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情報科学若手の会はどこまで初学者へのハードルを下げられるのか

この三連休、情報科学若手の会にはじめて参加してきました。  

帰ってブログを書くまでが若手の会ですと言われてしまったので、捻り出します。  

多分主催側は自分がいかに若手の会でよいものを得たのかを書いて新規参入を増やしてほしいのだと思いますが、私はそんな宣伝を頼まれたものを素直に宣伝して自分のブログの信頼性を落としたくないので、そんなことはしません。  

  

まず若手の会とはなんぞや、ですが、情報科学に限らず、各学問分野に存在している、勉強会を指すようです。 

他の若手の会はよく知らないけど、少なくとも情報科学若手の会に関しては、せいぜい30代前半までのコンピューターサイエンスを学ぶ意欲のある人たちが集まって、いろんな参加者のプレゼンを聞く会のようです。  

「社会人にとってはアカデミアの空気を思い出す場所」と言ってた人もいましたし、スポンサー企業にとっては学生を自社のインターンに勧誘する場でもあり、学生や初学者にとっては人脈作りの場でもあります。  

情報処理学会の企画の一環のようですが、幹事がほぼボランティアのようで、母団体が強く影響力を持っているというより、幹事の権限が大きいように見えました。

 

私は名前を聞いたとき若くして業績を上げた人たちがお互いに人脈を作る場なのかと思ったのですが、そうでもないようで、参加費さえ払えば誰でも参加できます。 

あからさまに「初学者がなんでここにいんの?」みたいな空気を出してくることもありません。  

ただ、どうしてもエンジニアの性か、専門用語がわからなくても聞ける空気ではなく、わからない人は蚊帳の外でただ聞き手になるところはあった気がします。  

質問しやすい空気作りというのは難しいものですが、初学者も恥じることなく仲間の一員として対等に受け入れているのだと、質問する資格、LTする資格なんて概念はなく、誰でも質問してLTをしていいのだと伝えられたら初学者も萎縮させずに全体にとって実りある会にできるのではないかと思ったりしました。  

多分初学者でなくとも分野が違ったら素人みたいなものだから、バックグラウンド問わず、誰でも質問できた方が、誰にとってもいい会になるだろうと思います。  

インクルーシブであるかはさておき、情報科学界隈の人脈を作るにはオススメできます。   驚くべきことに、お酒NGの名札が用意されていて、お酒を断っても嫌な顔をされないどころか、最初からそもそもお酒を勧められずに断らずに済む仕組みがありました。  

なんて配慮のある世界だ。  

がっでむ。  

セクハラ等の不愉快なこともなかったし、女性であることに言及されることもありませんでした。  

よき。いいぞ。  

ただ、チームビルディングトレーニング的なノリで、チーム戦のクイズが強制参加でした。  

なんてことだ。  

コミュ障に優しくない。  

塩をかけられたナメクジがごとく死んでしまう。  

なにをそんなに大袈裟な、社会人になったら必要なんだから、いい練習になると思うよ、と思った読者の方々はきっと若手の会に行ってもストレスなく強く生きられると思います。  

そのまま強く生きてください。  

あ、それ、私も死ぬ、と思った人は一緒に頑張って生きていきましょう。  

一応最後のアンケートに見学アリにしてくださいと要望を書いておきました。  

採用されることを祈ります。  

その他なにか疑問があればお気軽に質問してください。  

ブログコメントは三ヶ月に一回ぐらいしか見ないので、TwitterのDMに投げてもらった方がリアクションが早いです。  

フォロー外からのDMも許可しているので、下記のアカウントにお気軽にどうぞ。 

恥ずかしくて匿名がいいよって人はマシュマロもやってるはずなので探してください。  

 

七星 慧斗🐬 (@saho_london96)さんをチェックしよう https://twitter.com/saho_london96?s=09

オタクの留学と某奨学金の愚痴

とあるTからはじまる日本代表プロジェクトの奨学金もらって留学に行った。
この奨学金をもらうとエバンジェリスト活動をしてくれとお願いされる。
留学生を増やしたいという国家プロジェクトの一貫としての奨学金なので、留学がいかに素晴らしいかを宣伝してくれという話だ。
別に義務じゃなくて、やらなくても奨学金はもらえるが、事後研修はサボると金がもらえない。
その二日間かけて行われる事後研修に行くと、三時間ぐらいかけて、自分の今後のエバンジェリスト活動の計画を立てて発表させられるのだ。
講演会を開く、イベントを企画する、などのエバンジェリスト活動の事例の乗った資料を渡され、自分なりのやり方を考えろと言われる。
そしてみんな従順に、母校の高校に説明会を開かせてもらえないかお願いしてみる、とか、自分なりの活動を計画するのだ。

グなんとかバルリーダーがどうのどうのとやかましく言っているが、奨学金という恩義に報いるため、見返りもなくタダ働きをすることに疑問の声を挙げることもなく従順に従うことは、果たして本当にグローなんとかリーダーにふさわしい姿なのか。
私にはどうにも、リーダーというより権力に逆らえずに腹を見せるわんこに見えて仕方がない。

二日間拘束される。
遅刻すればキレて授業放棄した小学校の先生みたいに叱られる。
画一化された自己啓発系ワークシートの空欄に己の分析を書かされ、発表させられ、ダメ出しをされる。
アイスブレイクの挨拶に「日本人って季節に感受性が高くていいね」なんて言い出す講師がいる。
留学で一皮剥けることを「かわいい女の子がこんなに立派になったんですよ」と表現する講師もいる。
これが君たちの語る「なんとかバルリーダー」を育てるための教育か、そうか。
日本の常識を捨てろと、海外にいるつもりで、引っ込み思案にならず大胆になれと口先では言いながら、講師には、さらけ出された個性を受け入れる度量はない。
本音でぶつかれ、という言葉の配慮のなさよ。
いつどんなときでも人間は本音を隠す権利がある。
本音は命令して言わせるものじゃない。

とまあ、さんざん某奨学金をボロクソには言ったが、同意できるところもある。
私も留学する人は増えてほしい。
特に、個人的には、オタクにこそ留学に行ってほしい。
留学は別に優秀な人たちやリア充のためだけのものじゃない。
語学留学や社会科見学的なものから単位取得や研究まで、様々な留学の仕方があり、その中には自分に合ったスタイルはあるだろうと思う。
自分に合った留学がわからないのなら、私も相談に乗るし、世の中にはお金を払うとその人にあった留学を探してくれるサービスもある。

例えば、オタク趣味や発達障害で自分を否定されて育ち、自分を肯定できない人たちに、留学に行ってほしい。
大抵の他の国は日本よりオタクにも発達障害にも優しい。
居心地がいいんじゃないかと思う。
留学に行ったって日本の現実は変わらないが、その日本の現実を見る自分の目が変わる。

それから、社会、政治に期待できない、どこの政党も支持しない、行政も学校も信じない、という人にも、海外に行ってほしい。
日本の行政や学校は特殊だ。
その例だけ見て、世界中どこでも社会や学校というものは常に自分を苦しめると思っているのなら、早計だと、
海外の例を見れば、その国のそれが信用できなかったとしても、少なくとも行政も学校も自分が見てきたものより本来ずっと多様で、一概には語れないということはわかるはずだと思う。

どんな動機であれ留学に興味を持った人が、学力、語学力、金銭を理由に諦めなくて済む社会になってほしいと思う。
学習支援や奨学金で解決できるものが、そのサポートにアクセスできないがゆえに諦めなければならないのは、とても悲しい。
行ってみたいと思った人が、誰でも安心して留学に行ける社会であってほしい。

残念ながらまだそういう社会ではないが、でも私のできる範囲で手伝いたいとは思ってる。
もしこれを読んでいて、学習支援や奨学金で悩んでる人、その他留学に興味はあるけど漠然と不安で踏み切れない人がいたら、一緒に解決法を探してみるので、相談してほしい。
特に奨学金は、日本政府、地方自治体、民間、受け入れ先大学、受け入れ先政府と様々な形式、条件がある上、宣伝する気の足りてない奨学金が多くて、探すのが難しい。
留学に行った先輩方からの口伝てでしか見つけにくい情報も色々あるし、留学に行きたい人、行った人同士の人脈というのはなかなかお互い役に立つことが多い。
もし必要であれば私が紹介できる人の範囲ならいくらでも紹介しよう。
奨学金や学習サポート以外にも、生活面でも助け合うことができる。

ちなみに、悔しいことにトなんとかの奨学金は、留学内容の幅の広さ、額面共にトップクラスだ。
研修や手続きはほんとに最悪だが、なんとかタテしか選択肢がない場面は多いと思う。
2020年にはトなんとかテはお金が足りなくて終了する予定らしいので、行くなら今のうちだ。

ボロクソ言っといてなんだかんだ宣伝するというツンデレみたいなムーブをしてしまったが、トビなんとかが嫌いなのは本当だ。
留学に行って圧倒的成長を!!!みたいな押し付けとハイテンションはノーサンキュー。
留学に行くべきか、そうでないか、というのは各々の価値観に任されるべきだ。
私は、ただ、留学に行くのが当たり前の社会になってほしい。
特別なものじゃなく、当たり前に日常の中にあって、出身地域や家庭を問わずどんな人でも、ふと行ってみたいと思ったら気軽に行ける、そんな存在であってほしい。
行きたい人は行って、特別なことでもなんでもなくああ、行ったんだ、と、言われ、行かない人は行かない人でそれも当たり前で、ああ、行ってないんだ、と当たり前みたいに受け入れられる、そういうものであってほしい。
行きたい人がみんな留学に行けること、すべての人が留学についての十分な情報を知った上で留学に行くべきかどうかを判断できることが大切だと思う。

自分の好きな格好をするという尊厳

髪を切った。
長らく、地元の美容院で髪を切ってもらっていて、私はずっと短くしたい、短くしたい、と言っていたのだけれど、
担当の美容師さんに似合わないから、と言われて、ずっとボブからセミロングの間を行き来する量産型女子大生になっていた。

量産型女子大生 - Google 検索

その人はおしゃれなどなにも知らなかった高校生の私をそこそこ社会に出せる見た目に仕立て上げてくれた恩師ではあるし、
恨んでいるわけではないのだけれど、コスプレをして、ウィッグを被るときに髪が邪魔だなと思って、
あと、「ななちゃんはかっこよくなるのは無理でしょ」と笑われて、
この人とこのまま付き合ってたら自分の自尊心が削り取られる気がして、美容師を変えることにした。

シンガポールの人たちは、町中を結構カジュアルな恰好で出歩いているし、
インド系とかマレー系の人たちがそれぞれの民族衣装で普通に街を歩いているし、
なんだから私も、民族衣装とかコスプレとか変な格好で出歩いてても大丈夫なんじゃないか、って謎の勇気が出て、
最初美容師を変えたらワンレンボブとかにしようと思ってたけど、
もっと思いっきり短くしてもいいんじゃないかって気分になってきた。

ほんとは髪を切るのはもっと先にしようと思ってたけど、シンガポールから帰国して、
髪を乾かして寝ないと風邪をひきそうな気温で、髪をまともに乾かすようになったら、
髪がなかなか乾かなくて、どうせ切るなら早く切ったほうが乾くのも早そうで合理的に思えたので、
思い立ったが吉日、とその翌日予約をし、昨日切ってきた。

背が低いから、とか、口が小さいから、とか、髪が直毛すぎるから、とか、気になることはいっぱいあったし、
前の美容師さんだけじゃなくてお母さんにも、あの人が似合わないって言うなら似合わないんでしょ、やめとけば、って言われてたけど、
やってみて似合わないことを自分で確認しないと納得できないから、と
「男か女かわからないぐらいバッサリ切ってください」とお願いして、切ってもらった。

バンドマンが顔に前髪がかかってて振り乱して歌って踊るみたいな、オタクっぽい感じにしたい、
とかいう謎の私の説明を、美容師さんはちゃんと理解して、バッサリ切ってくれた。
多分、私の髪が多くて直毛だからだと思うけど、
バンドマンよりだいぶきちんときれいな感じの、宝石の国のアンタークチサイトみたいな髪型になった。

キャラクター -TVアニメ『宝石の国』公式サイト-

上手に切ってくれたおかげで、別にちぐはぐ感もなく、美容師さんも会う人もみんな、
(お世辞かもしれないけど)似合うって言ってくれて、なんとなく、自分も「最初から私はこっちだったんだ」みたいな気分になってきた。

多分はじめてではないんだろうけど、はじめて、周りになじむためとか、怒られないためじゃなくて、
自分らしくあるために自分で自分の見た目を選択した、って気がしてきて、
ようやく大人になれたような、
誰に保証してもらわなくても、自分で自分の生き方を選んでいける自信に満たされたような気がした。

女性は失恋すると髪を切る、というの、まったくの都市伝説だと思っていたけど、
愛されるために自分を押し込めていた女性という役割の型を、失恋を期にとっぱらうために、
髪を切る、ということはあるのかもしれないな、と思った。

多分、今の日本の社会は、普通に育つと、たくさんのドレスコードの呪縛をかけられて生きることになる。
私は、子供のころから親に、ノースリーブを着ると寒いでしょ、と袖のある服を着せられ、
チェックのシャツに花柄のスカートをはくと、柄に柄は変だよ、と着替えさせられた。

でも、そんなことにさほど意味なんてないでしょう。
私は、白が好きだから、全身白い服が着たい。
白いセーターに白いスカートをはいたり、白いブラウスに白いズボンをはいたりしたい。
大学に白いドレスで通学したい。
これからはそういう恰好をしていこうと思う。
幸い、今の私の周囲の環境はそれほどファッションチェックにうるさい人はいないし、
流石にちょっと変って思われるかもしれないけど、
多分だからって話さないとか言い出すひとはいないし、これは、私が私であるために
私が誰かの操り人形ではなく、私の人生を生きていると感じるために、きっと大切なことだ。

私の親が無理解なわけではないと思う。
この呪縛は、具体的に誰ってこともない社会全体から、具体的に誰ってこともない全ての人にかけられた呪いで、
別に明確な加害者も被害者もいない。
ただ、これからの私たちが自由に生きていくために、次の世代が自分の尊厳を大切にできるように育てるために、
もうそういう暗黙のドレスコードは全部やめにしないか。

Googleインターンシップでの話で、Googleドレスコードは、何かを着ていること、であり、
下着を着ていれば何かは着ているので十分なのだろう、という話を聞いた。
Quote by Eric Schmidt: “Google dress code was: "You must wear something".” 実際下着で出勤している人はみなかったけど、
私がスカートでいすの上でたてひざをたててパンツ丸見えでも特に誰もなにも言わなかったし、
視線すら感じなかったので、ほんとに下着で出勤してくる人がいても誰もなにも言わなくてもおかしくないと思う。
ただ、googleに着くまでの公道を歩いているときはその所在地の法律や条例に縛られるので、
現実的には会社についてからわざわざ下着姿に着替える必要があるかもしれないが。

Googleインターンに行ったときに、私ははじめて、
好きな服を着ることがこんなにも尊厳に密接していたということを理解した。
もっとファッションにこだわりのある人たちはもっと若いころから知っていたのかもしれないけど、
自分の格好に無頓着だった私は、このときようやく、自分が今までいかに束縛されていたかを自覚した。
ファッションに無頓着な私でもそうなんだから、
きっと、自覚していなくても、ほとんどの人にとって服装を自由に選択できることってとても大切だと思う。

髪の黒染め強要のニュースは、私にはとても痛ましく見える。
黒染めを強要されることで学生たちの大切な部分が、傷ついて悲鳴を上げているのが聞こえるような気がする。
性別にも、年齢にも、体型にも関わらず、すべての人が自分の着たい服が着れますように。
もっと各ファッションブランドがサイズのバリエーションを増やしてくれますように。
早く学校の制服が選択制になりますように。

「好きなことを仕事に」の絶対視はかえって古くないか

ここ数年で、「私たちは、仕事や勉強を苦痛でなければならないものだと教え込まれてきた。そんなのは嘘っぱちだ。好きなことを仕事にする、幸せなことじゃないか。その方がモチベーションも上がっていい仕事ができる」というような意見を目にする機会が増えてきたように思う。
私が子供のころから、私の両親は「勉強を好きになる教育が大切だ、嫌なものを嫌々やらせて身につくものか」と主張していたし、私にとってはこの意見は特に真新しいものではないのだけれど、私の世代で、最近大人になってからこの意見に感化された日本人は多いのではないだろうか。

私はこの動きを否定したいわけではない。
むしろ賛成だ。
その一方で、就活をしている友達から、「好きじゃない業界を志望するなんて……」という声もよく聞く気がするのだ。
私の周囲で就活をしている友達なんていったら、エンジニアばかりなので、エンジニア特有なのかもしれないが。
「仕事を好きでやってる人間こそが天才で、そうでない凡人は天才に敵わない」
という意見も、それはそれで人を苦しめてきている。
そんな気がする。

好きこそものの上手なれ、とは確かに一面では納得がいく話で、好きだからいつまでもやってられる、頭に入ってくる、結果的に上達する、そんな面は確かにあると思う。
ただ、それは、「得意である」ということの、ひとつの在り方にすぎない、とも思うのだ。
スポーツでも、ゲームでも、芸術でも、上手さというのは必ず一つではない。
色の使い方がうまい人、リアルな質感を表現するのがうまい人、表情を描くのがうまい人、いろいろなうまさがあって、誰一人として、どんな天才でも、そのすべてのうまさをひとつの絵に詰め込むことなどできない。
仕事を好きじゃなくても、生まれつき手先が器用で上手に絵が描けるかもしれないし、好きじゃないからこそ冷静に流行りを分析して盛り込めるかもしれない。
業務内容は好きじゃなくても、人間関係の雰囲気が好きで、安心できる人間関係の中にいるときこそ本領を発揮できる人かもしれない。
べつに、上手い、の在り方は好きであることだけじゃない。

サザン・オールスターズのTSUNAMIも、大瀧詠一君は天然色も、それぞれのアーティストを代表するヒット曲だが、話に聞く限りどうも彼らはこれらの曲を好きで作ったわけじゃないらしいじゃないか。
特にクリエイター分野においては、「好き」は追求し続けるとくいっぱぐれることはよくある。
待遇を得るために流行りに乗ることは、低俗でも魂を売っているわけでもない。
人間だれもが当たり前にもっている人生の選択権を行使しているだけで、誰にもケチをつける権利なんてない。

好きな人間が、寝る間も惜しんで没頭して仕上げた仕事こそ、常に最高の価値を持つ、というのはあまりに息苦しすぎないか。
最近ようやく、働き方改革という動きがおこり、寝る間も惜しんで仕事をすること、人生において仕事を第一に置くことを社員に要求することが見直されつつあるところだ。
「仕事は苦しいものだ」という価値観同様、「仕事を好きな人間こそ本物だ」という価値観も、同時にこの働き方改革の中で、脱していくべき呪いじゃないか。
好きなことでも仕事にしていいし、好きじゃないことでも仕事にしていい。
自分の人生は、自分が納得できるように自分で選んでいい。
そういう社会を私たちは目指していたんじゃなかったのか。

自分の体を大切にしていいという話

これは情報系を勉強する女子大生 Advent Calendar 2017 - Qiita6日目の記事です。

最近、思うことがある。
もしかして、私たち全員性犯罪被害者なんじゃないか、と。
いや、全員というのは流石に大げさかもしれないが。
以前にも書いた通り、私は痴漢被害者ではあるわけだけど、そういうことではない。
ざっくり言うなら、当たり前だと思ってきたあれこれの中に、性的暴力だったものってたくさんあるんじゃないか、という話。

小川たまかさんというジャーナリストを、大分まえにフォローした。
一番最初に読んだ記事は、性犯罪とは関係のない話だった。
小川さんは、性犯罪被害者を取材し、それを記事にすることを一番メインのお仕事にしているジャーナリストの方で、その後私は小川たまかさんの性犯罪関連のお仕事もいろいろ読み、そこから、性犯罪被害者について、いろいろ調べた。

そして、性犯罪被害者によく見られるいくつかの心理が、まったく他人事ではない、と、こう思っている人、いくらでもいるんじゃないか、と思いはじめた。

例えば、小川さんの書いた伊藤詩織さんの紹介の中の

『Black Box』彼女の元に問題が集約された【小川たまか】 | DRESS [ドレス]

性犯罪の被害者が「あなたが黙っていれば終わること」「騒ぎ立てればあなたがもっと傷つくことになる」と言われ、沈黙を余儀なくされることは多い。

これ、「騒ぐとかえってあなたの立場が悪くなる」というのは、言われたことがあるし、これは別の人の記事だが、

性的暴行の被害にあったトランス女性の私が、沈黙を破る理由

彼が私の嫌がることをし続けるので、私は「それは困る」と言い続けた。
「そんなことをされるといやな気持ちになる」と私は彼に言った。
最後にもう一度、「本当にイヤなの」と言って、私は抵抗を示した。
でも、彼は行為を続け、強要を続けた。彼は欲望の塊と化していた。

この心情も、いろんな場面で何度も遭遇してきたもので、今でも嫌悪感でいっぱいになる。
読むのが辛い。
この後、「彼は悪い人ではないから、ちゃんと断らなかった自分が悪かったのだろうか。いや、断ったはずだ、伝え方が下手だったんだ。いつも自分はこうだ、他人にやめてほしいと伝えることができない。自分に弱さがあるからだ」と自己嫌悪するところまでセットだ。

一回や二回じゃない。
レイプとかってほど派手な話でもなかった、太ももを触るとか、手を取るとか、その程度の話だったから、そのときは、性暴力だとは思ってなかったけど。
友達でも、当時の恋人でも、そんなことはあった。
私だけが特殊な環境に置かれてるとは思えない。
誰でも多かれ少なかれ男の人に恐怖を覚え、意思を踏みにじられた経験があるんじゃないだろうか。
この誰でも、というのは、女なら誰しも、という範囲の話じゃない。
二件目の方はトランスジェンダーだし、私の友達には痴漢被害にあった男性も多い。

可視化されていないだけで、実は日本は、性犯罪があふれかえりすぎているんじゃないのか。
それこそ、当たり前すぎて、性犯罪だと誰も思わないほどに。
日本は治安がいい、というのは、搾取する側にとって治安がいい、というだけで、半分以上の人間にとっては実は全然治安よくないんじゃないのか。
実際、日本の法律が「性犯罪」と認めるハードルは高く、他の国では性犯罪になっているものがなっていない場合がたくさんあるらしい。

headlines.yahoo.co.jp

このニュースは今まで強制わいせつ罪には加害者の性的意図が必要とされていたが、性的意図がなくとも強制わいせつ罪として認めるような判例に変更されたという話で、変更の理由は

「性犯罪に対する社会の受け止め方の変化を反映したものだ」

だそう。
逆に言えば、今までは、「誰がお前なんかに興奮するかよ、勘違い女」と言い張ってそれが認められれば強制わいせつ罪ではなかったのだ。
日本は性犯罪が少ない。
なぜなら女性が男性に搾取されるのは当たり前のことで、性犯罪ではないから。
と、そういう理屈に聞こえる。

漫画やアニメで、スケベなキャラクター(男性の場合も女性の場合もある)が女性キャラのおっぱいを触ろうとしたり、嘗め回すように見て、当人や別の女性キャラに怒られるシーンがギャグとして描かれることがよくあるが、私にはあれは笑えない。
ああいうとき、怒るのは、なぜ女性キャラばかりなのか、なぜ男性キャラは怒らないのか。
男でも女でも等しくああいうシーンには怒るべきじゃないのか。
「女が被害を受けるのは女自身が身を守るべき問題で、搾取する人間は思うがままに欲望を追求すればいい」という風に見えてしまう。
実のところ、性犯罪を取り扱った記事を読んでいると、被害者に理解のある内容のものでも、著者が男性だってことは結構ある。
ジャーナリストに限らず一般の男性の間でも、性暴力を見たら止めるのが普通になってほしい。

性暴力を止める男性のイメージ
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コードギアスのミレイ会長に性暴力加害者役をやってもらいました。会長ありがとう)

私が中学生、高校生の頃は、「女子ツイッタラーのツイートのイライラ度から生理周期を解析して管理してる」なんてツイートが、笑い話として受け入れられていた。
今じゃそんなこと言ったら流石に炎上すると思うが、当時の私はあれを見て、「生理がバレるような素振りを見せたら、それを記録につけられて記録を送り付けられたりしても、文句言えないんだ」と思った。
生理周期の記録をつけていたら、流石に犯罪じゃないのか。
犯罪になるべきだ。
笑っている場合じゃない。

探せばいくらでも、日常の中の暴力性が見つかる。

先述の小川さんの記事に、こういう言い回しがある。

しかし、今回の詩織さんのような件があったときに、社会を変えようとする人を半笑いでたしなめたり、苦難を抱える人に我慢を強いて終わりにしたりする行為は、一体誰にとって都合がよいのだろう。

「一体誰にとって都合がよいのだろう」という言葉は、小川さんはよく使うけれど、この視点は本当に大事だ。
「面倒くさい世の中になった」「被害妄想なんじゃないか」と被害者の声を軽視して得をするのは犯罪者だけだ。
この社会は、あまりに弱者を踏みにじる男性に都合よく出来すぎていやしまいか。

日本は今や世界男女平等ランキングで140カ国中114位の、男女平等後進国だ。
男女は既に平等だと思っている人もいるかもしれないが、世界経済フォーラム(以後OECD)によれば、そういうことになっているし、私もそう思う。
(The Global Gender Gap Report : http://www3.weforum.org/docs/WEF_GGGR_2017.pdf
先進国の中で低い、どころか、発展途上国を含めて考えてなおかなり低い方に入る結果だ。
特に、専門性の高い職種の男女比がランキングを下げている。

労働賃金、政治家・経営管理職、教授・専門職、高等教育(大学・大学院)、国会議員数では、男女間に差が大きいとの評価で世界ランクがいずれも100位以下。その中でも、最も低いのが国会議員数で世界129位

【国際】世界「男女平等ランキング2017」、日本は114位で昨年より3位後退。北欧諸国が上位 | Sustainable Japan

フランスでは女性の裁判官が多く、判決が女性に有利になっているらしい。

性犯罪に関する日本の司法が男性贔屓すぎる点の理由のひとつは、こういった政治家や裁判官に女性が少ないという点も大きいのだろう。
企業の経営陣にしても同様だ。

私たち、情報を学ぶ女子大生は、もし卒業後IT業界やアカデミアに就職するとしたら、こういった環境の中で働くことになるのだ。
性犯罪の多くは、知り合いからの被害である場合が多い
上司と部下、先生と生徒などという上下関係がある場で特に起こりやすい。
就職したら上司にレイプされました、は全然他人事ではないのだ。

IT会社に見学に行くと、どこも口をそろえて「うちは女性も働きやすい企業です」なんて言うけど、果たしてどこまでほんとなのか。
いじめが起きた小学校への罰則を強化したら、小学校がいじめを隠蔽するようになったため見かけ上件数が減った、という話があるが、日本の性犯罪も今はそのレベルだ。
性犯罪の件数が多いコミュニティは、摘発されているだけマシ。
表立って起こっている事件が少ないところこそヤバイ。
もしそれを知っているなら「うちは女性も働きやすい企業です」と断言はできないだろう。
「女性にとって働きやすい環境であるよう努力している」「女性社員の声も取り入れられるよう、決定に参加してもらうなどの努力をしている」というような表現になるはずだ。
安易に「女性も働きやすい」と断言してしまっている時点で、理解のある環境だとは私には思えない。

ほんとは、この記事は最初はキャリアについて書くつもりだった。
職場での差別、偏見、セクハラは、どんな企業に行くとしたって他人事ではないだろうと、被害を受けたときに自分の心を守れるように、味方してくれる人がこれだけいると紹介するような内容を書こうと思っていた。
でも、どうしてもうまく話がまとまらなくて、結局私が書きたかった「差別、偏見、セクハラ」って、性暴力って書いた方が適切だったってことに気が付いた。
職場等で起こっているような「セクハラ」と性犯罪の根底にあるものは共通、法律で犯罪と認められているかどうかが異なるだけで、加害者の心理も、被害者の心理もそこで起きているものは本質的に変わりないように思う。
マズローの五段階欲求説で言うところの、社会的欲求云々言う前に、まず、安全欲求が満たされていない。
その状況でキャリアについて語っても虚飾にすぎない。

人間は生物だから、本能があり、欲求がある。
でも、人間は、生物である以上に人間であり、理性と科学で欲求を制御し、問題を解決できる種族のはずだ。

実際、時代は変わりつつある。
イオンはエロ本の取り扱いをやめたし、強制わいせつ罪の判例も変わった。
これからはたとえ「誰がお前なんかに興奮するかよ」が真実だったとしても、そこに客観的事実としての性的な行為の強要さえあれば、法律は被害者側を守ってくれる。
まだまだ法律に問題のある点も多いらしいが、私たちが中学生、高校生だったころに学んだ「男女のあり方」はこの数年で変わろうとしている。

自分の体は自分のもの。
誰にも勝手をすることは許されないし、もしそうされたのなら、傷つき、怒っていい。
怒ったところで受け止めてもらえるのかという点については前途多難ではあるが、少なくともこうして怒ることができるようにはなった。

最後に、エンパワメントというらしいが、読んでいて勇気づけられるような、受け入れてもらえると希望を持てるような情報をいろいろ紹介しようと思う。
今回は、キャリア、ITに関わりそうなものをちょっと多めに集めてみた。

小川たまかさんの記事

twitter.com

性暴力について取材して記事を書いているジャーナリスト。
小川たまかさんの記事はなにを読んでもはっとさせられるものばかりだけど、そのなかのいくつかを紹介します。

メインは性犯罪だけど、キャリア関連の話題も。
news.yahoo.co.jp

小川たまかさんのメインのお仕事である性犯罪関連の話
No means No 私の体は私のもの|Tamaka Ogawa|note

「性犯罪者は“マジック”で自己正当化する」 加害者臨床から見た“男が痴漢になる理由”(小川たまか) - 個人 - Yahoo!ニュース

Black box

ジャーナリスト伊藤詩織さんが書いた、ジャーナリスト山口敬之にレイプされた事件の顛末をまとめた手記。
滅多に表にされない職の場面で起こる性犯罪の実情。

「私が声を上げたのは、彼と闘うためではなく、沈黙したら、同じような被害者がまた出てしまう。性暴力をオープンに話せる社会にし、司法や捜査システムを改善したいため」(『AERA』2017年11月13 日号) http://wezz-y.com/archives/50723 より

彼女が顔を出して語ったもう一つの意味(小川たまか) - 個人 - Yahoo!ニュース

『Black Box』彼女の元に問題が集約された【小川たまか】 | DRESS [ドレス]

レイプ被害届に対して「法に触れることはしていない」と反論したジャーナリストが否定しきれていないこと - wezzy|ウェジー

性交を認めながら「レイプでなかった」とする根拠に乏しいジャーナリスト・山口敬之と擁護派の主張 - wezzy|ウェジー

ABC of Diversity

富士通とWIRED日本版が開催している、企業がどうダイバーシティに向き合うべきかの勉強会

第一回は企業がなぜダイバーシティに取り組む必要があるのかについて wired.jp

第二回はジェンダー問題で炎上した広告について wired.jp

第三回は未公開

あるこうよ むらさきロード

DV、性暴力、虐待の被害に合った当事者のパレード
www.buzzfeed.com

サイボウズの社長青野慶久さんが、夫婦別姓法案棄却について国を訴訟へ

www.buzzfeed.com

完成度をワンランク上げるデジ絵加工技術

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これはCCS Advent Calendar 2017 - Adventarの二日目の記事です。

前: †皆伝暴龍天†が推すッ!弐寺とボルテの名曲、13選 - †皆伝歩夜騎之娘ノ舞†

なにを書いてほしいかTwitterでアンケートをとったのですが、

アンケートの結果は完全に無視し、よっつめのやつを書くことにしました。
なんでかって?
よく考えた結果、他の奴は全部「ぐぐれカス」で終わっちゃうってことに気づいたからだよ!

ぐぐれカスだけじゃあんまりなので、一応記事の最期に他のテーマに関するリンクも置いておきます。
なので、よかったら最後までおつきあいください。

さて、本題です。
ここに、この記事のために無駄に頑張って描き下ろした絵があります。
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これを、
f:id:saho-london:20171128045405j:plain
こうなるように加工します。
並べるとこんな感じ。
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空間の奥行きが感じられるようになっているかと思います。
キャラクターの奥の空間に空気が存在している感じ、あるいは、絵の中の世界ではなく、本当に自分がそこにいるような感じ、を出したい。
という加工のお話です。
これを読めば誰でも臨場感のある神秘的な絵が描けるように!なる!
加工前の元の絵が描けないって?
そんなん私が書かずともいくらでもメイキングがあるだろ!頑張れ!

私は普段SAI2を使っているので、SAI2で進めていきますが、基本的にどんなお絵かきツールにもある基本的な機能しか使わないので、なにを使ってもできると思います。
一か所だけphotoshopにしかないフィルターを使います。
現状のレイヤー数は背景とキャラの2枚です。
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解像度はこのぐらい。
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この解像度、メモリ的にはギリギリア……セーフ、ぐらいのラインで、chromeや他の大きい解像度の画像を開いているときにSAI2でレイヤーをガンガン複製していくとメモリが死ぬので、私みたいな「馬鹿みたいにでかい解像度じゃないとモチベーションあがんない!!」とかでなければもう少し小さくした方が無難かと思います。
SAIのメモリ効率が悪いだけで、photoshopとかクリスタなら大丈夫なのかも。

背景をぼかす

まず背景のぼかしから。
背景のレイヤーを複製し、ぼかします。
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全部ぼけていると変なので、奥と手前を残し、キャラの周辺にあるものだけクリアにしましょう。
こんな感じの透明度が低く、輪郭のぼけた消しゴムツールを用意して消していきます。
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このぐらい消すと、
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下のレイヤーを表示したらこうなってくれます。
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念のためバックアップ用にレイヤーを複製してから、背景レイヤーを結合してぼかし工程は終わりです。
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背景とキャラに異なる操作をするのはここまでなので、念のためにバックアップとしてレイヤーを複製してから、背景とキャラのレイヤーを統合しましょう。
工程前後比較
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彩度の調整

次は、彩度レイヤーを使ってみましょう。
新規レイヤーを彩度モードにして、顔、手等目立たせたいところや、光が当たっているところに彩度の高い色をぼかしたエアブラシでのせます。
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同じように、目立たせたくないところに黒をのせていきます。
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いい感じの見た目になるように不透明度を調整するとこんな感じになります。
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工程前後比較
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テクスチャ

テクスチャを貼りましょう。
自分が撮った写真や過去絵を使うのがオススメです。
全然関係ないもので構いません。
今回はこれを使ってみましょう。
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適当にぼかして大きさを調整して回転させます。
なんとなく明るいところ同士が一致するような向きにします。
オーバーレイにしながらコントラスト、色相、明度を色調補正をしていい感じにします。
コントラストは色が飛ぶぐらいが目安、色相は空気の色(シアン~青)ぐらいが目安、明度はオーバーレイにして元の絵の全体の明度の印象が変わらないぐらいが目安です。
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不透明度を3~10%ぐらいにして完成。
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工程前後比較
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ハイパス

SAI2はここまでで、ここでpsdで保存してphotoshopに移動します。
レイヤーを複製し、オーバーレイにして、フィルターのハイパスをかけます。
ハイパスのある位置はバージョンにより異なるので各々調べてください。
先にレイヤーモードをオーバーレイにしてからハイパスをかけることで、仕上がりを確認しながらハイパスのパラメーターをいじれます。
今回は3.4pixelにしました。
レイヤー単体で見るとこんな感じです。
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オーバーレイにするとこんな感じ。
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背景だけぼけてるのが気になったので、背景だけハイパスを強くかけました。
背景をぼかすのに使った、フィルターをかけたくないところだけ消しゴムで消す手法で。
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工程前後比較
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完成

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前後比較
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いかがだったでしょうか。
え?変わってないって?
この微妙な差が大事なんだよ、微妙な差が!

そんなわけで、書かなかった他のテーマの関連リンクを書いていきます。

メイク入門

私はこの本を読んで勉強しました。
でもたまたま書店に置いてあったのを手に取っただけで、こういうメイク教本はいくらでもあるので、お好みのものを買えばいいと思います。

女装メイク

ひげ隠し
ameblo.jp
眉について
www.youtube.com
女装コスプレメイクのやり方 | ハツコス!
ノーズシャドウについて(これは女装メイクではなく女の子の普通のメイクの話題ですが、男性は鼻が大きめなのでより参考になるかと)

線画の抽出

SAI2ならコントラストと輝度を透明度に変換を使えば終了。
photoshopなら
hisakatano.raindrop.jp

「表現の自由」という言葉の使い方を見直したい

ヘイトスピーチとか、エロ漫画の規制とかの話題で必ず出る「表現の自由」という言葉の使い方が気になって仕方がない。

そもそも、歴史的経緯を考えるなら、表現の自由の意味は、「政府を批判しても投獄されない権利」としての側面が強いはずだ。
表現の自由っていうのは、政府が個人の権利を保障するものであって、個人が個人を言葉で傷つけて暴力を振るう権利を認めるものじゃなかったはずではないだろうか。

憲法の解釈に関しては、プログラム規定説だかなんだか私は詳しくないけど、個人の解釈にすぎず、私の解釈が普遍的に正しいわけではないかもしれないが、
たとえ憲法が個人対個人間の表現の自由を規定するものだったとしても、少なくとも、ヘイトスピーチを批判する自由、エロ漫画を批判する自由というのもまた同時に同じ程度に尊重しなければおかしい。

ヘイトスピーチをしたやつに法律的に罰金/懲役を」という話が出たときに「そこまでやっては表現の自由の権利を侵害してしまう」と反論が出るのはまだ納得がいく。
しかし、どうにも見ていると、そこまで言ってないのに「ヘイトスピーチがよくない。やめよう」に対して「表現の自由の侵害だ」と反論している人がたくさんいると感じる。
ヘイトスピーチはよくない」という発言をすることもまた表現の自由だ。

私が思うに、「表現の自由」という言葉の意味は、「言葉での暴力に、物理的な暴力で報いを与えるのはやめよう」「言葉の暴力への自衛は言葉までにとどめよう」「言葉の暴力に対して法律で自衛したら過剰防衛になってしまう」ということなのではないだろうか。

以前にも書いたかもしれないが、見て見ぬふりというのは消極的ないじめっ子側への加担だ。
「自分は表現の自由を尊重するからヘイトスピーチになにも文句を言うつもりはないし、他人の文句を言う権利を認めない」というのは、一見フェアな姿勢に思えるのかもしれないが、そうではない。
恐怖に抗い、ようやく立ち上がって怯えながらも声を挙げたマイノリティを、言葉の暴力で再び支配し、黙らせようという行為への消極的な加担だ。
ましてや「表現の自由でしょ」と口に出して彼らを攻撃するのなら、積極的な加担になる。
表現の自由でしょ」と口に出す人たちは、そのつもりはないのかもしれないが、実質的にはそれは弱い立場のものを怯えさせ、恐怖で支配する結果になっている。

表現の自由」という言葉を振りかざす人たちがしたいことは、本当にそれなのか。
それこそ、マイノリティの表現の自由を奪っているじゃないか。
そこまで全て理解した上であえて怯えさせるために「表現の自由」という言葉を使っているのなら、私から言えることはなにもないが、本当にしたかったことはそうじゃないんじゃないのか。
君たちが言いたかったことは「自分の不愉快だ。ヘイトスピーチはなくなってほしいと思う。でも表現の自由は尊重しなければならないものだから、法律で規制するわけにはいかないんだ」じゃないのか。
表現の自由があるから、規制だとか、言うなとか言えない、というのは大いにわかる。
だからといって、そこだけ言うと、ヘイトスピーチの肩をもち、ヘイトスピーチに不満をもつ人を攻撃しているような形になってしまうのだ。
「自分も気持ち的には許しがたい。でも、表現の自由があるから規制はできない」
それでいいじゃないか。
どうして表現の自由があるからって不満を持ってはいけない、不満を表現してはいけない、ということになる。
規制は求めないが悲しい、減ってほしい、なくなってほしい。
そういう姿勢でいればいいじゃないか。

表現の自由」という権利自体は私も素晴らしいものだと思う。
それは多くの人々が血を流して獲得した人権のうちの大切な一部だ。
だからこそ、その言葉は、正しい意味で、言葉を物理的な暴力や法律で封じられている人たちを助けるために使ってほしいと思う。
共謀罪なんていうものも最近話題になっていたが、ああいったものこそ、本来「表現の自由」の批判を向けられるべき存在ではないのだろうか。