コンパクトでない空間

a good experience become even better when it is shared

「好きなことを仕事に」の絶対視はかえって古くないか

ここ数年で、「私たちは、仕事や勉強を苦痛でなければならないものだと教え込まれてきた。そんなのは嘘っぱちだ。好きなことを仕事にする、幸せなことじゃないか。その方がモチベーションも上がっていい仕事ができる」というような意見を目にする機会が増えてきたように思う。
私が子供のころから、私の両親は「勉強を好きになる教育が大切だ、嫌なものを嫌々やらせて身につくものか」と主張していたし、私にとってはこの意見は特に真新しいものではないのだけれど、私の世代で、最近大人になってからこの意見に感化された日本人は多いのではないだろうか。

私はこの動きを否定したいわけではない。
むしろ賛成だ。
その一方で、就活をしている友達から、「好きじゃない業界を志望するなんて……」という声もよく聞く気がするのだ。
私の周囲で就活をしている友達なんていったら、エンジニアばかりなので、エンジニア特有なのかもしれないが。
「仕事を好きでやってる人間こそが天才で、そうでない凡人は天才に敵わない」
という意見も、それはそれで人を苦しめてきている。
そんな気がする。

好きこそものの上手なれ、とは確かに一面では納得がいく話で、好きだからいつまでもやってられる、頭に入ってくる、結果的に上達する、そんな面は確かにあると思う。
ただ、それは、「得意である」ということの、ひとつの在り方にすぎない、とも思うのだ。
スポーツでも、ゲームでも、芸術でも、上手さというのは必ず一つではない。
色の使い方がうまい人、リアルな質感を表現するのがうまい人、表情を描くのがうまい人、いろいろなうまさがあって、誰一人として、どんな天才でも、そのすべてのうまさをひとつの絵に詰め込むことなどできない。
仕事を好きじゃなくても、生まれつき手先が器用で上手に絵が描けるかもしれないし、好きじゃないからこそ冷静に流行りを分析して盛り込めるかもしれない。
業務内容は好きじゃなくても、人間関係の雰囲気が好きで、安心できる人間関係の中にいるときこそ本領を発揮できる人かもしれない。
べつに、上手い、の在り方は好きであることだけじゃない。

サザン・オールスターズのTSUNAMIも、大瀧詠一君は天然色も、それぞれのアーティストを代表するヒット曲だが、話に聞く限りどうも彼らはこれらの曲を好きで作ったわけじゃないらしいじゃないか。
特にクリエイター分野においては、「好き」は追求し続けるとくいっぱぐれることはよくある。
待遇を得るために流行りに乗ることは、低俗でも魂を売っているわけでもない。
人間だれもが当たり前にもっている人生の選択権を行使しているだけで、誰にもケチをつける権利なんてない。

好きな人間が、寝る間も惜しんで没頭して仕上げた仕事こそ、常に最高の価値を持つ、というのはあまりに息苦しすぎないか。
最近ようやく、働き方改革という動きがおこり、寝る間も惜しんで仕事をすること、人生において仕事を第一に置くことを社員に要求することが見直されつつあるところだ。
「仕事は苦しいものだ」という価値観同様、「仕事を好きな人間こそ本物だ」という価値観も、同時にこの働き方改革の中で、脱していくべき呪いじゃないか。
好きなことでも仕事にしていいし、好きじゃないことでも仕事にしていい。
自分の人生は、自分が納得できるように自分で選んでいい。
そういう社会を私たちは目指していたんじゃなかったのか。

自分の体を大切にしていいという話

これは情報系を勉強する女子大生 Advent Calendar 2017 - Qiita6日目の記事です。

最近、思うことがある。
もしかして、私たち全員性犯罪被害者なんじゃないか、と。
いや、全員というのは流石に大げさかもしれないが。
以前にも書いた通り、私は痴漢被害者ではあるわけだけど、そういうことではない。
ざっくり言うなら、当たり前だと思ってきたあれこれの中に、性的暴力だったものってたくさんあるんじゃないか、という話。

小川たまかさんというジャーナリストを、大分まえにフォローした。
一番最初に読んだ記事は、性犯罪とは関係のない話だった。
小川さんは、性犯罪被害者を取材し、それを記事にすることを一番メインのお仕事にしているジャーナリストの方で、その後私は小川たまかさんの性犯罪関連のお仕事もいろいろ読み、そこから、性犯罪被害者について、いろいろ調べた。

そして、性犯罪被害者によく見られるいくつかの心理が、まったく他人事ではない、と、こう思っている人、いくらでもいるんじゃないか、と思いはじめた。

例えば、小川さんの書いた伊藤詩織さんの紹介の中の

『Black Box』彼女の元に問題が集約された【小川たまか】 | DRESS [ドレス]

性犯罪の被害者が「あなたが黙っていれば終わること」「騒ぎ立てればあなたがもっと傷つくことになる」と言われ、沈黙を余儀なくされることは多い。

これ、「騒ぐとかえってあなたの立場が悪くなる」というのは、言われたことがあるし、これは別の人の記事だが、

性的暴行の被害にあったトランス女性の私が、沈黙を破る理由

彼が私の嫌がることをし続けるので、私は「それは困る」と言い続けた。
「そんなことをされるといやな気持ちになる」と私は彼に言った。
最後にもう一度、「本当にイヤなの」と言って、私は抵抗を示した。
でも、彼は行為を続け、強要を続けた。彼は欲望の塊と化していた。

この心情も、いろんな場面で何度も遭遇してきたもので、今でも嫌悪感でいっぱいになる。
読むのが辛い。
この後、「彼は悪い人ではないから、ちゃんと断らなかった自分が悪かったのだろうか。いや、断ったはずだ、伝え方が下手だったんだ。いつも自分はこうだ、他人にやめてほしいと伝えることができない。自分に弱さがあるからだ」と自己嫌悪するところまでセットだ。

一回や二回じゃない。
レイプとかってほど派手な話でもなかった、太ももを触るとか、手を取るとか、その程度の話だったから、そのときは、性暴力だとは思ってなかったけど。
友達でも、当時の恋人でも、そんなことはあった。
私だけが特殊な環境に置かれてるとは思えない。
誰でも多かれ少なかれ男の人に恐怖を覚え、意思を踏みにじられた経験があるんじゃないだろうか。
この誰でも、というのは、女なら誰しも、という範囲の話じゃない。
二件目の方はトランスジェンダーだし、私の友達には痴漢被害にあった男性も多い。

可視化されていないだけで、実は日本は、性犯罪があふれかえりすぎているんじゃないのか。
それこそ、当たり前すぎて、性犯罪だと誰も思わないほどに。
日本は治安がいい、というのは、搾取する側にとって治安がいい、というだけで、半分以上の人間にとっては実は全然治安よくないんじゃないのか。
実際、日本の法律が「性犯罪」と認めるハードルは高く、他の国では性犯罪になっているものがなっていない場合がたくさんあるらしい。

headlines.yahoo.co.jp

このニュースは今まで強制わいせつ罪には加害者の性的意図が必要とされていたが、性的意図がなくとも強制わいせつ罪として認めるような判例に変更されたという話で、変更の理由は

「性犯罪に対する社会の受け止め方の変化を反映したものだ」

だそう。
逆に言えば、今までは、「誰がお前なんかに興奮するかよ、勘違い女」と言い張ってそれが認められれば強制わいせつ罪ではなかったのだ。
日本は性犯罪が少ない。
なぜなら女性が男性に搾取されるのは当たり前のことで、性犯罪ではないから。
と、そういう理屈に聞こえる。

漫画やアニメで、スケベなキャラクター(男性の場合も女性の場合もある)が女性キャラのおっぱいを触ろうとしたり、嘗め回すように見て、当人や別の女性キャラに怒られるシーンがギャグとして描かれることがよくあるが、私にはあれは笑えない。
ああいうとき、怒るのは、なぜ女性キャラばかりなのか、なぜ男性キャラは怒らないのか。
男でも女でも等しくああいうシーンには怒るべきじゃないのか。
「女が被害を受けるのは女自身が身を守るべき問題で、搾取する人間は思うがままに欲望を追求すればいい」という風に見えてしまう。
実のところ、性犯罪を取り扱った記事を読んでいると、被害者に理解のある内容のものでも、著者が男性だってことは結構ある。
ジャーナリストに限らず一般の男性の間でも、性暴力を見たら止めるのが普通になってほしい。

性暴力を止める男性のイメージ
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コードギアスのミレイ会長に性暴力加害者役をやってもらいました。会長ありがとう)

私が中学生、高校生の頃は、「女子ツイッタラーのツイートのイライラ度から生理周期を解析して管理してる」なんてツイートが、笑い話として受け入れられていた。
今じゃそんなこと言ったら流石に炎上すると思うが、当時の私はあれを見て、「生理がバレるような素振りを見せたら、それを記録につけられて記録を送り付けられたりしても、文句言えないんだ」と思った。
生理周期の記録をつけていたら、流石に犯罪じゃないのか。
犯罪になるべきだ。
笑っている場合じゃない。

探せばいくらでも、日常の中の暴力性が見つかる。

先述の小川さんの記事に、こういう言い回しがある。

しかし、今回の詩織さんのような件があったときに、社会を変えようとする人を半笑いでたしなめたり、苦難を抱える人に我慢を強いて終わりにしたりする行為は、一体誰にとって都合がよいのだろう。

「一体誰にとって都合がよいのだろう」という言葉は、小川さんはよく使うけれど、この視点は本当に大事だ。
「面倒くさい世の中になった」「被害妄想なんじゃないか」と被害者の声を軽視して得をするのは犯罪者だけだ。
この社会は、あまりに弱者を踏みにじる男性に都合よく出来すぎていやしまいか。

日本は今や世界男女平等ランキングで140カ国中114位の、男女平等後進国だ。
男女は既に平等だと思っている人もいるかもしれないが、世界経済フォーラム(以後OECD)によれば、そういうことになっているし、私もそう思う。
(The Global Gender Gap Report : http://www3.weforum.org/docs/WEF_GGGR_2017.pdf
先進国の中で低い、どころか、発展途上国を含めて考えてなおかなり低い方に入る結果だ。
特に、専門性の高い職種の男女比がランキングを下げている。

労働賃金、政治家・経営管理職、教授・専門職、高等教育(大学・大学院)、国会議員数では、男女間に差が大きいとの評価で世界ランクがいずれも100位以下。その中でも、最も低いのが国会議員数で世界129位

【国際】世界「男女平等ランキング2017」、日本は114位で昨年より3位後退。北欧諸国が上位 | Sustainable Japan

フランスでは女性の裁判官が多く、判決が女性に有利になっているらしい。

性犯罪に関する日本の司法が男性贔屓すぎる点の理由のひとつは、こういった政治家や裁判官に女性が少ないという点も大きいのだろう。
企業の経営陣にしても同様だ。

私たち、情報を学ぶ女子大生は、もし卒業後IT業界やアカデミアに就職するとしたら、こういった環境の中で働くことになるのだ。
性犯罪の多くは、知り合いからの被害である場合が多い
上司と部下、先生と生徒などという上下関係がある場で特に起こりやすい。
就職したら上司にレイプされました、は全然他人事ではないのだ。

IT会社に見学に行くと、どこも口をそろえて「うちは女性も働きやすい企業です」なんて言うけど、果たしてどこまでほんとなのか。
いじめが起きた小学校への罰則を強化したら、小学校がいじめを隠蔽するようになったため見かけ上件数が減った、という話があるが、日本の性犯罪も今はそのレベルだ。
性犯罪の件数が多いコミュニティは、摘発されているだけマシ。
表立って起こっている事件が少ないところこそヤバイ。
もしそれを知っているなら「うちは女性も働きやすい企業です」と断言はできないだろう。
「女性にとって働きやすい環境であるよう努力している」「女性社員の声も取り入れられるよう、決定に参加してもらうなどの努力をしている」というような表現になるはずだ。
安易に「女性も働きやすい」と断言してしまっている時点で、理解のある環境だとは私には思えない。

ほんとは、この記事は最初はキャリアについて書くつもりだった。
職場での差別、偏見、セクハラは、どんな企業に行くとしたって他人事ではないだろうと、被害を受けたときに自分の心を守れるように、味方してくれる人がこれだけいると紹介するような内容を書こうと思っていた。
でも、どうしてもうまく話がまとまらなくて、結局私が書きたかった「差別、偏見、セクハラ」って、性暴力って書いた方が適切だったってことに気が付いた。
職場等で起こっているような「セクハラ」と性犯罪の根底にあるものは共通、法律で犯罪と認められているかどうかが異なるだけで、加害者の心理も、被害者の心理もそこで起きているものは本質的に変わりないように思う。
マズローの五段階欲求説で言うところの、社会的欲求云々言う前に、まず、安全欲求が満たされていない。
その状況でキャリアについて語っても虚飾にすぎない。

人間は生物だから、本能があり、欲求がある。
でも、人間は、生物である以上に人間であり、理性と科学で欲求を制御し、問題を解決できる種族のはずだ。

実際、時代は変わりつつある。
イオンはエロ本の取り扱いをやめたし、強制わいせつ罪の判例も変わった。
これからはたとえ「誰がお前なんかに興奮するかよ」が真実だったとしても、そこに客観的事実としての性的な行為の強要さえあれば、法律は被害者側を守ってくれる。
まだまだ法律に問題のある点も多いらしいが、私たちが中学生、高校生だったころに学んだ「男女のあり方」はこの数年で変わろうとしている。

自分の体は自分のもの。
誰にも勝手をすることは許されないし、もしそうされたのなら、傷つき、怒っていい。
怒ったところで受け止めてもらえるのかという点については前途多難ではあるが、少なくともこうして怒ることができるようにはなった。

最後に、エンパワメントというらしいが、読んでいて勇気づけられるような、受け入れてもらえると希望を持てるような情報をいろいろ紹介しようと思う。
今回は、キャリア、ITに関わりそうなものをちょっと多めに集めてみた。

小川たまかさんの記事

twitter.com

性暴力について取材して記事を書いているジャーナリスト。
小川たまかさんの記事はなにを読んでもはっとさせられるものばかりだけど、そのなかのいくつかを紹介します。

メインは性犯罪だけど、キャリア関連の話題も。
news.yahoo.co.jp

小川たまかさんのメインのお仕事である性犯罪関連の話
No means No 私の体は私のもの|Tamaka Ogawa|note

「性犯罪者は“マジック”で自己正当化する」 加害者臨床から見た“男が痴漢になる理由”(小川たまか) - 個人 - Yahoo!ニュース

Black box

ジャーナリスト伊藤詩織さんが書いた、ジャーナリスト山口敬之にレイプされた事件の顛末をまとめた手記。
滅多に表にされない職の場面で起こる性犯罪の実情。

「私が声を上げたのは、彼と闘うためではなく、沈黙したら、同じような被害者がまた出てしまう。性暴力をオープンに話せる社会にし、司法や捜査システムを改善したいため」(『AERA』2017年11月13 日号) http://wezz-y.com/archives/50723 より

彼女が顔を出して語ったもう一つの意味(小川たまか) - 個人 - Yahoo!ニュース

『Black Box』彼女の元に問題が集約された【小川たまか】 | DRESS [ドレス]

レイプ被害届に対して「法に触れることはしていない」と反論したジャーナリストが否定しきれていないこと - wezzy|ウェジー

性交を認めながら「レイプでなかった」とする根拠に乏しいジャーナリスト・山口敬之と擁護派の主張 - wezzy|ウェジー

ABC of Diversity

富士通とWIRED日本版が開催している、企業がどうダイバーシティに向き合うべきかの勉強会

第一回は企業がなぜダイバーシティに取り組む必要があるのかについて wired.jp

第二回はジェンダー問題で炎上した広告について wired.jp

第三回は未公開

あるこうよ むらさきロード

DV、性暴力、虐待の被害に合った当事者のパレード
www.buzzfeed.com

サイボウズの社長青野慶久さんが、夫婦別姓法案棄却について国を訴訟へ

www.buzzfeed.com

完成度をワンランク上げるデジ絵加工技術

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これはCCS Advent Calendar 2017 - Adventarの二日目の記事です。

前: †皆伝暴龍天†が推すッ!弐寺とボルテの名曲、13選 - †皆伝歩夜騎之娘ノ舞†

なにを書いてほしいかTwitterでアンケートをとったのですが、

アンケートの結果は完全に無視し、よっつめのやつを書くことにしました。
なんでかって?
よく考えた結果、他の奴は全部「ぐぐれカス」で終わっちゃうってことに気づいたからだよ!

ぐぐれカスだけじゃあんまりなので、一応記事の最期に他のテーマに関するリンクも置いておきます。
なので、よかったら最後までおつきあいください。

さて、本題です。
ここに、この記事のために無駄に頑張って描き下ろした絵があります。
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これを、
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こうなるように加工します。
並べるとこんな感じ。
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空間の奥行きが感じられるようになっているかと思います。
キャラクターの奥の空間に空気が存在している感じ、あるいは、絵の中の世界ではなく、本当に自分がそこにいるような感じ、を出したい。
という加工のお話です。
これを読めば誰でも臨場感のある神秘的な絵が描けるように!なる!
加工前の元の絵が描けないって?
そんなん私が書かずともいくらでもメイキングがあるだろ!頑張れ!

私は普段SAI2を使っているので、SAI2で進めていきますが、基本的にどんなお絵かきツールにもある基本的な機能しか使わないので、なにを使ってもできると思います。
一か所だけphotoshopにしかないフィルターを使います。
現状のレイヤー数は背景とキャラの2枚です。
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解像度はこのぐらい。
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この解像度、メモリ的にはギリギリア……セーフ、ぐらいのラインで、chromeや他の大きい解像度の画像を開いているときにSAI2でレイヤーをガンガン複製していくとメモリが死ぬので、私みたいな「馬鹿みたいにでかい解像度じゃないとモチベーションあがんない!!」とかでなければもう少し小さくした方が無難かと思います。
SAIのメモリ効率が悪いだけで、photoshopとかクリスタなら大丈夫なのかも。

背景をぼかす

まず背景のぼかしから。
背景のレイヤーを複製し、ぼかします。
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全部ぼけていると変なので、奥と手前を残し、キャラの周辺にあるものだけクリアにしましょう。
こんな感じの透明度が低く、輪郭のぼけた消しゴムツールを用意して消していきます。
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このぐらい消すと、
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下のレイヤーを表示したらこうなってくれます。
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念のためバックアップ用にレイヤーを複製してから、背景レイヤーを結合してぼかし工程は終わりです。
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背景とキャラに異なる操作をするのはここまでなので、念のためにバックアップとしてレイヤーを複製してから、背景とキャラのレイヤーを統合しましょう。
工程前後比較
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彩度の調整

次は、彩度レイヤーを使ってみましょう。
新規レイヤーを彩度モードにして、顔、手等目立たせたいところや、光が当たっているところに彩度の高い色をぼかしたエアブラシでのせます。
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同じように、目立たせたくないところに黒をのせていきます。
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いい感じの見た目になるように不透明度を調整するとこんな感じになります。
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工程前後比較
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テクスチャ

テクスチャを貼りましょう。
自分が撮った写真や過去絵を使うのがオススメです。
全然関係ないもので構いません。
今回はこれを使ってみましょう。
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適当にぼかして大きさを調整して回転させます。
なんとなく明るいところ同士が一致するような向きにします。
オーバーレイにしながらコントラスト、色相、明度を色調補正をしていい感じにします。
コントラストは色が飛ぶぐらいが目安、色相は空気の色(シアン~青)ぐらいが目安、明度はオーバーレイにして元の絵の全体の明度の印象が変わらないぐらいが目安です。
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不透明度を3~10%ぐらいにして完成。
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工程前後比較
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ハイパス

SAI2はここまでで、ここでpsdで保存してphotoshopに移動します。
レイヤーを複製し、オーバーレイにして、フィルターのハイパスをかけます。
ハイパスのある位置はバージョンにより異なるので各々調べてください。
先にレイヤーモードをオーバーレイにしてからハイパスをかけることで、仕上がりを確認しながらハイパスのパラメーターをいじれます。
今回は3.4pixelにしました。
レイヤー単体で見るとこんな感じです。
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オーバーレイにするとこんな感じ。
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背景だけぼけてるのが気になったので、背景だけハイパスを強くかけました。
背景をぼかすのに使った、フィルターをかけたくないところだけ消しゴムで消す手法で。
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工程前後比較
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完成

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前後比較
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いかがだったでしょうか。
え?変わってないって?
この微妙な差が大事なんだよ、微妙な差が!

そんなわけで、書かなかった他のテーマの関連リンクを書いていきます。

メイク入門

私はこの本を読んで勉強しました。
でもたまたま書店に置いてあったのを手に取っただけで、こういうメイク教本はいくらでもあるので、お好みのものを買えばいいと思います。

女装メイク

ひげ隠し
ameblo.jp
眉について
www.youtube.com
女装コスプレメイクのやり方 | ハツコス!
ノーズシャドウについて(これは女装メイクではなく女の子の普通のメイクの話題ですが、男性は鼻が大きめなのでより参考になるかと)

線画の抽出

SAI2ならコントラストと輝度を透明度に変換を使えば終了。
photoshopなら
hisakatano.raindrop.jp

「表現の自由」という言葉の使い方を見直したい

ヘイトスピーチとか、エロ漫画の規制とかの話題で必ず出る「表現の自由」という言葉の使い方が気になって仕方がない。

そもそも、歴史的経緯を考えるなら、表現の自由の意味は、「政府を批判しても投獄されない権利」としての側面が強いはずだ。
表現の自由っていうのは、政府が個人の権利を保障するものであって、個人が個人を言葉で傷つけて暴力を振るう権利を認めるものじゃなかったはずではないだろうか。

憲法の解釈に関しては、プログラム規定説だかなんだか私は詳しくないけど、個人の解釈にすぎず、私の解釈が普遍的に正しいわけではないかもしれないが、
たとえ憲法が個人対個人間の表現の自由を規定するものだったとしても、少なくとも、ヘイトスピーチを批判する自由、エロ漫画を批判する自由というのもまた同時に同じ程度に尊重しなければおかしい。

ヘイトスピーチをしたやつに法律的に罰金/懲役を」という話が出たときに「そこまでやっては表現の自由の権利を侵害してしまう」と反論が出るのはまだ納得がいく。
しかし、どうにも見ていると、そこまで言ってないのに「ヘイトスピーチがよくない。やめよう」に対して「表現の自由の侵害だ」と反論している人がたくさんいると感じる。
ヘイトスピーチはよくない」という発言をすることもまた表現の自由だ。

私が思うに、「表現の自由」という言葉の意味は、「言葉での暴力に、物理的な暴力で報いを与えるのはやめよう」「言葉の暴力への自衛は言葉までにとどめよう」「言葉の暴力に対して法律で自衛したら過剰防衛になってしまう」ということなのではないだろうか。

以前にも書いたかもしれないが、見て見ぬふりというのは消極的ないじめっ子側への加担だ。
「自分は表現の自由を尊重するからヘイトスピーチになにも文句を言うつもりはないし、他人の文句を言う権利を認めない」というのは、一見フェアな姿勢に思えるのかもしれないが、そうではない。
恐怖に抗い、ようやく立ち上がって怯えながらも声を挙げたマイノリティを、言葉の暴力で再び支配し、黙らせようという行為への消極的な加担だ。
ましてや「表現の自由でしょ」と口に出して彼らを攻撃するのなら、積極的な加担になる。
表現の自由でしょ」と口に出す人たちは、そのつもりはないのかもしれないが、実質的にはそれは弱い立場のものを怯えさせ、恐怖で支配する結果になっている。

表現の自由」という言葉を振りかざす人たちがしたいことは、本当にそれなのか。
それこそ、マイノリティの表現の自由を奪っているじゃないか。
そこまで全て理解した上であえて怯えさせるために「表現の自由」という言葉を使っているのなら、私から言えることはなにもないが、本当にしたかったことはそうじゃないんじゃないのか。
君たちが言いたかったことは「自分の不愉快だ。ヘイトスピーチはなくなってほしいと思う。でも表現の自由は尊重しなければならないものだから、法律で規制するわけにはいかないんだ」じゃないのか。
表現の自由があるから、規制だとか、言うなとか言えない、というのは大いにわかる。
だからといって、そこだけ言うと、ヘイトスピーチの肩をもち、ヘイトスピーチに不満をもつ人を攻撃しているような形になってしまうのだ。
「自分も気持ち的には許しがたい。でも、表現の自由があるから規制はできない」
それでいいじゃないか。
どうして表現の自由があるからって不満を持ってはいけない、不満を表現してはいけない、ということになる。
規制は求めないが悲しい、減ってほしい、なくなってほしい。
そういう姿勢でいればいいじゃないか。

表現の自由」という権利自体は私も素晴らしいものだと思う。
それは多くの人々が血を流して獲得した人権のうちの大切な一部だ。
だからこそ、その言葉は、正しい意味で、言葉を物理的な暴力や法律で封じられている人たちを助けるために使ってほしいと思う。
共謀罪なんていうものも最近話題になっていたが、ああいったものこそ、本来「表現の自由」の批判を向けられるべき存在ではないのだろうか。

就活が苦手な人でもできる就活

私の周りには「就活とかムリ。だけど起業ってほどリスキーなことする覚悟もない」という人が結構いる。
彼らの言い分は、「自分は就職とか柄じゃない」「仕事のために生きるとか無理」「働きたくない」といった調子。
まず最初に、誤解しないでほしいのが、別に私は彼らを怠け者だと思っているわけではない。
むしろそれは怠けるとかではなくて単純に「就活が苦手」と、誰にでもある得意不得意のうちのひとつとして数えられるのが適切ではないだろうか。

就活というものは、経団連が定めたスケジュールを基準に、就活準備から内定までのスケジュールのモデルが存在して、そのみんなと同じスケジュールに従って、準備し、みんなと同じスーツを着て、少しの隙もなく模範解答の応対をする。
就活が苦手な人たちが苦手な「就活」というのは多分、こういう、みんなから、社会の規範から一歩外れたら出遅れて想像もつかない見るも無残な目にあわされるような、恐ろしいものなのだろう。
実際そういうハードな就活をしている人たちというのは結構みかける。
企業が判断する側、自分が判断される側、の構図に完全にはまりきって、自分より圧倒的に偉い企業の機嫌を取るために、様々なうわさに翻弄される。
企業側も「私らはこういう基準で学生を見ています。やっぱりこういう人はいいですよね」といった調子で、自分が判断する側で立場が強い側だという自覚を持った振る舞いをしてくるのだからたちが悪い。

あれはあれで、ガイドラインがないと困るって人たちにとっては助かるものなんだろう。
とりあえずみんなについていけてさえいればなんとかなる。
自分で判断する必要がない。
そういうことを魅力だと、楽だと感じる人たちというのはいて、そういう人たちが迷える子羊にならないようにあのシステムがあるのだと思う。

就活は本来もっと自由度が高く、幅の広い概念であるはずだ。
要は企業と出会いさえすればいいのだ。
型にはまった就活は単なる集団お見合いだ。
別にお見合いをせずとも自由恋愛で自分のパートナーを見つければそれでいい。
ただ、お見合い以外にどうやってパートナーを見つけたらいいのかがわからないから、就活が苦手な人たちは困っているんだと思う。
「セロリが苦手な人でも食べやすいセロリ料理」はググれば出てくるが「普通の就活が苦手な人でもしやすい就活」の情報はググってもそうは出てこない。
就活に苦手意識を持って目を背け、情報の収集を怠っていたらなおさら届かない。

お見合いを介さずに企業と出会うことは、一般には「コネを作る」と呼ばれている。
コネクション。

コネを作るなんてずるい、とかいう人もいるけど、コネの威力というのは馬鹿にしてはいけない。
直接結果に見えやすく繋がるわけではないから、「ホンネとタテマエ」の使い分けが苦手なASDや将来の見通しを立てるのが苦手なADHDほど軽視してしまいがちだけど、コネは気づかないところで少しずつ効いてくる。
お得な話を手に入れたときに教えてもらえたり、コネが次のコネを呼んだりして、二乗三乗に効いてくる。
自分独自の情報網ネットワークという資産になる。

というかそもそも就活というのが、人材と企業がコネクションを作るためのイベントなのに、なぜ就活で作ったコネクションはコネと呼ばれないのかよくわからない。
いや、実際あれを広い意味でコネと呼んでも差支えない気がする。

既にコネがあるならそれを使わない手はない。
よっぽど「これは自分の希望とは違うな」という確信がある企業とかでなければ、片っ端から知り合いに「会社見学させてもらうことってできますか?」と言ってみよう。
知り合いというのは、趣味で知り合った人、twitterで知り合った人、サークルのOB、親の友達などなどだ。

あとはコネを増やす方法だけど、露骨なお膳立てとかは別にしなくていい。
コネを増やすために心がけるべきことはみっつだと思っている。

  • 人を紹介しようか、と言われたら、単位や病気にかかわらない限り他のなによりも優先して行く
  • 人と知り合う機会のあるイベントに誘われたら、友達との約束よりも優先して行く
  • 自分が今のところどんな仕事ができそうだと考えているのかを言語化しておいて、機会があるたびに伝える

誘われなかったら行かないイベントでも、誘われたら行っておくというのは大事だ。
その人が別の情報を手に入れたときにまた誘ってくれる。
紹介してもらえる相手がどんな相手かわからなくても、イベントがどんなイベントかよくわからなくても、よほどこの手のイベントは自分には無理だ、とか、これカルト団体じゃないの?事件に巻き込まれない?とかの予感がしない限り、とりあえずわんこのように「行きます!」といいお返事をしておくといい。
出会いは基本数撃ちゃ当たる戦法、行ってみて特に収穫がなかったとしても、何回か行ってそのうち一回収穫があればいい。
収穫がないことはプラスではないとしても、特にマイナスでもない。
よほど苦痛そうなイベントでない限り、「あなたがオススメしてくれたのなら行きましょう」という義理を果たすためだけでも行く価値がある。
ちなみに私は奨学金方面からグローバル民族衣装のファッションショーのモデルのお誘いを受けたときは流石に断った。

それから、自分がいま何を考えていて、なにについての情報を集めているのかを、今の自分にわかっている範囲でいいから伝えておくと、相手から誘われるイベントの精度が上がっていく。
これは時間とともに更新されていくものなので、一度伝えたらそれでいいわけではなく、機会があるたびに今最新の自分の考えがどうなっているかを伝えておこう。
逆に言えば一度伝えたらそれを変えられないとかは心配しなくてもいい。
とりあえず、今、社会で働いたこともない社会をよくわかってない自分が等身大に思うこと、で十分だ。
というか就活なんてそれ以外の基準で決めようがない。

企業の個別のイベントについては地道にそうやって情報を集める必要があるけど、比較的多くの企業が提供してくれているイベントに、インターンと各種コンテストがある。
会社説明会やワンデイインターンもある種のコネ作りだとおもうけど、そういうイベントほど「表向きの顔」色が強くなって、こちらも「タテマエ」を用意することが求められる、息苦しい就活っぽくなってくるので就活が苦手な人にはオススメしない。

インターンの場合、できたらワンデイインターンではなく、長いやつ。
できたら、他のインターン生と一緒に受けるやつではなく、インターン一人一人バラバラなチームに配属になるやつ。
そして、できたら通年募集で期間の融通がきくやつ、がいい。
そこで社内の人と知り合って、身内になってしまえば、内々定が出る場合もあるし、そうでなくともその会社とは気楽な距離感になる。

コンテストに関しては、企業も基本的には初心者でも参加人数が多ければ多いほど嬉しいはず。
バリバリの経験者じゃなくても、初心者なりに頑張りました、というのを、「将来有望」「伸びしろがある」とみてくれることも多いだろう。
確かに、ものによっては競技プログラミングのコンテストなんかだと本当にデキるやつを探しているタイプのコンテストもあるだろうけど、そうでないものもある。
内容も企画系のコンテスト、プレゼン系のコンテストなどなどいろいろあるし、女性向けのものもある。
自分の興味の持てるもの、これならできそうって思うものを探して参加してみるといい。
コンテストに目星はつけたけど、どうしても勇気がなくて尻込みをしてしまうようなら、コンテストの問い合わせ先に連絡をして、心配していることをそのまま聞いてしまうのがいい。
大抵の場合は企業側にとっても不要な心配で参加を諦められてしまうのは損失なので、心配を取り除くために丁寧に対応してくれる。

Google STEP インターンまとめ

Googleインターンに行って来ました。
楽しかった。

コンフィデンスの都合上業務内容等については書けないので、採用システムや設備について紹介しようと思います。

Googleは、「Googleの財産は人材がすべて」という信念で、エンジニアを非常に大切にしている。
Vokersの働きやすい企業ランキングでずっと一位を守り続けているだけあって、設備についても制度についても、かいけつできる本質的でない問題で貴重な人材が辞めてしまうことないよう、それはそれは細かなところまで気を配ってくれている。
出産、子育て休暇、病気での長期入院、アレルギーや宗教にも対応した無料で美味しい社食、カスタマイズ性の高いデスク、それはもう宝物のように、自分でさえ気付いていなかったようなストレスまで取り除いてくれる。

それと同時に、採用にも非常にお金と時間をかけている。
優秀な人材を見つけ、Googleに興味をもってもらうこと(リーチアウトと呼ばれていた)も力を入れている。
びっくりするほど積極的で、私のお父さんなんかは「血眼になって探している」と表現していたけど、あながち間違いでもないと思う。
女性や身体障害者などのマイノリティへのリーチアウトは特に重視されていて、女子高生にオフィスツアーを提供するMind the Gapプログラムなど様々な活動が行われている。

私が今回参加したSTEPプログラムもマイノリティへのリーチアウトを目的とした活動のひとつで、学部生の女性と身体障害者を対象にした教育コースとインターンコースの二段組のプログラムだ。
STEPプログラムのインターンは通常のインターンとは区別されていて、SWEインターン(ソフトウェアエンジニアインターン)と呼ばれる通常のインターンの期間が三ヶ月が目安なのに対して、STEPインターンは二ヶ月と学部生が長期休暇を利用して参加しやすいよう短くなっている。
教育プログラムに参加した人は、STEPインターンを希望する場合面接を受ける。
そこで、インターンに参加してもお互い実りのある経験にできるだけの能力があると判断されて、受け入れてくれるホストも決まればSTEPインターンに参加することになり、そうでない場合は今回は見送り。
まだ学部生であれば、来年もう一度面接を受け直して挑戦することもできる。

GoogleはSWEインターンやフルタイムの採用の基準はマイノリティだからといって下げたりはしないと明言していて、STEPインターン卒業生がSWEインターンに応募した場合も通常のSWEインターンと同じ基準で選考される。
そして同様に、基準を越えていてホストマッチングできればSWEインターンに参加し、そうでなければまた来年応募することになる。

採用のプロセスが規格化されていないため複雑だけど、基本的になにかをしたからなにかができなくなる、ということはない。
例えば、学部三年生が、STEPインターンに行ったから次はSWEインターンに応募しなければならず次の年四年になったときに新卒に応募できないとか、一度STEPインターンを受けて落ちたからもうSTEPインターンには応募できないとか、そういう理不尽なことは起こらない。
逆に、なにかをしたからなにかができるようになる、ということもないのだと思う。
STEP教育プログラムを受けずにSTEPインターンにいきなり応募することもできた気がするし。
インターンに参加すると、「時間をかけて正確に能力を判断してもらえる」というメリットはあるけど、それで応募できなかったものに応募できるようになるとか、基準が下がるとかいうことは起こらない。

あと、インターン中に周囲から評価されるプレッシャーを受けるか、という心配については、少なくとも私はあまり気にならなかった。
もちろん、実際には評価されているわけだけれども、ホストはこちらが傷つくような攻撃的なフィードバックはしない。
なぜなら、こちらもホストのホストとしてのクオリティをフィードバックしているので、傷つくようなことを言ったらホストがGoogleに怒られるのだ。
Googleは、お互いに評価しあい、お互いそれを糧として真摯に受け止めるという文化を築こうとしていて、そのために、落ち着いてストレスなくフィードバックを受け止められるように、怯えたり傷ついたりしなくて済むように周りがサポートする文化がある。

Googleの設備については、実際に行って見てみるのがいいと思う。
お菓子やコーヒーサーバーが食べ放題使い放題のマイクロキッチンとか、ジム、音楽ルーム、数々の愉快でファンシーなデザインの会議室などなど、ありすぎてなにがなんだかよくわからない充実した設備がある。
ゲームルームとかいう、ボードゲームからスプラトゥーンからDDRから置いてある部屋とかもある。
二ヶ月いたけど未だに広すぎて設備を把握できてない。 オススメはお金を入れなくても飲み物が出てくる自販機。
当然いつでも誰でも入れるわけではないけど、オフィスツアーをする手段は多分たくさんある。
GoogleのファンをGoogleは大切にするので、見てみたいという人はなにかしらGoogleとコンタクトをとって相談してみたらいいと思う。

メイドインアビス6巻ネタバレ レグの足取りまとめ

アニメ最終話すごいよかった……
原作の次回の更新に向けていままでのところの情報を主にレグの足取りの情報から整理しておきます。
ツイッターでぶつぶつ言ってたののまとめ。

時系列順にまとめてみます。

  • 7層でライザが「謎の人影」に出会う。ライザが手記をしたためる
  • ライザが「謎の人影」を飼ってる犬の名前にちなんで「レグ」と名付ける
  • ライザとレグは口癖や戦い方の癖がうつるほどの時間をともに過ごす。レグが火葬砲で何者かを弔い、ライザに励まされるような描写も
  • レグは「奈落のそこで待」っている何者かに出会い、「奈落の底で待つ」の走り書き、ライザの白笛、ブレイズリーブ、ライザの手記を持って地上へ向かう
  • レグは6層でファプタと出会う。レグは「ハク(一番高い価値)を連れてくる」と言い残して去る
  • レグは4層のライザのお気に入りのトコシエコウの群生地に、まるで墓標のようにブレイズリーブをつきたて、白笛、手記、走り書きをそこに残す。このときレグは青い石のペンダントを持っている(ここまではおそらく記憶がある)
  • レグは更に上へと向かい、1層でベニクチナワに襲われているリコを助ける。リコは青い石のペンダントを拾う(火葬砲の反動の睡眠から目を覚ました時にはレグは記憶を失っていた)
  • 偶然にもライザと同じネーミングセンスを持つリコが記憶を失ったロボットを飼っていた犬の名前にちなんでレグと名付ける
  • 二ヶ月後、オーゼンがトコシエコウの群生地に残された手記などを見つけ、ハボさんがそれを地上へ持って帰る
  • リコとレグが「奈落の底で待つ」の走り書きを見て、深層を目指す冒険をはじめる

叙述トリックとかがないなら、まっとうに読み取ればこんなもんだと思う。気になる点がいくつかある。

オーゼンとレグの関係。

オーゼンは「まだ生きてたんだ」「記憶が戻るまで行かせたくなかった」「頑丈さが売りなんだってね」と多少レグのことを知っている素振りを見せている。
「思い出す前に処分しないと」をいう発言を信じるなら相当都合の悪いことを知っていることになるけど、そこは演技の可能性もあるか……。
レグの口癖や身のこなしがライザに似ていることを指摘しているということは、ライザと共に冒険をしていたということまでは知らない様子だし、頑丈さについても話に聞いていただけでどこまで頑丈なのか自分の目でみたことはなかった。
火葬砲もはじめて知った様子。
事実オーゼンはラストダイブに潜ってからのライザは知らないはずなので、レグのことを知らないほうが普通。
逆に、その多少の知識はどこで得たのだろうか。
リコとレグには公開されていないライザの手記があり、オーゼンがそれを見ていて、リコに全てを教えたように見せて実はその手記のことは隠していたという可能性がひとつ。
でもオーゼンのキャラクターと反する気がするので考え難いか。
あるいは地上へ登る最中のレグと出会ったというセンの方が納得できるかもしれない。
なんならレグがオーゼンに直接「トコシエコウの群生地に白笛を置いてきた」と伝えた可能性もある。

レグはなぜ手記を自分で地上まで届けなかったのか?

レグはなぜ手記を地上まで持っていかずに4層に残したのだろうか?
人に姿を見られることを嫌ったのだろうか。
だとしたら、なぜリコを助けるために火葬砲を撃つというリスクを犯したのか。
実際リコに見つかってしまっている。
そのリスクを犯すほどの価値がリコにあった、つまり、地上にやってきた目的がリコを連れて帰ることだったとすれば納得がいく。
とすると、ハクとはリコのことなのだろうか。
2000年の呪いを解決できるキーパーソンなのだろうか。
リコにアビスの存在そのものを左右できるような特殊性があるとは思えないけど、強いて思い当たるものがあるとすれば、リコの水晶体を通さねば頭痛が起きる特殊な目は、呪いではなく祝福なのかもしれない。
レグが4層の時点から持っていた青い石のペンダントはレグが地上に来た目的のために必要なのだろうか?
それともレグ自身のために必要なものなのだろうか?
レグとリコが出会ってから白笛が上がるまでが2ヶ月だと思うと、レグが4層に白笛を残してからレグがリコを助けるまでおそらくそう間があいてないのだろう。
一層についたと思ったらいきなりリコが襲われているところに出くわしたという感じだろうか。
リコがベニクチナワに襲われていなくてもすぐに姿を晒すつもりだったのだろうか。
記憶を失ったのは事故か、予定通りなのか。

ブレイズリーブをなぜ4層に置いてきたのか?

レグはなぜトコシエコウの群生地を選び、ブレイズリーブを墓標のように突き立てたのだろうか。
そもそもレグはライザのお気に入りの場所を直接見たのははじめてだったはずで、わざわざライザの話をもとに群生地を探したことになる。
単なる感傷かもしれないが、ブレイズリーブが使えなくなった、必要がなくなったという理由なら、使えなくなった時点で捨てておく方が合理的な気がする。
自分には必要ないがまだ使えるから人に渡したかったのか、あるいは演出のためか。
つまり、ライザのお気に入りの場所に、ブレイズリーブと白笛と手記が置いてあれば、誰もがライザは死んで、これらを残したのだと想像する。
ライザは死んだと思って欲しかったのか、これがライザのものだと確実に信じて欲しかったのか。
白笛さえあれば真実だと十分信じてもらえるはずだけど、確実にしたかったのだろうか。
レグに手記などを届けることを命じたのがライザじゃないのだとすれば、この演出の念のいれようも納得がいく気がする。
リコが持っていたプルシュカのユアワースが簡単に盗まれたことを思えば、深層では白笛も本人証明としては弱い。
実はライザではない別の誰か、特に「奈落の底で待」っている何者かの計画なのかもしれない。
手記の更新が止まっている点からも、ライザは死んでこそいなくとも、なんらかの事情で動けなかった、あるいはレグもライザとコンタクトを取れない状況にあったとして不思議ではない。
手記の更新に関しては、情報が漏れすぎてはいけないからあえて制限した、あるいは単純に書くのが面倒だった、という線もありそうなのでそこからだけでは断言できないけど。

ファプタとレグの関係

ファプタの「ファプタのレグ」という発言。
6層でレグとファプタが出会った時、レグは使命を持って地上へ向かう途中であれば急いでいたはず。
奈落の底で待っている何者やライザがいつまでも無事な保証はないし、急がない道中というのは考え難い。
「ファプタのレグ」と呼ぶほどの絆を築く時間はあったのだろうか?
ファプタの「ファプタのレグ」は一目惚れ的な一方的な主張なのかもしれないが、もし6層でしばらく時間を過ごしていたのだとすれば、レグはその時点ではまだ地上を目指していなかったのだろうか。
ライザはアビスの呪いで6層には戻ってこれないはずだが、レグなら6層と7層を往復することも可能だったのかもしれない。
あるいは6層のレグはなんらかの理由で目的を放棄していたか、6層から出られない状況にあったか。

ここから先はレグの足取りとは関係のない考察

オーゼンの言う「あの子」とは

オーゼンの「呪い避けの籠を置いておけばあの子も来てくれたのに」という発言。
あの子とは誰なのか。
その時点ではレグとは出会っていないはずなのでレグではないし、ジルオがライザを選んだのは呪いよけの籠を運んできたこととは直接のつながりはない。
ナナチとは面識はないだろうし、出会っていたとしてオーゼンが惜しむような人材とは思えない。
ライザがラストダイブに潜ってしまったことを指すというのも、「行かなかったのに」ではなくて「来てくれたのに」という言い回しにはしっくりこない。
ファプタはナナチと同じ祭壇で成れ果てた、祭壇は袋小路、という話だったので、ファプタは一度祭壇で成れ果ててから5層を経由してイルブル、村に移動していることになる(ファプタの「どこにでも行ける」というのがどの程度の意味なのかまだわからないのでもしかしたらそんなルールには縛られない存在かもしれないけど)。
もしかしてファプタか?
未登場の誰かだとすると、この伏線が回収されるなら、5層で出会ったその「あの子」は6層以下に移動していることになるけど……。

6層のミーティ

ミーティがなぜ6層にいるのか。
「仮面の男たちがおいて行った」らしい。
ナナチの表情からするに、別人ではなくて成れ果てたあのミーティで間違いなさそうだ。
レグの火葬砲で弔われた際、ボンドルドが「ついに成し遂げましたね、ナナチ」と言っていたけど、あの後また復活してボンドルドに6層まで運ばれて置いて行かれたのだろうか。
アビスなら死んだはずの成れ果てが復活するなんていうこともあるのかもしれないけど、うーん。
成れ果て村で命を差し出し成れ果てた人たちは、村から出られない、知性を残している、という他の成れ果てとは違う特徴を持っている。
対して、ファプタは祭壇の成れ果てで、どこにでも行ける。
そしてミーティは祭壇の成れ果て。
三賢が「使っている」「カジャもほしい」とのことなので、ボンドルドの実験で祭壇で成れ果てたものたちすべてがここにいるわけではなくて、ミーティがなにかしら特別なのだとは思うけど。
情報が少なくてよくわからない。
しかし、ミーティがまだ生きていたということ自体、どんな形であれなんとまあナナチにとって残酷な。
ミーティがナナチの白笛になってくれたりすると比較的心穏やかな結末だと思うけど、さて。

オースとアビスの2000年単位の歴史

オースの歴史について。
2000年前にお祈り骸骨が量産され、一度滅びた後、1900年前からまた人が住みはじめた。
少しずつ探窟は進み、悠遠の文字が発見される。
300年前からそれらのうちの簡単なものは奈落文字として公用語にあてられ使われはじめた。
6層のイルブルの住民たちが使っているのは悠遠の文字。
「奈落の底で待つ」も実は奈落文字ではなく悠遠の文字で書かれているのではないだろうか?
6層のイルブルは2000年以上前から存在しているのでは?
そもそも「2000年」はオースでの話、6層においては「2000年」は2000年ではないし。
キユイがアビスから離れれば病が治ったことを考えるとアビスの底に近ければ近いほどその病は強くなりそうなものだけど、お祈り骸骨が見つかるのは浅いところで見つかるし、イルブルも2000年以上前から存在しているかもしれないとなると、2000年に一度の病はアビスが地上の人たちの命を供物として吸い取るような、そんなイベントなのかもしれない。
力場が津波のように一旦溢れてきてひいていくとか。
「奈落の底で待」っている何かは、きっとこの2000年の病の真実の中核にいる存在なのだろう。