コンパクトでない空間

a good experience become even better when it is shared

自分の好きな格好をするという尊厳

髪を切った。
長らく、地元の美容院で髪を切ってもらっていて、私はずっと短くしたい、短くしたい、と言っていたのだけれど、
担当の美容師さんに似合わないから、と言われて、ずっとボブからセミロングの間を行き来する量産型女子大生になっていた。

量産型女子大生 - Google 検索

その人はおしゃれなどなにも知らなかった高校生の私をそこそこ社会に出せる見た目に仕立て上げてくれた恩師ではあるし、
恨んでいるわけではないのだけれど、コスプレをして、ウィッグを被るときに髪が邪魔だなと思って、
あと、「ななちゃんはかっこよくなるのは無理でしょ」と笑われて、
この人とこのまま付き合ってたら自分の自尊心が削り取られる気がして、美容師を変えることにした。

シンガポールの人たちは、町中を結構カジュアルな恰好で出歩いているし、
インド系とかマレー系の人たちがそれぞれの民族衣装で普通に街を歩いているし、
なんだから私も、民族衣装とかコスプレとか変な格好で出歩いてても大丈夫なんじゃないか、って謎の勇気が出て、
最初美容師を変えたらワンレンボブとかにしようと思ってたけど、
もっと思いっきり短くしてもいいんじゃないかって気分になってきた。

ほんとは髪を切るのはもっと先にしようと思ってたけど、シンガポールから帰国して、
髪を乾かして寝ないと風邪をひきそうな気温で、髪をまともに乾かすようになったら、
髪がなかなか乾かなくて、どうせ切るなら早く切ったほうが乾くのも早そうで合理的に思えたので、
思い立ったが吉日、とその翌日予約をし、昨日切ってきた。

背が低いから、とか、口が小さいから、とか、髪が直毛すぎるから、とか、気になることはいっぱいあったし、
前の美容師さんだけじゃなくてお母さんにも、あの人が似合わないって言うなら似合わないんでしょ、やめとけば、って言われてたけど、
やってみて似合わないことを自分で確認しないと納得できないから、と
「男か女かわからないぐらいバッサリ切ってください」とお願いして、切ってもらった。

バンドマンが顔に前髪がかかってて振り乱して歌って踊るみたいな、オタクっぽい感じにしたい、
とかいう謎の私の説明を、美容師さんはちゃんと理解して、バッサリ切ってくれた。
多分、私の髪が多くて直毛だからだと思うけど、
バンドマンよりだいぶきちんときれいな感じの、宝石の国のアンタークチサイトみたいな髪型になった。

キャラクター -TVアニメ『宝石の国』公式サイト-

上手に切ってくれたおかげで、別にちぐはぐ感もなく、美容師さんも会う人もみんな、
(お世辞かもしれないけど)似合うって言ってくれて、なんとなく、自分も「最初から私はこっちだったんだ」みたいな気分になってきた。

多分はじめてではないんだろうけど、はじめて、周りになじむためとか、怒られないためじゃなくて、
自分らしくあるために自分で自分の見た目を選択した、って気がしてきて、
ようやく大人になれたような、
誰に保証してもらわなくても、自分で自分の生き方を選んでいける自信に満たされたような気がした。

女性は失恋すると髪を切る、というの、まったくの都市伝説だと思っていたけど、
愛されるために自分を押し込めていた女性という役割の型を、失恋を期にとっぱらうために、
髪を切る、ということはあるのかもしれないな、と思った。

多分、今の日本の社会は、普通に育つと、たくさんのドレスコードの呪縛をかけられて生きることになる。
私は、子供のころから親に、ノースリーブを着ると寒いでしょ、と袖のある服を着せられ、
チェックのシャツに花柄のスカートをはくと、柄に柄は変だよ、と着替えさせられた。

でも、そんなことにさほど意味なんてないでしょう。
私は、白が好きだから、全身白い服が着たい。
白いセーターに白いスカートをはいたり、白いブラウスに白いズボンをはいたりしたい。
大学に白いドレスで通学したい。
これからはそういう恰好をしていこうと思う。
幸い、今の私の周囲の環境はそれほどファッションチェックにうるさい人はいないし、
流石にちょっと変って思われるかもしれないけど、
多分だからって話さないとか言い出すひとはいないし、これは、私が私であるために
私が誰かの操り人形ではなく、私の人生を生きていると感じるために、きっと大切なことだ。

私の親が無理解なわけではないと思う。
この呪縛は、具体的に誰ってこともない社会全体から、具体的に誰ってこともない全ての人にかけられた呪いで、
別に明確な加害者も被害者もいない。
ただ、これからの私たちが自由に生きていくために、次の世代が自分の尊厳を大切にできるように育てるために、
もうそういう暗黙のドレスコードは全部やめにしないか。

Googleインターンシップでの話で、Googleドレスコードは、何かを着ていること、であり、
下着を着ていれば何かは着ているので十分なのだろう、という話を聞いた。
Quote by Eric Schmidt: “Google dress code was: "You must wear something".” 実際下着で出勤している人はみなかったけど、
私がスカートでいすの上でたてひざをたててパンツ丸見えでも特に誰もなにも言わなかったし、
視線すら感じなかったので、ほんとに下着で出勤してくる人がいても誰もなにも言わなくてもおかしくないと思う。
ただ、googleに着くまでの公道を歩いているときはその所在地の法律や条例に縛られるので、
現実的には会社についてからわざわざ下着姿に着替える必要があるかもしれないが。

Googleインターンに行ったときに、私ははじめて、
好きな服を着ることがこんなにも尊厳に密接していたということを理解した。
もっとファッションにこだわりのある人たちはもっと若いころから知っていたのかもしれないけど、
自分の格好に無頓着だった私は、このときようやく、自分が今までいかに束縛されていたかを自覚した。
ファッションに無頓着な私でもそうなんだから、
きっと、自覚していなくても、ほとんどの人にとって服装を自由に選択できることってとても大切だと思う。

髪の黒染め強要のニュースは、私にはとても痛ましく見える。
黒染めを強要されることで学生たちの大切な部分が、傷ついて悲鳴を上げているのが聞こえるような気がする。
性別にも、年齢にも、体型にも関わらず、すべての人が自分の着たい服が着れますように。
もっと各ファッションブランドがサイズのバリエーションを増やしてくれますように。
早く学校の制服が選択制になりますように。