi-3.19.0-30-generic         initrd.img-3.19.0-56-generic
abi-3.19.0-32-generic         initrd.img-3.19.0-58-generic
abi-3.19.0-33-generic         initrd.img-3.19.0-59-generic
abi-3.19.0-39-generic         initrd.img-3.19.0-65-generic
abi-3.19.0-42-generic         initrd.img-3.19.0-74-generic
abi-3.19.0-43-generic         initrd.img-4.4.0-47-generic
abi-3.19.0-47-generic         memtest86+.bin
abi-3.19.0-49-generic         memtest86+.elf
abi-3.19.0-51-generic         memtest86+_multiboot.bin
abi-3.19.0-56-generic         vmlinuz-3.19.0-25-generic
abi-3.19.0-58-generic         vmlinuz-3.19.0-30-generic
abi-3.19.0-59-generic         vmlinuz-3.19.0-32-generic
abi-3.19.0-65-generic         vmlinuz-3.19.0-33-generic
abi-3.19.0-74-generic         vmlinuz-3.19.0-39-generic
abi-4.4.0-47-generic          vmlinuz-3.19.0-42-generic
config-3.19.0-25-generic      vmlinuz-3.19.0-43-generic
config-3.19.0-30-generic      vmlinuz-3.19.0-47-generic
config-3.19.0-32-generic      vmlinuz-3.19.0-49-generic
config-3.19.0-33-generic      vmlinuz-3.19.0-51-generic
config-3.19.0-39-generic      vmlinuz-3.19.0-56-generic
config-3.19.0-42-generic      vmlinuz-3.19.0-58-generic
config-3.19.0-43-generic      vmlinuz-3.19.0-59-generic
config-3.19.0-47-generic      vmlinuz-3.19.0-65-generic
config-3.19.0-49-generic      vmlinuz-3.19.0-74-generic
config-3.19.0-51-generic      vmlinuz-4.4.0-47-generic

3.19.0-74-genericから4.4.0-47-genericにアップデートしたときにダメになったようなので、3.19.0-74に戻してみる。

Shift押しながら再起動で、grubの設定画面から3.19.0-74を選択して起動してみる。 参考:

Ubuntuでのカーネルのダウングレード - ひよっこエンジニアの日記

と、wifiがつながった。

$ uname -a
Linux Kaede 3.19.0-74-generic #82~14.04.1-Ubuntu SMP Fri Oct 21 15:44:07 UTC 2016 i686 i686 i686 GNU/Linux

確かに3.19.0-74-genericになっていることを確認。でも、これは今回一回限りなので、デフォルトがこれになるように設定する。

解決策

/etc/default/grubを以下のように変更

# GRUB_DEFAULT=0
GRUB_DEFAULT="1>2"

grubの画面にて2番目→3番目の順に選択するとこのバージョンになった。メニューは0から番号が振られているのでひとつ減って1>2と表記。 0から数えるか1から数えるかは環境によるとかいう話も聞いたような?気をつけてください。

$ sudo update-grub

で変更を反映。再起動すると無事wifiもつながり、unameコマンドでカーネルのバージョンも3.19.0-74になっていることが確認できた。

注意点

最初0番から数えるの忘れてて"2>3"にしたらMemTestが起動してびっくりした。Shift押しながら再起動したらどうにかなった。 どういうわけか、"Ubuntu, with Linux 3.19.0-74-generic"のような形で指定する方法ではうまくいかなかった。

参考

sweng.web.fc2.com

jewelbox.hatenablog.jp

「日本人」の境界線

「日本人」という言葉が指す範囲について、あなたは考えたことがあるだろうか。

「日本人」という言葉は非常に曖昧だ。

日本国籍」は法によって明確に定義されているが、「日本人」という言葉はもっと複雑なものだ。

第二子の誕生に合わせ、中国から日本へやってきた夫婦が帰化し、日本国籍を取得したら、「日本人」だろうか。

日本人と外国人の間に生まれたハーフで、日本国籍を持っていたら、「日本人」だろうか。

あるいは、文脈によっては、日本で日本人夫婦の間に生まれても、幼少期に海外で育った帰国子女なら「日本人」には含まれないかもしれない。

私は日本生まれ日本育ちだが、学校で出会った友達には、そういった「日本人」と「外国人」の境界線上にいる友達が何人かいた。

弟が生まれるときに中国から日本へ移り帰化した、20日(はつか)がわからず「にじゅうにち」と言ってしまう女の子。

私の小学校に転校してきたその子とは、よく一緒に下校して、その子の家でポケモンごっこをして遊んだ。

生まれる前に両親が中国から日本へ移ってきた、日本語が完璧で中国語がカタコトな中国国籍の男子。

サザンが大好きな彼とは、一時期恋人関係だったけれど、そのころの思い出はどれもよくも悪くも鮮烈で、一生忘れられそうにない。

日本語も韓国語も上手に話す、韓国国籍の男子。

彼は数学がとてもよくできて、他の人たちが数学の話を避けようとする中、彼は数少ない私の数学話に付き合ってくれる友達だった。

中国国籍で、日本語は完璧だが、日本人に馴染めず留学生たちとよく一緒にいる男の子。

彼は留学生コミュニティ一の人気者で、一度会って話しただけですぐに仲良くなって、その後留学生の寮で開かれるパーティに招いてくれた。

他にも、英会話教室のイギリス人やアメリカ人の先生、帰国子女、留学生なども含めたら、日本で出会った「日本人」の境界線上にいる人はもっとたくさんいる。

その誰もが私にとって大切な人だ。

そして、彼らの多くは、「日本人」という言葉の壁を経験している。

彼らは「日本人」には入れないことがままある。

「日本人は勤勉だ」などと言うとき、彼らの存在はそこに意識されていないのではないだろうか。

高校生ぐらいまで、私は、あるいは私の高校の友達達は、その問題を意識していなかった。

中国国籍でも、韓国国籍でも、私たちにとって一介の同級生でしかなかった。

意識するようになったのは大学に入ってからだ。

ひとつだけ、高校生のときに、ほんの少しだけその壁を感じた思い出がある。

クラスにほとんど友達のいなかった私と、一人だけ一緒にお弁当を食べてくれる物好きのクラスメートがいたのだけれど、

彼女がある日いつものように一緒にお弁当を食べているときにこう言ったのだ。

「中国人と付き合ってるって恥ずかしくないの?私には無理」

不思議と、怒りとか悲しみとか、そういう黒い感情はなかった。

「まあ、この子ならこう言うかもなあ」

と妙に納得した気分だった。

中国人だから付き合ってて恥ずかしいなんて発想がまるでなかったから、ただただ単純にそんな考えもあるのか、と感心して、

国籍がなんであろうと同じ高校生同士というぬるま湯に浸かっていたところに、冷や水を浴びせられたような、現実に引き戻されたような、そんな気がした。

でも、高校生のときに壁を感じたのはそれっきりだった。

多分、私の高校は人種とかそういう問題を気にしない人が多い高校だったんだろう。

人種問題に詳しく理解があるというよりは、大多数はただ単純に子供のころからそういう環境だったから、それが普通、と受け入れているだけだった気がする。

大学は、いろんな高校から、いろんな考えの人が来ていた。

大学で出会った、中国から生まれる前に移住してきた人の高校は、私の高校とは全然様子が違っていたようだった。

境遇だけなら、私の元カレとまったく同じだ。

日本語が堪能で、中国語は若干怪しい。

まだ帰化しておらず、国籍は中国のままで、中国名をそのまま名乗っている。

彼に、私の元カレと同じだ、と言ったら、それはそれはびっくりしていた。

中国人と付き合うやつなんているのか、と。

その言葉は高校のときに友達に浴びせられたものと、意味は一緒だったけど、でもそこにこもる気持ちは全然違っていた。

中国人には恋愛なんて許されないんじゃなかったのか、そんな普通の他の人と同じように暮らしている中国人がいるのか、羨ましい、とか、そんな気持ちだったんだと思う。

きっと、彼の生きてきた人生の中で、日本に住んでいる中国人というのは常に特別な存在で、好奇や奇異や嫌悪やいろんな目線を向けられる存在で、同じ人間として扱われるものではなかったのだろう。

中国語が母語ではない彼は、中国に帰っても疎外感を感じるらしい。

自分は中国人なのか、日本人なのか。

どっちでありたいのかすら曖昧で、自分が帰属する集団がわからないというのは、さぞストレスだったことだろうと思う。

私も、長らく男子にも女子にも入れなかったから、わかる。

所属がわからない、自分が何者なのかわからないという、ただそれだけのことでも、少しずつ毒のように溜まっていく。

社会は、日本人か外国人か、男か女か、必ずどちらかに所属するものだと思っている。

女なら、女友達とおしゃべりをしていればいい。

男なら、男友達とゲームかスポーツをしていればいい。

そうすれば、友達ができて、ひとりぼっちにならなくて済んで、困った時にも友達に助けてもらえる。

そんな風に、人間をふたつに分けて、「こうしておけば大丈夫」が作られている。

こっちに所属しているなら、こうしておけばうまくいく。

あっちに所属しているなら、ああしておけばうまくいく。

じゃあこっちともあっちとも思えない自分はどうしたらいいの。

おしゃべりは好きじゃないけど、身体的には女の私はどうしたらいいの。

ことあるごとに、身じろぐ度に、ちょっとずつ、少しずつ、首が締まって息が詰まっていく。

思えば、私の高校も、私や私の友達が国籍も「日本人」も「外国人」も気にしない人たちだっただけで、気にしている人は気にしていたのかもしれない。

私の高校には、私の友達だったふたり以外にも、韓国国籍の人はいたし、もしかしたら、その人の周りの友達は、人間を「日本人」と「外国人」に分けて考えていて、ずっと息が苦しかったのかもしれない。

今の私は、ASDという名前を、所属する集団を見つけたし、大学で出会った彼も留学生という名前を見つけたのだろう。

ねえ。

「日本人のために働きたい」とか、「日本人なら美しい言葉を使え」とか。

そういうことを言うとき、その視界に「日本人」の境界線上の人間は映っていますか。

悪いことを言ってるとは思わない。

その人の人生の中で蓄積された経験が、そういう言葉を生み出しているのだろうから。

でも、もし、できるなら、「他人/日本語話者のために働きたい」とか、「汚い言葉は避けた方が人に好かれるよ」とか、そんな風に、「日本人」という言葉を使わない言い方に変えてもらえませんか。

それだけで、きっとたくさんの境界線上の人たちが救われる。

かけ算順序問題について、一言

最近、ツイッターは小学校算数で掛け算の順序が模範解と異なるときにバツにすることの是非についてもちきりだ。

そんな中、こんなツイートを見かけ、少し話をした。

このツイートにもリプライで私の意見を述べたが、この内容はもっと多くの人に発信するべき、という気がしたので、ブログにも書いておこうと思う。

先に言っておく。私は、掛け算の順序が逆でもマルにするべきだと思う。

だから、マルにするべき派の意見を否定するつもりは毛頭ない。

それでも、バツにするべき派の気持ちも私にはわかるので、その気持ちも理解して配慮した上で、マルにするべきを主張してほしいな、と思うのだ。

私は教育関係者ではないので、ここから書くバツにするべき派の気持ちは全て推測でしかないが、読んで、考えていってほしい。

整数の掛け算については、順序を交換しても結果は変わらない。

それは、紛う事なき数学的事実ではある。

ただ、教育というのは、数学的に正しいかどうかだけでは回らない。

教育現場に携わる人たちが真っ先に考えるのは、子供の指導、成長だ。

もちろん、かけ算は順序を交換しても構わないと理解した上で順序を変えて書いている生徒もいるだろう。

ただ、きっと雑多な生徒が集まる小学校のこども達の中には、大学数学を習ってしまった今となっては、想像もつかないような発想で解答を書くこどもたちもいるのだ。

そして、その発想は、正しく他のケースにも応用できるとは限らない。

例えば

「箱が5つあります。それぞれの箱に6つずつりんごが入っています。全部でりんごはいくつあるでしょう」

という問題に、

「5×6=30」

と答えた生徒がいたとする。

もしかしたら、この生徒は正しく、順序を交換してもいいから6×5を5×6と書いてもいいはずだ、と思って書いたのかもしれない。

あるいは、それぞれの箱から1つずつ取り出す操作をしたら5つのりんごが手に入って、その操作を6回できるから5×6だと考えたのかもしれない。

その場合は問題ないし、指導の必要はなく、ただマルをつけて褒めてあげればいいだろう。

でも、もしかしたら、5と6という数字をみて、今かけ算を習っているから、最初から出てくる順番に数字を並べて「5×6」としたかもしれない。

そうであれば、今回はたまたま正しかったけれど、他の問題で同じ考え方で解答をしたら間違いになってしまう。

その考え方でいくなら、例えば、

「箱が5つあります。全部でりんごは30個あります。それぞれの箱に同じ数ずつりんごが入っているとき、一つの箱に何個りんごが入っているでしょう」

という問題は「5÷30」となってしまい、正しく解けなくなってしまう。

現実に、こんな風に単純に順序で考える生徒がいるのかは、わからないが、これ以外にもきっとたくさんの想像もつかないような考え方で答えを出している生徒がいるだろう。

それを言うなら、順序だけ見たって、たまたまその順序で当たっただけで考え方が間違っている可能性はある。

例えば、さっきの例なら、たまたま「数字の出てくる順番と逆の順番に並べて、間に×を書く」と覚えていれば、たまたま答えは正しくなってしまって、その生徒は理解しないままになってしまうだろう。

でも、それを先生に見分ける方法はないのだ。

先生が生徒の答案を見たときに推測できることは、「かけ算の順序が正しい子は理解しているだろう。かけ算の順序が逆になっている子は理解していないかもしれない」ということだけだ。

だから、順序が正しければマル、逆になっていればバツにしてしまう。

もちろん、私はこのやり方に賛同はしない。

私は、生徒はバツをつけられれば苦手意識を持つし、できるだけ微妙な解答はマルにしてあげてほしい、と、理解してないのなら、マルにした上で補足説明をしてあげてほしいと思っている。

でも、マルがついているのをみたら、そこで満足して振り返らず、先生のコメントが書いてあっても読まない子だっているのかもしれない。

だから、このかけ算の順序の件については、できればマルにしてあげてほしいなあ、と思いつつ、その生徒を観察し、対話した上で、先生がバツをつけるべきだと思ったのなら、それも仕方がないのかなあ、とも思っている。

マルにするにせよ、バツにするにせよ、少なくとも、生徒の声に耳を傾け、生徒の考えを理解しようと、生徒の自尊心を育てようという意識を持って判断してほしい、というのが私の願いだ。

補足:

順序を逆に書くことをバツにすることが問題として取り上げられたのは、元はと言えば「吹きこぼれ」の問題だろう。

吹きこぼれ、というのは、落ちこぼれの反対に、能力が高すぎて浮いてしまう、馴染めない、先生に叱られるなどのトラブルを抱えた生徒のことだ。

きっと最初は、わかっていて掛け算の順序を逆にした、能力の高い方の生徒がバツにされて悲しい思いをしている、という話からこの話題ははじまっていて、それはまさしくこの吹きこぼれ問題だ。

個人的に、吹きこぼれてしまって苦労している生徒は本当にかわいそうだし、なんとかしてあげたいし、吹きこぼれの生徒を配慮しようという取り組みはとても評価している。

ただ、それが、履き違えて、吹きこぼれでも落ちこぼれでも全ての生徒に大して順序を逆にしても何も文句を言わずにマルにするべき、というのはちょっと違うんじゃないか、と思っている。

吹きこぼれの生徒に必要なのは、理解と個別の対応だ。

全ての生徒を吹きこぼれの生徒を基準に対応しようとしたらうまくいかないし、他の生徒と同じ対応を吹きこぼれにしようとしたってうまくいかない。

私個人は、吹きこぼれでも、そうでなくても、全ての生徒が特別扱いされて、全ての生徒に対してその個性にあったハンドメイドな教育が施されたらいいと思っているけれど、現実にはそうもいかない。

他の子を特別扱いする、ということに対しての社会の理解はなかなか得られないし、先生だってそこまでしてあげられるだけの時間的余裕はない。

先生は、あっちをとればこっちが立たず、こっちをとればあっちが立たず、世間の目や保護者のクレームや上の要求に挟まれて大変だ。

もしかしたら、この掛け算順序問題に関しては、吹きこぼれの生徒には、

「あなたが掛け算をちゃんとわかって逆に書いたのはわかっているんだけど、わからずに順序を逆に書く生徒はバツにしなくてはならないし、あなただけマルにはできないから、バツにさせてもらった。でも、あなたがわかってるのはわかるから。次からは先生がバツにしなくて済むようにに正しい順序で書いてくれる?」

と説明すればわかってもらえる気もする。

なんなら、生徒によっては言われなくてもわかってくれるかもしれないが、自閉傾向がある吹きこぼれの生徒などは言われないとわからないこともあるだろうし、たとえ言われなくてもわかっていたとしても、やっぱり先生から一言あれば安心感が違うと思う。

でも、毎度毎度こういう対外的な問題も配慮した解決策があるかわからないし、いずれは先生だけではない社会の吹きこぼれへの理解が必要だ。

この問題は、きっとすぐに解決できるものではない。少しずつ、社会の理解が広まり、先生の待遇がよくなり、クラスの人数が減って、生徒一人一人に合わせた「全員が特別扱い」になれる教育が広まっていったらいいなと思う。

理系女子は損か得か

理系女子は損か得か。ぶっちゃけてしまえば真面目にその問いの答えを考える気なんてない。答えは決まってる。損なとこもあるし得なとこもある。今回はただつらつらと深夜テンションのままに自分の考えを吐き出したいだけの話。

以前お茶の水女子大学で開催された「Seminar for women in computer」というセミナーに参加したことがある。2015年の3月あたりだろうか。その時期に開催された国際会議のために来日していたドクターから教授まで様々な立場、国籍の女性情報研究者がそれぞれの人生をお話ししてくれるというセミナーだった。当時私は一年生で、自分の専門について右も左もわかっていなかったけれど、このセミナーはロールモデルとして未だに私の姿勢に影響していると思う。

このセミナーから得たものは本当に多くて、そこで出会ったドクターの人とはその後先春のボストン旅行で再開し、進路についてアドバイスももらったりして、一記事では語り尽くせないのだけれど、印象的な言葉をひとつか紹介したいと思う。現在MITでポスドクをしているナディアが言っていた言葉だ。

「女性であることで損をすることはあるか。これはよく聞かれる質問ですが、私は個人的には損や得をしたと思ったことはありません。ただ、女性であると、それだけで目立ちます。覚えてもらいやすくなります。それを損にするか得にするかはあなた次第です」

私はこの話を聞いたとき、とても納得した。それから一年半、女子率が一割を切る数学科で学んできたけれど、その意見は変わらない。まったく、その通りだ。私は男女比が半々の高校のときから、悪く言えば浮きがち、よく言えば目立つ、目を引く学生だったけれど(目立つがいい意味だと思うかは人によるかもしれないが)、大学に入って環境の女子率が格段に下がってからはより顕著になった。

こっちは何度会ってもなかなか名前が覚えられないのに、相手には一発で覚えられる。なんなら会う前から知られている。困るを通り越してもう開き直って気にならなくなりつつある。「君が噂の小林さんか。」ですよねー。知ってた。そんな調子だ。先生にも覚えてもらえる。今のところは先生に意地悪されたことはないし、この点については損より得ばかりさせてもらっている気がする。ただし、遅刻とか課題出し忘れとかするとすぐバレる。てへ。

損だと思うこともある。他の男子学生同士が楽しそうに数学の話をしているとき、私はそこに混じれない。なんとなく壁を感じてしまう。実際に話しかけても、どことなく、「女子が来た、どうしよう」という緊張感というか、おろおろ感というか、困らせてしまっている、相手がのびのびとできていない、という雰囲気を感じる。いつの間にか、会話のキャッチボールは男子同士の中だけで飛んでいて、私は一応形上はわっか上に並んだ人の列の一部であるけれども、まるで柱のようにスルーされているような気持ちになる。だから、男子に話しかけるのは、男子が一人でいるときだけだ。私が自主ゼミを企画していたとき、他の学生も身内の自主ゼミをはじめたらしく、私が知ったときにはもうはじまっていて、私もその内容には興味あったのに、と悔しい思いをした。私だってわいわい数学の話をしたい。仲間にいれてほしい。他の女子なら混じれるのかもしれないし、私が男子でも混じれなかったのかもしれないけど、程度はともかくとして女子であることが混じりにくさに拍車をかけているという気はするのだ。

その分女子同士の結束は固い。うっかり課題を忘れたり遅刻したりしがちな私はほんとに助けてもらっている。彼女たちのおかげで生き延びられている気がする。感謝しきりだ。

幸いなところ、私は今のところ「女子は理系科目は苦手だろ」「女がやってる学問はどうせお遊び程度なんだろ」「髪を伸ばしているのがセックスアピールのようでなめているし不謹慎だ」のようなあからさまに差別的な態度を感じたことはない。もしかしたら態度に出さないだけで思っている人はいるのかもしれないけど、私が不愉快な思いをしてないならいずれにせよ問題じゃない。話に聞く限り、あるところではあるらしいし、そういう環境にいる女性は本当に苦労するだろうと思う。どちらかというと私個人は得させてもらってることの方が多い気がするけど、そういうところにいたら、損の方が多いと思うかもしれない。

「なんで女なのに数学やってるの?」と聞かれたこともない。普通聞かれるものらしい。ほんとうに環境に恵まれているとしかいいようがない。あほみたいにすぐ人を信頼してなつくのも、そういう目にあってこなかったからかもしれない。まあ、これからも合わないとは限らない。研究室と研究内容が決まり、学会とかに顔を出すようになれば、新しい人たちとの出会いもある。その人たちが女性である私を必ずしも受け入れてくれるとは限らない。受け入れてもらえなかったとして、そのとき自分がうまく対処できるのかもよくわからない。

社会的なもの、差別的なものに関しては、女子率の低い分野で女子であることって、少なくとも私が感じている範囲ではこういう感じだ。恋愛の機会については(笑い事じゃない。人生の半分はワークで残りの半分はライフで、そのライフのでかい部分を占めるのが家庭なんだから、恋愛は大問題だ)、男子にとっても女子にとってもこの男女比は様々な悩みの原因になっているだろうと思うけれど、めちゃくちゃややこしいし繊細な問題なのでここでは触れないでおく。

ちなみに、私が女子で得したと一番強く思う瞬間は、IT系資格試験の休み時間に長蛇の列を作る男子を尻目に悠々とトイレに入るときだ。