コンパクトでない空間

a good experience become even better when it is shared

自分の手でゼミを開くということ

実はこの前期の期間、自主ゼミをやっていて、先週、その最終回が終了した。
ずっと報告記事を書こう書こうと思って書けていなかったのだけれど、キリがいいのでこれを期に書いてしまおうと思う。

都数(都内数学科学生集合)の会員は入会直後一年生の頃からゼミに参加し、ゼミというものに慣れているみたいだけれど、
千葉大学の私は長らく都数の存在を知らなかったし、大学内で数学科の学生がゼミをする習慣もなく、
ゼミに自分自身参加した経験はおろか、自主ゼミをしている人も見たことがなかった。
それがいきなりゼミを開く企画側。躓くポイントも至らない点もがたくさんあったと思う。

そもそも、自主ゼミを開こうと思ったきっかけは、学科の萩原学先生に「やってみれば?」と声をかけていただいたからだ。
それまでは、自分達で勝手にゼミを開くなんて、出来るかどうか考えることはおろか、発想そのものがなかった。
当然「やってみれば?」と言われてあっさり「やるか」と思えたわけではなく、
最初は「私にはそういう企画に付き合ってくれそうな友達もあまりいないし、到底無理だ」と思っていた。
それでもやってみよう、と思ったきっかけはニューヨーク旅行だ。
意欲的に数学を学ぶ学生たちを見て感化されたと言ってもいい。
情報専攻にしろ、数学専攻にしろ、自主的に学ぶ人たちというのは決まって「授業だけでは全く足りない」と言う。
私は彼らほどできた学生でもないので、がっつり自主的に勉強して胸を張って「授業だけじゃ足りない」なんて言える立場ではないけれど、
少なくともそう思っている人たちがいる、そういう人たちについていくためには授業外の勉強が必要だ、と思うようになった。

当初心配していた、人が集まらないのではないかという心配は杞憂で、ありがたいことに学科LINEや個人的な知り合いに声をかけたら14人も集まってくれた。
苦労したのは、「教科書」と「場所」。

他の分野ではもっといろんな種類のゼミがあると思うけれど、数学でゼミと言ったらまず輪読だ。
ニューヨーク旅行で英語の数学用語がわからないと感じた私は、英語の教科書で輪読をしたいと思ったのだけれど、
どんな教科書があるのか、どう選んだらいいのか、さっぱりわからない。
難しすぎても簡単すぎてもいけないと思うし、新しいやつがいいのか、読んでて面白いやつがいいのか、
どこに行けば英語で書かれた数学の本にアクセスできるのか、なにからなにまで手探りだった。
先生方にアドバイスをいただきながら、「学部三年生に適切なレベルの英語の数学書」ということでなんとかかんとか候補を4つに絞り、参加者に希望を聞いてみたところ、
みんなが選んだのはハッチャーのAlgebraic Topologyだった。
アメリカで一番読まれているトポロジーの教科書、らしい。

それから、場所については、最終的には参加していただけることになった院生の方が、担当の先生の名義をお借りして理学部棟の一室を貸してくださった。
図書館のグループ学習室は毎週予約し直さなければならず、確実にとれる保証がないし、
そもそも今回のゼミは個人的な知り合いの学外からの参加者もいたので、使えない。
理学部全体の管轄の教室は勝手に入り込んで使っていても誰も文句を言わないわりに、
しっかり手続きを踏んで部屋をとろうと思うと先生を介してでないと予約がとれないし、
五限後はセキュリティが厳しくなって、入り口に鍵がかかって理学部の院生でないと入れなくなるし、先生も同席しないと教室の予約をとれない。
最近はラウンジを多目的で使えるように公開してくれているようで、今後はそこでゼミなどできるようだけれど、
私たちがゼミをはじめたときはそれもまだなかったので、院生の方が参加してくれなければ場所を取れなかったと思う。

こうしていろんな方の支えを得て教科書と場所が決まり、ハッチャーゼミはスタートした。
メンバーの中に一人、ホモロジーが大好きで自分でしっかり勉強している詳しい人がいたので(同級生のはずなのにとてもそうは思えなかった。本当にすごい)、
彼がどこをやったらいいだとかも助言してくれたし、輪読の発表も半分は彼がやってくれた。
四月の第三週からはじめ、途中一度休みをはさんだので、全12回。
2.1章を読み終え、章末の演習問題をいくつか解いて、前期ハッチャーゼミは終了した。

具体的な内容については、いずれまた書くかもしれないけれど、今回は数学的な内容ではなくゼミの企画に焦点を当てたいので割愛する。
こうして振り返ってみて思うのは、本当に多くの人に支えられたなということだ。
提案し、相談に乗ってくれた萩原先生。教科書の選び方に助言をしてくれた先生方に、部屋の名義を貸してくださった先生。
部屋の確保をしてくれた院生の方に、内容をよくわかってない幹事に代わって進行を支えてくれたメンバー。
当然、集まってくれた14人がいなかったら、一人でゼミを開くこともできなかった。
内容も、基礎的でためになるものを自分なりになんとか理解できたと思うし、
なにより、前例がない中ゼミを企画し、最後までやりきったのは達成感がある。

実は、人数が多すぎたので、14人のうちの半分はハッチャーゼミではなく別のゼミを開いていたのだけれど、もうひとつのゼミの方も含めて、参加してくれた彼らはこのゼミに何を思っただろうか。
数学的な内容でもいいし、人間的な成長でもいい。達成できたことでもいいし、達成できなかったことへの反省でもいい。
なにかしら、得たものがあると嬉しいなと思う。

最後に、初回、教科書を決める回で使った資料をおいておく。
決して完璧な幹事でもないし資料でもなかったと思うけれど、
候補になっていた他の教科書も載っているので、ゼミの企画に興味のある人は参考にしてほしい。

github.com

留学用の英語試験、TOEFL

TOEFLの結果が返ってきた。もちろんiBTの方。私がTOEFLを受けるのはこれで二回目だ。
勉強法を教えられるほど出来がいいわけじゃないし、TOEFLをマスターしてるわけでもないけど、
以前より少しTOEFLがどんなテストであるのかが見えるようになってきた気がする。

私がはじめてTOEFLを受けたのは二年前、大学一年生の時。
英語の上級クラスをとるのにスコアが必要だったから受けたのだったのか、なんとなく自分の実力を知りたくて受けたのだったか、
理由や経緯はいまいち覚えてないんだけど、でもその時の感想は覚えている。
当時の私の言葉で言うなら、
「京大入試クラスの文章に、TOEICの時間制限」
京大入試の英語の問題は、実際の論文などから引用していて、その分野を専攻していなければネイティブにとっても難しいような文章だと、受験塾の先生が言っていた。
当時の私にとって、京大入試の文章は最高峰の難易度だったし、時間制限という意味ではTOEIC以上に時間制限の厳しい英語の試験を知らなかった。
とにかく、なにをとっても今まで受けたなかで一番難しい試験。到底太刀打ちできそうにない相手。
私はその壁の高さを前に、うちひしがれるどころか、「大学を卒業する頃にはこんな難しい問題も解けるようになっているんだ!」と未来の自分の姿を想像してわくわくしていた。

そして先々週、TOEFLを二年ぶりに受けた。
今の感想は、「背は見えているのに手が届かない」だ。

私の感想を伝えるより先に、ここで一度「TOEFLとはなんなのか」を自分なりに説明しようと思う。
受ける前日に公式ガイドブックをパラパラと読んだ。
TOEFL公式ガイドブックはとても丁寧に作られていて、時間や問題数、点数配分などの形式的なところから、試験の理念、採点基準、解答例とその場合のスコアの具体例など(なんと模範解答だけでなく、部分点の例も丁寧に全て書いてある)至れり尽くせりといった感じに作られている。
TOEFLは、「アメリカの大学に留学してどれだけついて行くことができるか」を計ることを徹底している。
Reading、Listening、Speaking、Writingの4つのセクション、各30点、計120点に別れているが、
例えばListeningで使われるスキットは、学務での手続きの問い合わせのシーンだったり、先生に課題の交渉をするシーンだったり、講義の一部の抜粋だったりする。
Speakingでは、単に自分について話したり意見を述べたりするだけではなく、
友人がどの講義をとるか悩んでいるシーンを聞かされ、それに対しての自分なりのアドバイスを求められたり、
意見箱に投書された学校のシステムの改革案を読まされて、それについて友達が意見を述べているシーンを聞かされ、友達の意見を要約することを要求されたりする。
単純にRLSWの4つの能力をそれぞれ計るのではなく、現実的に想定される状況に合わせて複合的な形で実践力を問うのがTOEFLの特徴だ。
世界的なTOEFLの平均点はアジアでもアフリカでも世界中どこでも80点前後。アメリカでも85点、日本の平均点は70点。
これらはTOEFL受験者全体を母集団としているので、大学、大学院留学を目標としている高校生、大学生全体の平均値と思っていい。 アメリカの平均点が85というのは、アメリカには英語が母国語ではない移民が多くいて、そういった人たちがTOEFLを受けるメイン層だからではないかと思っている。
世界の各大学が入学の足切りとしてひいているラインは80~110点程度。
いわゆる世界ランクに名を連ね、誰でも名前を知っているような名門大学の大学院は当然のように100点以上を要求してくる。
日本人にとっては100点以上はなかなか現実的には難しく、大学院留学に関しては、研究成果などでアピールし、先生に特別に足切り以下の点数だが入学を許してもらうというパターンが多いようだ。

今回は前回と違って、時間切れで問題を全く読まないまま回答することはなかった。
わからない問題はあったが、「なにがなんだかまったくわからない」というほどわからない印象もなく、
「ああ、わかる人にはわかるんだろうなあ」「きちんとここの段落の意味をわかっていれば解けたのかも」「家に帰って辞書で調べながら時間をかければ解けるんだろうなあ」という印象だった。
背は見えているのに手が届かない。手は届かないんだけど、もう一歩頑張れば届く可能性はあるものとして、目の前にいる。そういう感じだ。
結果は84点。内訳はR21L24S19W21だ。
前回の点数ははっきり覚えていないけれど、TOEIC換算してこんなに低いのかと思った記憶があるのでおそらく50か60そこらだったと思うし、随分とこの二年間で点は伸びたと思う。
一番変わったと感じるのはリスニングだ。前回受けたときは、あまりの長さとわからなさに集中力が続かなくなって、内容なんてほとんどわかってない問題もあった。
日本語でも英語でも、意味のわからない授業はどうしてこう眠くなるんだろう、なんて思った記憶がある。
今回は、「すごい!普段の授業で使ってるリスニングの教材よりわかる!聞き取りやすいように気を使って話してくれてる!」という感動があった。
TOEFLでは、Listeningセクション以外に、SpeakingやWritingでもリスニングをする必要がある。聞き取れるかどうかが得点に与える影響は大きい。

特に必死に勉強した覚えも、TOEFL対策をしっかりやった覚えもないし、
むしろ各学期はじめには「英語も頑張るぞ!」と思うものの、学期半ばには中だるみしてきておろそかにしてしまって、後になって反省していた記憶の方が強い。
それでも、英語の授業は必ずいつもなにかとっていて、完璧ではなかったものの、宿題も出席もだいたいなんとかこなしていたし、
長期休みには機会があれば海外に行っていたし、大学の英語学習サポート機関、イングリッシュハウスのレッスンも、
試験前などで忙しくなってやめてしまったりしつつも思い出す度にちょくちょく参加したりしていたので、
自分が思うよりは勉強できていたのかなあ、と思わなくもない。
そう思う反面、思ったより頑張らなくても案外点は伸びるものだなあ、とも思ってみたり、というのが今の感想だ。
「少しでもいい。5分でいい。週に二日、英語に触れること」
これが私なりの基準だったし、この基準は一応は守ってきた(ほとんど、週一の授業とその前日の宿題という形だったけど)。

今後の課題はきっと語彙力だ。
Readingに出てくる単語の意味がわからないという意味でもそうだが、
聞いたら意味はわかるけど、SpeakingやWritingでアウトプットしようと思ったときにとっさに出てこないという単語も多い。
不格好でもいいからなにかしら伝わるような表現をしようと思えばきっとできる。
そこから一歩進むため、同じ表現の繰り返しを避け、一言で的確に伝えたいものを伝えられるようになるためには、
とっさにすぐでてくる言葉の引き出しをもっと増やさなければいけない。
今までのようにのんびり漠然と英語をやっていて、これ以上伸びるような気はあまりしない。
TOEFLピンポイントでの対策も必要になってくると思う。
84点という点は日本人平均よりは高いし、世界平均とも勝負できる。
専攻がきっちりできていれば、名門大学も可能性はあるレベルではあるかもしれない。
それでも、足切りを満たして堂々と入学するには足りないし、それは入学後他の人たちに比べて語学でハンデを背負うことになる。
語彙力は、語学力は一朝一夕に身に付くものではないが、幸いなことに学部を卒業するまでまだ一年半ある。
英語だけにかまけているわけにはいかないけれど、これからも少しずつ着実に英語を積み重ねていこうと思う。

日本マイクロソフト本社でブログ制作体験をしてきた話

日本マイクロソフト本社でブログアプリケーション制作体験をしてきた話……
というと語弊があって、別にソースをガリガリ書いたわけではない。
このイベントに参加して、用意されたものを使っただけ。

event-0429.azurewebsites.net

なんだか要素が多すぎて説明に困るイベントなのだけれど、コンテンツとしては、

するイベントといった感じだった。

私にとって新鮮だった体験を、以下の3点に絞って書いていこうと思う。

  • PaaSというものにはじめて触れたこと
  • 戸倉彩さんという方を間近で見て話すことができたこと
  • Microsoft社やその製品へのイメージが変わったこと

まずは、PaaSとはなんぞや?という話。

IaaS(Infrastructure as a Service)とPaaS(Platform as a Service)とSaaS(Software as a Service)の違いなのだけれど、
教科書には、IaaSはストレージやネットワークを提供してくれてOSなどを自分で導入できるもの、
PaaSはインフラを提供してくれて、アプリケーションをその上で動かせるもの、
SaaSはブログなどソフトウェア、あるいはアプリケーションを提供してくれるサービス、
というような説明をされる。

OSとかアプリケーションとかよくわからないって人向けに例えるならば、
土地をやるから好きに家を建てていいよ、っていうのがIaaS、
ビルを貸してやるから好きに使っていいよ、っていうのがPaaS、
フードコート作ったからお店出していいよ、っていうのがSaaS
って感じだろうか。どこから用意しないといけなくて、どこから自由にカスタマイズできるのかが違う。

私にとっては、IaaSやSaaSはWeb管の仕事やこういったブログで触っていてなじみがあったのだけれど、
正直PaaSについては教科書で読んだだけの存在で、
いまいちどういった状況で使われるものなのかピンときていなかった。

Microsoft Azureというサービスでは、IaaSとPaaSを提供していて、
DreamSparkという学生向けの無料プログラムに登録すると、PaaSの部分を無料で使えるようになる。
なんせMicrosoftが提供しているものだから、機能も充実しているし動作も安定している。
チュートリアルWordPressというブログソフトウェアを入れてみたものがこれ
いくらでもカスタマイズできる。サークルの先輩が「PHPいじればなんでもできるよ!!」と言っていた。
可能性は無限大。現実的かはさておき。

実際のところ、PaaSって使いどころは難しい気がしていて、
正直ブログを書きたいだけならWordPressなどを利用してソフトウェアから作るよりも、
こうしてはてなブログなどのSaaSを利用した方が機能も特化していて余計な管理をしなくて済んでいいと思うし、
かといってホームページを本気で作りたかったらインフラから自分で作った方が自由度が高い。

どこで使うんだろうと疑問に思ってサークルの人やら講演者さんやらに聞いてみたところ、
インフラが得意でないけどホームページをガリガリ書いて作るのはやりたいとか、
試験的な運用だったり、個人で軽く書いた小規模なアプリケーションだったりで、
インフラからガッツリ作るほどはしなくていい、とりあえず簡単に動かしたいだとか、
そういう状況で生きるものらしい。

作ったウェブアプリケーションを簡単に公開してみたいなんてことがあれば、azureを使ってみてもいいかもしれない。
ちなみに、起業する人は、起業から5年間はIaaSの方も無料で使えたりするらしい。
ちらっとみてみたところ、CentOSからUbuntuからWindowsServerから、かなりOSの選択肢も充実していて、
もし起業するのであれば、使わない手はないと思う。

導入でつまずくところはないと思うので、学生で興味がある人がいれば、下記から登録して使ってみるといいと思う。

Microsoft DreamSpark

それから、日本マイクロソフトのテクニカルエバンジェリスト、戸倉彩さんという方と話すことができたのも、
私にとって大きな収穫だった。

マイクロソフトの公式萌えキャラクターと同じ髪型と眼鏡をし、Windows10のTシャツを着ていらっしゃる戸倉さん。

素敵なTシャツを着て、楽しそうにWindows10について語る戸倉さんは、
「カリスマ性」としかいいようのない人を惹きつける魅力に満ちた方だった。

一言一言から、マーケティングだけでなく技術者としても筋金入りであろうことも伝わってくる。
こんな生き方をする人もいるのだなあ、と、見ているだけで元気をもらっているような気がした。
なんとなく未来が見えない中辛いものに耐えながら生きている人が多い中、
戸倉さんのように、全力でしたいことをしてまっすぐに生きている人がいることはとても素敵なことだと思う。

その戸倉さんが紹介してくれたのが、Windows10。
製品のソースコードを公開しはじめたり、Windows10がLinuxbashに対応すると発表したり、
最近のMicrosoftはなんだか今までと違うぞ、という空気はあったけれど、
どうやらCEOが営業出身の人から技術者出身の人に変わったのがきっかけで、
方針が変わってきたらしい。

自分や周囲が技術者だからという贔屓目を抜きにしても、
技術者にフレンドリーな経営をしていくことが結果的に企業をクリエイティブで活気あるものにするような気がする。
Microsoftは王手で王道の古株であり、新しい挑戦はあまりしないというイメージはもう古いのかもしれない。

その新しく変わろうしているMicrosoftが作ったのが、Windows10。
私はパソコン用OSだとしか思っていなかったのだけれど、戸倉さんが紹介してくれたところによると、
Windows phoneからタブレットから大型機器から、かなり多様なデバイスで使われているらしい。

これは確かに技術的には非常に重要なことだと思う。
OSが共通していれば、それぞれのデバイスごとにソフトを開発しなくても、
ひとつのソフトでいろんなデバイスに応用しやすい。
もちろん入出力装置からなにから違うので、うまく動かないこともあるだろうけれど、
そういう場合も一部の機能を追加すればよく、まったく異なる言語でいちから書き直さなければいけないということはない。

今までデバイスの数だけの手間がかかっていたものが、一回でできるというのは、
言葉で聞いて想像するよりもずっとずっと大きなことだ。
Windows10上で動くソフトウェアの開発は、きっと面白いアイデアも出てきたりして、
活発で面白いものになっていくと思う。

特に戸倉さんが推していたのは、Windows HoloLensという製品。

youtu.be

動作の安定性がどの程度なのかという問題もあるし、
ゴツいサングラスをつけなければいけないので顔が見えなくなるのも個人的には大きな課題だと思っているけれど、
SFで見るようなホログラムが現実になるために必要な第一歩であることはきっと間違いがなくて、
今日明日活躍してくれるものではないかもしれないけど、未来の可能性のワクワク感を感じさせてくれる製品だと思う。

それから、MSP(Microsoft Student Partners)というプログラムの存在を知ることができたのも、大きな収穫だったと思う。
マイクロソフトインターンシップというのは、いわゆる日本企業のインターンシップのような、
比較的短期でバイトと似たような学生向けのものではなく、
もっと社員に近い本格的な仕事で、学部生にはなかなか手が出し辛いものらしい。
MSPはもう少しいわゆる「インターンシップ」に近く、
学生と交流を持つ目的で、学生向けに作られたプログラムになっている。
それでもきっとマイクロソフトのことだから競争率は高いと思うけれど、
マイクロソフトインターンシップよりまだ手が届くものかもしれない。
応募するだけしてみる価値はあるのかな、という気はしている。

日本とアメリカどちらでアカデミーに進むのか

今回はいよいよ本題、アメリカのポスドクがどういう人たちだったかという話。
この旅行でたくさんの先生方にお世話になって、
なれない外国での面倒を見ていただいたり、各大学を案内していただいたり、
相談に乗っていただいたり、こんなに甘えていいのかというぐらい親切にしていただいて、
なんて感謝を申し上げたらいいのかもわからない。
そんな贅沢な体験をして、それを私一人で独占して終わりというのももったいないので、
いろんな先生方の話をうかがい、ときに生活を見せていただいた中で私が学んだものを、
この記事で共有できたらいいなと思う。

今回は、博士を出たあとも大学で研究を続けている人の話に焦点を絞って、
日本とアメリカでその生活がどのぐらい違うのかを考えてみようと思う。

今までのシリーズはこちら アメリカ旅行記初回 前回(学部生編)

f:id:saho-london:20160315195818j:plain

ざっくり箇条書きでまとめると、こんな感じだ。

日本の大学

  • 大学運営の雑用が多い
  • 一度助教以上になれれば何年でもいられる
  • なので逆に昇進するのは難しく、大学間を移動しながら機会を伺うことになる
  • 准教授や教授は休みが少ない。土日は半分以上出張が入るし、夏休みはほぼない。
  • 独特の研究室制度・文化

アメリカの大学

  • 先生のすべきことはほぼ生徒の指導と研究のみ
  • 教育と研究どちらが重視されるかは大学とポジションによる
  • 成果を出しつづけなければパーマネントの職でも解雇もある
  • 同じ大学の内部で昇進していく
  • 休みが多い。セメスター間の休みが3ヶ月ぐらいある。
  • オフィスは他分野と同室。その他にも他分野との交流は多い
  • 監督の教授は大抵の場合丁寧に指導してくれる
  • 何年かポスドクをしたあと、民間に就職する人も多い

純粋に大学を教育機関、あるいは研究機関として見た場合、
日本はアメリカの大学に遅れをとっているのではないかという印象を受けた。

アメリカの大学の方が教授たちは(ものすごく忙しいらしいが忙しい中でもきちんと)研究の時間を確保できているし、
ポスドクは監督の教授から(大学や教授にもよるようだけれど日本と比較した傾向としては明らかに)丁寧な指導を受けられていて、
研究者にとって研究の環境としても教育を受ける環境としても
地位を得ることさえできるのなら魅力的なのではないかと思う。

東大からハーバードに移った方は、ハーバードでは物理と数学など近い分野同士は、
そもそも物理的に近くに配置されていて、交流も深く、その交流から生まれる発見もあるのだと言っていた。
その点、東大は物理と数学がそもそも違うキャンバスに配置されていてまったく交流がないらしい。
彼が言うには、ハーバードなどのやり方の方が研究にいい刺激があり、日本は遅れているんだそうだ。
ハーバードの寮はまったく異なる分野の学生を同室にするなんて話を聞いたことがあるが、
日本の大学では同じ指導教官に見てもらっている同じ分野の人たちが同じ研究室を利用するのに対して、
ハーバードやMITでは、同様に意図により同じ数学でもまったく異なる分野の人が同じオフィスに配置される。

研究室制度に慣れた私からすると、はじめて聞いたときはびっくりしたけれど、
確かに異なる分野で用いられている発想が自分の専門で活かされることがあるのは納得できる話で、
私なんかは絵を描くので、そのビジュアル的直感が(幾何以外でも!)数学に活かされることはよくある。

これは大学の方の話ではなくアメリカの社会の特徴だけれど、
民間に転職しようと思ったときに職があるというのも私にとっては魅力的で、
ポスドクになったものの、なんらかの事情でもっと給料のいい仕事に転職したいと思ったときに、
職をみつけるのがそんなに困難ではないし、PhDを持っていれば、
大抵相応のいい職につかせてもらえるらしい。
アカデミーで出世していけるかはやってみないとわからない。
そこでだめだったときに民間という受け皿があるとわかっていれば、
アカデミーの道を選ぶのもハードルが下がるような気がする。

民間ではなくアカデミーに進むような、研究が大好きな人たちからすれば、
日本の大学より研究成果を出すためにシステムが整備されたアメリカの大学の方が魅力的だと思うのだけれど、
意外なことに、MIT、ハーバード、コロンビアなど各名門大学を訪ねる中で、
日本人が少ないと感じた。
教授や准教授のリストなどに日本人の名前を一度も見ていない。
お会いした先生方に聞いても、みんな口を揃えて、 「日本人は来ても帰ってしまう」と言う。

その理由の一つは、この旅行で話を聞かせてくださった日本人の先生方が口をそろえて言う、
「日本の大学は日本語で世界の厳しい競争から守られている」
ということと関係があると思う。

というのは、英語を使っている大学では、世界から優秀な人材が集まっていて、
その厳しい競争に勝ち抜かないと職を得られない。
逆に、国内の大学で使われている言語は日本語で、
日本語ができない人材は日本の大学で職を得るのは難しい。
大学職員に限らず、日本の人材市場というのは言語の壁で世界の市場から隔離されている。
それがいいことであるかわるいことであるかは私にはわからないが。
日本のエンジニアの待遇は悪いといわれているが、大学では出世しやすいらしい。

もう一つの理由は、親の面倒を見に帰らなければいけない、ということだ。
the Graduate Center of CUNY(以降GC)で案内してくださったRadek先生によると、
GCにも日本人の数学研究者が一人いたが、彼も日本に帰ってしまったそうだ。
彼にはポストもあり、いたいと思えば仕事はあったはずなのに、
ご両親の体調不良を受けて、日本の大学に戻ったらしい。 ハーバードを案内してくださった日本人のポスドクの方も、
親の近くに住みたいから日本に戻ろうと思っているとおっしゃっていた。 親のために自分の人生を妥協するのだと思うと、なんとも変な感じもするけれど、
親の面倒は見なければならないし、連れても来られない、というのは現実的にとても大きい問題で、
日本でだって研究はできるとなれば、じゃあ帰ろうかともなるのかもしれない。

私の知っている日本の大学のドクターやポスドクはみんなとてもしんどそうで、
体調が悪いだとか、大学に行きたくない、バイトに行きたくない、だとか、あまり楽しそうに見えない。
アメリカで出会った先生方は、出会い方によるバイアスや、
数日やそこらでは見られない面があるという点もあるだろうけれど、
それを踏まえても、あまり生きるのが辛そうな人はいなかった。 みんな自分の人生に納得し、受け入れているように見えた。

一体何がその違いを作るのかは、きっと簡単に語れるものではないとは思うけれど、
最終的に「自分が幸せになれるか」で人生の選択を考えるのであれば、
アメリカの方が幸せになりやすい環境であるとは言えるのではないかと思う。 その時、常にネックになってくるのは語学だ。
漠然と「高度な英語が要求される」と思うのではなく、
実際にどういう場面で、どの能力がどのぐらい要求されるのか、
しっかり考えて英語を学んでいきたいと思う。

ちなみに、博士での留学については、
実際に博士課程の留学を体験された教授が詳細にわかりやすく
情報をまとめてくださっているブログがあるので、興味がある方は読んでみたらいいと思う。

http://jun.korenaga.com/?q=node/26

n番煎じのアメリカ学部生活情報

前回の記事で書いた通り、アメリカの大学と日本の大学の違いなどなど書いていこうと思う。
今回はアメリカの学部生の生活について、紹介していく。

f:id:saho-london:20160315195831j:plain

本来私が書きたい内容の本筋は博士やポスドクという立場がアメリカと日本でどう違うかであり、
学部生にとってどう違うかなんて話は二番煎じどころではなく語り尽くされているので、
今更留学をしたわけでもない私が情報をまとめる必要もないとは思うけれど、
例によって背景から説明をしなければ気が済まない性分で、
学生がどう違うかという話を聞いたことないという人もある程度いると思うので、
まず今回は、散々いわれ尽くされたであろう学部の違いの一般論を、
私が実際にみた話も混えながらおさらいしたいと思う。

「具体的に役に立つことを学ぶのは社会に出てからでいい。大学ではその基礎となる理論を学べ」
というのは、日本ではよく聞く話だ。
一般的な理論がしっかり身について入れば、具体的に使える内容を学ぶのはスムーズにできる、
大学は具体的な技術よりもっと大事なアカデミックな思考などを身につける場所だ。
特に教員側の立場の人はよくそう主張する。
私の学科の情報系の先生は、流行りの言語は卒業するころには変わってしまっているから
具体的な言語の記法を学ぶよりそれを通して概念や理論を理解することが大事だ、と言う。

経済的な損得と切り離して学問を学ぶことの価値は私も理解できるし、
決してこの主張がまるまるすべて間違っているというつもりはないが、
この風潮が、「企業は大学の成績を見ない。だから学生は授業を聞かない」
という悪循環の構造を生み出す原因のひとつになっていることは否定出来ないと思う。

対して、アメリカではこの構造はまったく違っている。
企業は大学を卒業した学生に対して、即戦力を要求し、
入社してから手取り足取り教育しようという姿勢ではない。
大学での授業も日本と比較すると実践的なようだ。
アメリカではないが、マレーシアの工科大学の友人にschemeを学んでいると話したら、
そんな古い言語、こっちの大学では扱わないし名前すら聞かないと言われた。
だから企業は大学での成績を見て、その人材に実力があるかどうかを判断するのだ。
そういう事情だから、学生も必死に大学の授業に取り組む。
特にボストンの大学は学費が高く、卒業するまでの学費で家が一軒立つらしい。
ローンを組んで大学に通っている学生も多く、いい成績で卒業していい職につかなければいけないという、
のっぴきならない事情もあるようだ。

授業は日本のように先生の講義を一方的に聞くものもあるが、
積極的に生徒が参加することが求められるディスカッション形式のものが多い。
授業数は少ないが、進度が早く課題も多いので、決して楽ではなく、
図書館やカフェなどで毎日よる遅くまで、
友達と議論をしながら勉強し、理解を深めていくのが一般的な大学生の生活だ。
MITでもハーバードでも、必ず各棟に、コーヒーを飲んだりフリーフードを食べたりしながら
議論ができるような部屋が用意されていて、春休み中でも何人かが議論をしていたし、
角に設置された黒板には数式が並んでいた。

f:id:saho-london:20160315195816j:plain

高校教育に関しては日本のレベルは世界でもかなり高く、
アメリカの学部二年や三年がようやく日本の高校卒業レベルだったりもするらしいが、
そんなわけで猛勉強するものだから、院を出る時点では日本よりレベルが高くなっている。

これが、日本とアメリカの学部生の違い。
どちらにもメリットも課題もあるだろうから、簡単にどちらが優れていると決めつけるつもりはないが、
まったく雰囲気が異なることは確かだ。
私の目からみたら、
日本の学部生の多くは、将来の先行きが見えない中いきなり自分で生き方を決めろと言われて、
多くの人がそれを決められずに不安を抱えたまま刹那的な選択をしている気がするし、
それと比べたら忙しくてハードで死にそうでも将来のためにするべきことがはっきりとしていて、
日々自分の能力を開花させるために努力しているアメリカの学生の方が生き生きとしているように見える。
私は今更留学も編入もできず日本の大学にいるしかない環境ではあるんだけど、
ありがたいことに私の友達には日本の大学生らしからぬ勉強に大して意欲のある人が多いし、
せめて私も今できる勉強を蔑ろにせず丁寧にこなしていこうと思った。

次回は、学部卒業後、特に博士やポスドクとして研究室に配属された後はどう違うか、 私が日本で聞いた話とボストンやニューヨークで聞いた話を比較していこうと思う。

ボストンという街

通りは片道4車線。両脇に立ち並んでいるのは赤煉瓦の建物たち。
街を大きく隔てるのはチャールズ川で、その向こうには大学都市、ケンブリッジが広がっている。

ここはアメリカ合衆国マサチューセッツ州のボストン。
MITやハーバードを代表とするたくさんの大学や研究所がひしめくアカデミックな町だ。

先週の木曜日の夕方にボストンに到着し、四泊五日の滞在を終えて、
今日の昼発の飛行機でニューヨークに移動しようとしているところだ。
その後ニューヨークには2週間滞在して、日本に帰る。

もともとは家族ぐるみの付き合いのある知り合いがニューヨークに新居を構えたので、
忙しい両親に代わって、時間のあまり余る大学生の私が一人で行ってくる、という話だったのだけれど、
ただ観光だけして帰るというのも趣味じゃないし、せっかくだから大学も見て回ろうと思い立って、
学科の先生にMITで研究をしていらっしゃる先生をご紹介いただけたこともあって、
ついでにボストンにも寄ってみることにした。

大学をめぐりつつ観光もしつつの旅の中、それはほんとうにたくさんの発見や新しい知識があったけれど、
全部紹介するには多すぎるので、特に印象に強く残った部分だけ紹介していこうと思う。

まず、いろんな大学の内部の人たちに出会って、忙しい中時間を割いていただいて、
いろんな話をしてくださったり、大学を案内してもらったりして、
本当にみなさん親切でどんな言葉でも感謝を伝えきれない。

お世話になった人たちは、
ボストンで数学かコンピューターサイエンスを研究しているという点は共通しているものの、
共通しているのはそこだけで、立場も年齢も家族構成もみんな違う。
統計的に意味のあるデータというにはあまりに少なすぎる、ほんの一部の断片でしかないけれど、
その人たちの生き様を少し垣間見させていただく中で、
ボストンで暮らし、大学に就職するとはどういうことなのか、
その人生になにが待ち受けているのか、少しではあるが知ることができたと思う。

一つの記事で伝えることができるとは到底思えないので、
何回かに分けて、私が見たこと、感じたこと、考えたことを書き記していきたい。

ボストンでの日程はざっくりとこんな感じだった。

  • 一日目 夜ボストンに到着
  • 二日目 MITを学科の先生にご紹介いただいたくみ合わせ論の先生と幾何学の先生に案内していただき、午後はMIT combinatorics seminarに参加
  • 三日目 科学博物館を見て回った後、日本で知り合ったコンピューターサイエンスの先生と夕食
  • 四日目 ハーバードを見て周り、ご紹介いただいたハーバードの先生のお話を聞いた後、組み合わせ論の先生に招待していただいて夕食。

ちなみに料理はどれも想像していたような「ザ・アメリカンフード」みたいなご飯ではなく、
日本のおしゃれなレストランと同じような素敵な料理(ただし量は多い)だった。

次回なにを書くかはまだ決めていないけれど、日本とアメリカの大学の違いとか、MITとハーバードの違いとか、 大学への就職はどんな点が評価されるだとか、そんなことを書くつもりでいる。

LPIC受験体験記

LPIC level1を受けてきた。

例によってIT系でない人向けに簡単に説明をすると、
LPICというのは、linux技術者認定試験の略で、
LPI(linux professional institute)が認定している資格である。
サーバー用のコンピューターには、普段個人用のパソコンによく使われるwindowsmacのOSではなく、
linux系のディストリビューションが使われることがある。
LPICではそのlinuxについての知識が問われる。
私が今回受けたのはLevel3まであるうちの一番基礎の部分であるLevel1。

というわけで、感想などぼんやりと書いておこうと思う。
先にことわっておくと、試験勉強をどのぐらいするといいのか、等の情報は、
この記事でメインに触れるつもりはないので、
試験対策サイト(ping-tなど)を参考にしてほしい。

資格試験を受けたというと、さぞ意識の高い人間かと思われるかもしれないが、
情けないことに意気込み高く未来に希望を持って受験を決意したわけではない。
受験の経緯はというと、IT系で働いている学科の卒業生の先輩に統計を教わっていたときに
「会社に資格取れって言われて、LPIC受けたいんだけど、一人で受けるの寂しいし勉強する気がしないから一緒に受けない?」
と声をかけられて、国際資格だから役に立つよだのなんだの勧誘され、
寂しがりな先輩に押されるがままに冗談半分で「受けるかー」とか言ってるうちに、
本当に受けることになってしまっていた、という調子である。
でも、サークルのWeb管理係の仕事に必要な知識だったとは思うし、
いろんな面で結果的に受けてよかったと思っている。

内容は、知識を問われるだけだし、
その知識も、確かにそれなりに量はあってなめてはかかれないんだけど、
すごくマニアックなものを聞かれたりするわけではない。
一言で感想をまとめるのであれば、基本的なことだからこそ、
重要な知識だなあと勉強していて思った。
LPIC試験対策本の大御所で、一般に「あずき本」と呼ばれている参考書は、
LPICを受けるつもりがないという人でもLinuxの勉強のために持っていたりするぐらい
Linuxの参考書として人気がある。
確かにディストリビューションの構造から各種コマンドからセキュリティから、
広い範囲を網羅していると思う。

↓あずき本

www.amazon.co.jp

ただし、LPIC Level1をとっただけでは、
じゃあサーバー運用してみてと言われてできるようにはならなさそうだ。
私自身、資格をとってなおサーバー運用がまともにできる自信がない。
LPIC level1で必要とされる知識は、本当の実践で使うものよりは、
基本的だし理論寄りだという印象を受ける。
例えば、サークルのサーバーで使っているdockerの知識なんかはまったく入っていないし、
USBのマウントひとつとっても、mountコマンドの記法はわかっても、
じゃあこのUSBのデバイスファイルはどこ?っていうのの調べ方はわからなかったりする。
実践でそこそこデキるようになるには、とにかく足りてない知識が多いし、
逆にアーキテクチャのセクションの1からディストリビューションを構築する方法や、
障害のある人のためのアクセシビリティなんかは、
LPICの範囲に入っているけど限られた人意外実際に使うことのない内容だと思う。

試験範囲を半分終えたところで、ちょうどサークルのサーバーが落ちて、
先輩に指導して貰いながら対応したことがあったのだけれど、
先輩に教えてもらわなければ、なにをしたらいいのかさっぱり見当もつかなかった。
もしかしたら、もっとパソコンに慣れていてセンスのある人ならすぐピンとくるのかもしれないけど、
それってやっぱりLPICの知識以外にセンスを培うための経験が必要だということだ。
ちなみに、原因はおそらくOSのアップデートのための更新のあと、
dockerが再起動していなかったことだろうということだった。
あの時は右も左もわからなかったけど、
最後まで試験を受けた今ならもう少しわかることがあるかもしれないので、
この記事では詳細には触れないけれど、
この件も時間があれば振り返って詳しく記事にしたいなと思っている。

話を戻すと、たとえいきなり実戦で出来るようになれなかったとしても、 こういう基礎的なところって大事じゃないかと私は思う。
基礎を理解していなくても、
経験からくるノウハウがあれば動いてしまうしできてしまうこともあるだろうし、
そういうノウハウの蓄積も馬鹿にできない財産だと思うけど、
やっぱり数学という純粋理論を専攻する立場として、
その根底を作っている仕組みっていうのを学ぶのも大切なことだと、
贔屓目かもしれないけど思っている。
先輩に教えてもらえば、コマンドやその結果の見方など、
「確かにこれLPICでやったな」という部分もたくさんあって、
同じ手順を覚えるにしても、そういう理屈が分かっていた方が習得が早いものだと思う。
少なくとも私はその方が早い。 Linuxディストリビューションについての全般的な知識を体系的に学ぶ機会って、 LPIC以外にはあまり聞いたことがない。 個々の知識やノウハウを詰め込む前に、基礎をまず学ぶことができたのは、
これからおそらくいろんな場面でLinuxに触れる際のいい土台となるだろうし、
いい機会に恵まれたな、先輩に誘ってもらえてよかったな、と思っている。

聞くところによれば、LPIC Level2はもう少し実践よりらしい。
そもそも今回Level1を受けたのも、Level1を取っていないとLevel2をとれても結局認定もでないらしいから、
という理由だったので、そのうちLevel2も受けようと思っている。