コンパクトでない空間

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フェミニズムが男性に負担を強いる問題について

のぶみの「あたしおかあさんだから」の騒動をご存知だろうか。 本題と逸れるので割愛したいところだけど、人によっては全く異なった認識をしているかもしれないので、私の認識を共有するためにここでも流れを簡単に説明しておこう。

母親に恵まれず、「おかあさん」という概念に対するコンプレックスを解消できないまま大人になった男性絵本作家のぶみ。
「おかあさん」を過度に美化し高いハードルを要求する絵本を描き続けてきたが、ついにたくさんの子どもとお母さんの目に触れるだいすけおにいさんの歌として、その「おかあさん」に対する歪んだイメージ像を歌詞に乗せて発信するに至る。
「あたしおかあさんだから」と繰り返し、自分の人生を楽しんでいた若い女性が「おかあさん」になるために自分の楽しみを抑圧していく様を描いたその歌詞は、背景を知らなかった私などには、一見とても美しく芸術的に残酷なバッドエンドの物語に見えるほどだった。
しかし、前々からのぶみの思想を知り、問題視していた層によると、本人はハッピーエンド、美談だと思って描いているらしく、NHKというメディアによって、「おかあさん」に高すぎるハードルを要求する思想が、おかあさんや子供たちにバラ撒かれる、と危惧して炎上。
母親にかかる過度のプレッシャーが、虐待などを引き起こす可能性も指摘されている。

という状況。
もちろんこれは私の認識している範囲では、という話であり、人の数だけ見方があると思うけど、この記事はこの見方を前提に書かれている。
今回の本題は、のぶみへの批判に限らず、最近度々目にする「父親が育児を負担してないのはおかしい」という主張について、だ。

母親ばかりが育児を負担するのはおかしい。
父親も母親に甘えてあぐらをかいて負担を押し付けていないで育児に参加するべきだ。
その気持ちはごもっともではある。

しかし、私はそこに妙にひっかかるものを感じずにはいられない。
最近は「家事を頑張っても半分は負担してないから妻には褒めてもらえない。家事のために仕事を早退すると、理解のない上司からは冷めた目で見られる。板挟みで辛い。女ばかり家事を負担するのがよくないことはわかっているが、自分の中に染み付いた男尊女卑思想がどうしても時折鎌首をもたげ、モヤモヤした気持ちを抱えることになる」といったような趣旨の男性の発言をよく見る。
フェミニズムの理想は、誰も性別の役割に縛られない、プレッシャーを感じない、自由で幸福な社会であるはずだ。
男性であっても、父親という役割に縛られストレスを強いられるのは、フェミニズムの目指すべき社会とは私は思えない。
少なくとも私の思うフェミニズムはそうだ。

以前見たツイートで、「学校の体育の授業の前後、男子は教室で着替えて女子が更衣室まで行かなければならない問題が学級の議題に上がった際に、本来は学校が男女両方に更衣室を用意すべきであると指摘した生徒がいた」というものがある。
そのツイートの結末は、よって学校の責任なので女子は授業に遅刻しても甘く見る、と交渉してもぎとったというものだったけど。
この話もそうではないだろうか。

本来、社会が、父親も母親も育児に縛られず自分自身の自由な人生を生きられるようサポートするべきなのではないか。
保育園であったり、ベビーシッターであったり、会社で子供を受け入れるシステムであったり。

もちろん、女性にだけ家事や育児の負担を強いてきたことを棚に上げて、男性に育児を強いることを責めるのはアンフェアだ。
父親に育児の半分を要求することがおかしかったとしても、母親に育児の大半を要求することは絶対にもっとおかしい。
父親に育児を要求することの問題が追求されるより先に、母親に育児が要求されることの問題が追求されるべきだ。

しかし、父親と母親育児を半分ずつ負担しましょうね、というのも現実との妥協でしかなく、理想ではない、ということに目を向けなくては、幸福な社会というのは築けないのではないだろうか。
母親はもちろん、父親も育児から開放されるのが理想で、それがすぐには実現できないゆえに、現実との妥協として、父親も半分負担してくれ、という主張が自然なのではないだろうか。

そう思えば、前述した、フェミニズムミソジニーの板挟みで苦しむ男性たちについても、君たちの敵はフェミニズムではない、と、育児の負担をサポートしてくれない社会であると、その行き場のないストレスは、育児の支援をしない会社と保育園不足を解消しようとしない政府に向けろ、という解答を出すことができるし、それは私にはいかにも筋が通っているように思える。

私の個人的な思い入れの話になってしまうが、私の母は典型的なその世代の母親で、私を出産したあと仕事をやめ、私と家族のために尽くした。
私にはそれがプレッシャーでならなくて、実家に住んでいた頃は、母親の「私はこんなにも理想の母親なのに、なんであなたは」という眼差しに随分追い詰められた。

真っ先に、母親に母親としての役割を求めることをやめよう。
そして、それと同様に、父親にも父親の役割を求めることをやめよう。
子育ては、親は自分がしたい分だけして、負担に感じる部分は社会にアウトソーシングする。
血縁である親だからこそ与えられるものがある、なんて非科学的な発想は捨ててしまえ。
負担が、誰か一人にかかりすぎてしまわないように、家族ひとつひとつの能力とニーズに合わせて、柔軟に社会が負担を分散して吸収する。
そんな社会のほうが、きっと子供ものびのびと健全に自尊心を育める。